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Event / できごと

カンナエの戦い

Battle of Cannae
BC216年8月2日
重要度 5

概要

中央をあえて後退させる両翼包囲でローマ軍を殲滅。ローマ史上最悪の敗北とされ、以後ローマは会戦を避ける持久戦略へ転じた。

場所

カンナエ
41.31°N 16.13°E · イタリア・プッリャ州バルレッタ近郊

関わった人(1)

ハンニバル・バルカBC247年–BC183年(一説にBC181年) · カルタゴ側 · 総指揮

本文

ローマは執政官二人が日ごとに指揮を交代する軍を出した。 兵力は史料によって幅があるが、ローマ側がハンニバル側の倍近かったことは どの説も一致している。

ハンニバルは中央に弱い部隊を薄く置き、両翼に精鋭を配した。 ローマの重装歩兵が中央を押すと、中央はわざとへこんでいく。 押し込むほどローマ軍は深く入り、両翼に挟まれる形になった。 最後に騎兵が背後を塞ぎ、包囲が閉じる。

一日で数万が死んだ。以後2000年、包囲殲滅はこの戦いの名で呼ばれ、 19世紀のドイツ参謀本部が教範として研究し、 20世紀の作戦計画にまで影を落としている。

それでもローマは降伏しなかった。ハンニバルの狙いは イタリアの同盟諸都市を離反させることだったが、大半は離れなかった。 戦術で勝ち、戦争で負ける典型として引かれる。

動画(1)

The Battle of Cannae (216 B.C.E.)Historia Civilis両翼包囲がどう成立したかを、部隊の動きの図解で追える。文章では伝わりにくい

出典(3)

ポリュビオス 歴史第3巻 107–117
ティトゥス・リウィウス ローマ建国以来の歴史第22巻 44–49
塩野七生 ローマ人の物語II ハンニバル戦記

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