ガイウス・ユリウス・カエサル
概要
ガリアを征服し、ルビコンを渡って内戦に勝ち、終身独裁官となった。暦を作り直した。
別名
カエサル、シーザー
所属
共和政ローマ関わったできごと(10)
第一回三頭政治BC60年 · 参加ガリア戦争BC58年 · ローマ側 · 総指揮ルカ会談BC56年 · 三人アレシアの戦いBC52年 · ローマ側 · 総指揮ルビコン渡河BC49年1月10日 · 当人ファルサルスの戦いBC48年8月9日 · カエサル側 · 総指揮タプススの戦いBC46年4月6日 · 勝者ユリウス暦の施行BC45年1月1日 · 施行ムンダの戦いBC45年3月17日 · 自分で戦ったカエサル暗殺BC44年3月15日 · 被害者本文
紀元前100年7月、ローマに生まれた。ユリウス氏族は、女神ウェヌスの孫アエネアスの子孫を称する古い貴族の家だったが、家は落ち目で、ここしばらく執政官を出していなかった。叔母ユリアは、民衆派の将軍マリウスの妻だった。

若い頃、マリウスと敵対したスッラが独裁官としてローマを支配し、反対派を名簿に載せて殺していった。マリウス派の有力者キンナの娘と結婚していたカエサルは、スッラから離婚を命じられたが拒み、財産を奪われて逃げ隠れした。周囲のとりなしで許されたとき、スッラは、あの若者の中には多くのマリウスがいる、と言ったと伝えられる。
20代の半ば、学問のためにロドス島へ向かう途中で海賊に捕らえられた。プルタルコスによれば、海賊が身代金を20タラントンと言うと、自分を誰だと思っている、50にしろと文句をつけたという。仲間が金を集める38日のあいだ、海賊たちに詩を読み聞かせ、分からなければ野蛮人だと罵り、解放されたら全員を磔にすると冗談めかして言っていた。解放されると彼は船を集めて引き返し、海賊を捕らえて、言ったとおり磔にした。

政治家としての手法は、借金と気前のよさだった。公職に就くたびに、莫大な借金をして剣闘士の興行や公共の建築を行い、市民の支持を買った。紀元前63年には、宗教の最高職である最高神祇官の選挙に大金を注ぎ込み、当日の朝、母に、神祇官にならなければ帰ってこない、と言って家を出たと伝えられる。返せる見込みは、属州の指揮権にあった。属州の総督になれば戦利品と税で財を築ける。実際、ヒスパニアの総督を務めて借金の一部を返している。
紀元前60年、将軍ポンペイウス、ローマ一の富豪クラッススと手を結んだ(第一回三頭政治)。翌年の執政官となり、娘ユリアをポンペイウスに嫁がせて同盟を固めた。執政官の任期が明けると、ガリアの総督の地位を得る。

ガリア戦争で、8年かけて、軍と資金と名声を作った。ガリアの部族どうしの争いに介入する形で北へ進み、ライン川に橋を架けてゲルマニアに渡り、ブリタンニアにも上陸した。紀元前52年、ガリア諸部族を束ねて立ち上がったウェルキンゲトリクスをアレシアの戦いで包囲し、降伏させた。プルタルコスは、この戦争で100万人が殺され、100万人が奴隷にされたと書く。数は誇張を含むとしても、ガリアの社会に大きな破壊をもたらしたことは確かである。自ら書いた『ガリア戦記』は、自分を三人称で語る簡潔な文章で、ローマの人々への報告であり宣伝でもあった。
その間に、同盟は崩れていった。ユリアが出産で亡くなり、クラッススが東方の遠征で戦死すると、ポンペイウスは元老院の保守派と結んだ。元老院は、任期の切れたカエサルに軍を解いてローマへ戻るよう命じた。指揮権を失えば、政敵から訴えられ、政治生命を断たれる。
紀元前49年1月、カエサルは属州とイタリアの境界の川ルビコンを、軍を率いたまま渡った(ルビコン渡河)。軍を連れて境を越えることは、国家への反逆を意味した。渡る前に「賽は投げられた」と言ったとスエトニウスは伝える。内戦を選ぶ。ポンペイウスはイタリアを捨ててギリシアに渡り、翌年ファルサロスの戦いで敗れてエジプトへ逃げ、そこで殺された。

カエサルはエジプトでクレオパトラ7世と結び、王位争いに介入した。続いて小アジアの王を破り、ローマへ「来た、見た、勝った」とだけ書き送ったと伝えられる。北アフリカとヒスパニアでもポンペイウス派の残党を破り、内戦を終わらせた。
勝ったあとにやったのは、恩赦だった。かつてスッラが政敵を大量に殺したのと違い、敵対した者をほとんど殺さず、許して元の地位に戻した。ブルートゥスやカッシウスもその中にいた。その赦された者たちに刺されることになる。

改革は矢継ぎ早だった。月の満ち欠けに基づく暦がずれて、季節と大きく食い違っていたのを、エジプトの天文学者の助言で1年を365日とし、4年ごとに閏日を置く太陽暦に改めた(ユリウス暦の施行)。属州の人々に市民権を広げ、元老院の定員を増やして属州出身者も入れ、退役兵を植民市に送った。紀元前44年2月には終身の独裁官となる。王の称号こそ拒んだが、元老院の多くの議員には、共和政が終わったと見えた。
紀元前44年3月15日、ポンペイウス劇場に付属する会議場で元老院の会合に出たところを、60人ほどの議員の陰謀によって襲われ、23か所を刺されて死んだ(カエサル暗殺)。55歳だった。倒れた場所は、ポンペイウスの像の足元だったと伝えられる。「ブルートゥス、お前もか」はシェイクスピアの劇の台詞で、スエトニウスは、ギリシア語で「子よ、お前もか」と言ったとする話を伝えつつ、何も言わなかったという説も書いている。

暗殺者たちは共和政を取り戻すつもりだったが、民衆と兵は彼らにつかなかった。遺言で養子に指名されていた18歳の大甥が、カエサルの名を継いで台頭し、のちにアウグストゥスとなる。カエサルは神格化され、生まれた月はユリウスの名で呼ばれるようになった。いまの7月の英語名はそこから来ている。その名「カエサル」は、のちに皇帝そのものを指す言葉となり、ドイツ語のカイザーやロシア語のツァーリにもつながった。暦、市民権の拡大、元老院の改革。制度として残ったものは多い。