大スキピオ
概要
ザマの戦いでハンニバルを破り、第二次ポエニ戦争を終わらせた。
別名
スキピオ・アフリカヌス、プブリウス・コルネリウス・スキピオ
所属
共和政ローマ関わったできごと(2)
イリパの戦いBC206年 · 総指揮ザマの戦いBC202年 · ローマ側 · 総指揮本文
紀元前236年、ローマの名門コルネリウス氏族のスキピオ家に生まれた。父も同じプブリウス・コルネリウス・スキピオという名で、紀元前218年、ハンニバル・バルカがイタリアへ攻め込んだ年の執政官だった。第二次ポエニ戦争が、この父子の一生を決める。

18歳のとき、父に従ってポー川の支流ティキヌス河畔の戦いに出た。ハンニバルの騎兵に囲まれて父が傷を負ったとき、若い息子が馬を駆って敵中に飛び込み、父を救い出したと伝えられる。歴史家ポリュビオスが、スキピオの親友ラエリウスから聞いた話として書き留めている。
紀元前216年のカンナエの戦いでは、軍団の将校として戦い、生き残った側にいた。ローマ軍は数万の死者を出して壊滅した。リウィウスによれば、逃れた先で若い貴族たちがイタリアを捨てて海外へ逃げようと相談していると聞き、19歳のスキピオは剣を抜いてその場に踏み込み、ローマを見捨てないと全員に誓わせたという。

紀元前211年、父と叔父がヒスパニアで相次いで戦死した。ヒスパニアはカルタゴの兵と銀の供給源であり、ここを失えばハンニバルへの補給は続く。翌年、ローマは25歳ほどの彼に、正規の官職の順序を飛ばしてヒスパニアの指揮権を与えた。父と叔父が倒れたばかりの戦場で、引き受け手がいなかったからでもある。
彼はハンニバルのやり方を研究した。紀元前209年、カルタゴのヒスパニアにおける拠点カルタゴ・ノウァを急襲する。町の一方を囲む潟が夕方になると浅くなることを漁師から聞き出し、兵に海の神ネプトゥヌスの加護だと告げて、水の引いた潟を渡らせ、手薄な城壁から攻め落とした。町に集められていたヒスパニア諸部族の人質を丁重に扱って家に帰し、部族を味方に引き入れている。捕らえられた美しい娘を、婚約者のもとへ返したという逸話も、リウィウスが伝える。

紀元前206年のイリパの戦いでは、数日のあいだ同じ陣形で布陣して相手に慣れさせたあと、決戦の朝に突然配置を入れ替えた。精鋭のローマ兵を両翼に、頼りにならない同盟軍を中央に置き、中央を薄く両翼を厚くして敵を包み込む。カンナエでハンニバルがローマ軍に使った手を、裏返して使ったものである。カルタゴ勢力はヒスパニアから一掃された。
ローマに戻ると、30歳ほどで執政官に選ばれた。彼は、イタリアにいるハンニバルを直接追うのではなく、アフリカのカルタゴ本国を突くべきだと主張した。慎重な戦い方で国を支えてきた老将ファビウスらは強く反対したが、彼はシチリアで義勇兵を集めて準備を整え、紀元前204年、アフリカに上陸した。

アフリカでは、ヌミディアの王子マシニッサを味方に引き入れた。カルタゴと結ぶヌミディア王シュファクスの陣営には、和平の交渉を装って様子を探らせたうえで夜襲をかけ、葦と木でできた陣営に火を放った。追い詰められたカルタゴは、ハンニバルをイタリアから呼び戻す。
紀元前202年、両者はザマの戦いで向かい合った。ハンニバルは戦象を先頭に立てたが、スキピオは歩兵の隊列のあいだに通路を空けておき、象をそこへ走り抜けさせた。最後はマシニッサとラエリウスの騎兵が敵の背後に回り込み、勝負が決まった。翌年、カルタゴは艦隊と海外領土を失う厳しい条件で講和した(カルタゴの降伏)。彼は「アフリカヌス(アフリカを制した者)」の称号で呼ばれるようになる。

勝者としての晩年は不遇だった。のちに弟ルキウスがシリアのアンティオコス3世と戦った際、副将として同行したが、そこで受け取った賠償金の使い道について、政敵の大カトーらに追及された。リウィウスとポリュビオスによれば、元老院で帳簿を差し出せと迫られると、彼はその場で帳簿を引き裂いたという。告発を受けた日には、今日はザマで勝った記念日だとして、そのままカピトリウムの神殿へ詣でに向かい、民衆がぞろぞろとついて行ったため、告発する側だけが取り残されたという話も残る。
結局、彼は弁明せずにローマを去り、カンパニア海岸のリテルヌムの別荘に引きこもった。紀元前183年頃に死んだとされる。奇しくも、ハンニバルが亡命先で自ら命を絶ったのと同じ頃である(ハンニバルの死)。リウィウスは死んだ年について異説があることも記している。墓には「恩知らずの祖国よ、お前は私の骨すら持つことはない」と刻ませたと伝わる。

娘のコルネリアは、のちに改革を試みて殺されるティベリウス・グラックスとガイウスのグラックス兄弟の母となった。息子の養子となった小スキピオは、紀元前146年にカルタゴを滅ぼしている。ハンニバルを最もよく学び、最後にハンニバルを破った将軍として、その名は物語「ポエニ戦争」の物語の結末に置かれている。