概要
カラカラが帝国の自由人全員にローマ市民権を与えた。属州民も。「神々に感謝する者を増やすため」と勅令は言い、ディオは「相続税を取るため」と書いた。市民と属州民の区別が消え、「ローマ人」が地中海の人全部の名になった。
場所
ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
本文
212年、カラカラは、ローマ帝国に住む自由人の全員にローマ市民権を与えた。属州民も。ギリシア人も、シリア人も、エジプト人も、ガリア人も。降伏した外国人(デディティキイ)だけが除かれた。
理由は二つ伝わる。勅令の本文はパピルスの断片(ギーセン・パピルス40)で残り、「神々に感謝を捧げる人を増やすため」と読める。歴史家カッシウス・ディオは「相続税と奴隷解放税は市民だけが払う。カラカラはそれを取りたかった」と書いた。相続税は5%から10%に上げられていた。
それまで市民権は褒美だった。カエサルが与え、クラウディウスが与え、退役の補助兵が与えられた。それが一度に全員のものになった。「ローマ人」は、ローマ市の出身者の名前でも、イタリア人の名前でもなく、地中海の全部の人の名前になった。
法律の上でも変わった。市民権を持つ者はローマ法で裁かれる。ギリシアの都市法、エジプトの慣習法、ユダヤの律法が、上にローマ法をかぶった。3世紀のローマの法学者ウルピアヌスとパウルスの仕事は、これを受け止めることだった。
新しい市民は、皇帝の氏族名を取った。「アウレリウス」。3世紀の碑文はアウレリウスだらけになった。
カラカラ自身は5年後、パルティア遠征の途中、用を足しているところを近衛兵に刺されて死んだ。