ティコの新星

概要
カシオペヤ座に金星より明るい星が現れ、16か月ほどで見えなくなった。月より遠いことを視差で示した。アリストテレスの「天は変わらない」が観測で崩れた。王は島を与え、20年、望遠鏡なしで星の位置を測り続けた。
場所
55.91°N 12.70°E · スウェーデン(当時デンマーク)
関わった人(1)
ティコ・ブラーエAD1546年12月14日–AD1601年10月24日 · 天文学者本文
ヨーロッパの学問は、2000年近く、アリストテレスの宇宙の考え方を土台にしてきた。月より下の世界では、物が生まれ、変わり、滅びる。だが月より上の天は、完全で永遠で、何も変わらない。星は天球に貼りついて、昔から同じ形の星座をなしている。空にときおり現れる彗星や流れ星は、天の出来事ではなく、月より下の大気の現象とされていた。
1572年11月11日の夕方、デンマークの若い貴族ティコ・ブラーエは、叔父の屋敷で錬金術の実験室から夕食に向かう途中、空を見上げて息をのんだ。いまはスウェーデン南部にあたるスコーネ地方での出来事である。カシオペヤ座の、見慣れたW字の形のそばに、見たことのない明るい星が輝いていた。自分の目が信じられず、彼は召使いや通りがかりの農民を呼び止めて、あの星が見えるかと確かめた、と自ら書いている。そのときティコは25歳だった。

星は金星よりも明るく、よく晴れた日には昼間でも見えたという。見つけたのはティコだけではなく、ヨーロッパの各地で、そしておそらく明や朝鮮でも記録されている。だがこの星の意味を、測ることで示したのはティコだった。
もし新しい星が月より下にあるなら、大気の現象であり、アリストテレスの考えと矛盾しない。それを確かめる方法が、視差である。近くの物は、見る場所や時刻を変えると、遠くの背景に対してずれて見える。月は近いので、地平線近くにあるときと高く昇ったときとで、背景の星に対する位置がはっきりずれる。ティコは自分で作った大きな観測器具で、新しい星とその周りの星との角度を繰り返し測った。ずれは、まったく見つからなかった。新しい星は月よりはるかに遠く、恒星と同じ天にある。天は、変わるのである。

星は少しずつ暗くなり、色も白から黄、赤へと移っていった。1574年3月には、肉眼では見えなくなった。およそ16か月のあいだ、空に留まったことになる。ティコは1573年、観測の結果を小さな本『新しい星について』にまとめた。「新星(ノヴァ)」という言葉は、この本の題に由来する。哲学者たちは目を閉じたまま天を論じている、とティコは考えていた。
この本で、ティコの名はヨーロッパに知られた。デンマーク王フレデリク2世は、国外へ出ようとしていた彼を引き留めるため、1576年、コペンハーゲンの北の海峡に浮かぶヴェン島を与え、観測所を建てる費用を出した。ティコは島に「天の城(ウラニボリ)」と呼ぶ館を建て、のちには風で器具が揺れないよう地下に半ば埋めた「星の城」も造った。巨大な壁面の四分儀をはじめ、職人に作らせた器具を並べ、望遠鏡の無い時代に、星と惑星の位置を20年にわたって測り続けた。その精度は、肉眼の観測としては極限に近かった。

1577年に大きな彗星が現れると、ティコはこれも視差を測り、月よりはるかに遠い所を通っていることを示した。しかも彗星は、惑星を運ぶはずの天球を突き抜けて動いていた。天が水晶のような固い球でできているという考えも、成り立たなくなった。ただしティコは、地球が動くとするコペルニクスの説は受け入れなかった。地球が動くなら恒星にも視差が見えるはずなのに、見えない。そこで、地球を中心に太陽が回り、その太陽の周りを惑星が回る、という独自の体系を唱えた。恒星の視差が実際に測られたのは、1838年になってからである。恒星は、ティコが考えたよりはるかに遠かった。
晩年、王の代替わりとともに後ろ盾を失ったティコは、デンマークを離れ、神聖ローマ皇帝の招きでプラハに移った。そこで助手として迎えたのが、若いヨハネス・ケプラーである。ティコは1601年に世を去り、20年分の観測の記録はケプラーの手に渡った。とくに火星の精密な記録は、どうしても円の軌道では合わなかった。ケプラーは、わずかな食い違いを捨てずに考え抜き、惑星が楕円を描いて回ることを突き止める(ケプラーの法則)。

1604年、今度はへびつかい座に新しい星が現れ、ケプラーが観測した。それ以来、私たちの銀河の中で肉眼で見える超新星は現れていない。現代の天文学によれば、ティコの星は、年老いた星が燃え尽きて残る白色矮星が爆発した超新星だった。1952年にはその跡から電波が捉えられ、いまも広がり続ける残骸が観測されている。2008年には、そのときの光が星間の塵に反射して遅れて届いた「光のこだま」が見つかり、ティコが見た光そのものを分析することもできた。一つの星の出現が、変わらない天という考えを壊し、精密な観測の時代を開いたのである。