物語

『歴史とは何か』で読む歴史の読み方

出てくるできごと BC49 – AD1961
できごと 6人物 4
この物語に出てくる図版:Crossing the Rubicon
この物語に出てくるルビコン渡河から。Crossing the Rubicon Wikimedia Commons Jacob Abbott · Public domain

概要

事実は自分では語らない。誰がどれを選んだかが、そのまま歴史になる。この年表そのものへの問いかけ。

この物語について

事実は、自分で語るのか。それとも、誰かが選んだときに初めて歴史になるのか。何百万もの出来事のうち、教科書に載るものは、誰がどうやって決めているのか。

『歴史とは何か』(E・H・カー、1961年、日本語版1962年)は、ケンブリッジでの6回の連続講義を本にしたものになる。1961年の1月から3月にかけて、歴史家トレヴェリアンを記念する講座として行われ、同じ年に本になった。日本語訳は翌年に清水幾太郎の訳で新書として出て、長く大学の歴史の授業の最初の一冊として読まれてきた。

E・H・カーは、はじめから歴史家だったわけではない。1916年にイギリス外務省に入り、第一次世界大戦後のパリ講和会議にも加わった外交官だった。20年勤めたあと大学に移り、国際政治学の教授として、1939年に『危機の二十年』を書く。理想を語るだけの国際政治を批判し、力の現実を見よと説いた本で、いまも国際政治学の古典とされる。ただその初版は、前年のミュンヘン会談でのナチス・ドイツへの譲歩を肯定的に書いており、戦後の版ではその部分が削られている。書き手もまた、その時代の中で判断を誤る。戦争中は新聞の論説を書き、戦後は大著『ソヴィエト・ロシア史』に取りかかった。ロシア革命からの十数年を、何十年もかけて14冊に書いた。この講義は、その仕事の途中で行われた。

ロシア革命に関わる図版:Митинг на Невском проспекте (1917)
ロシア革命Wikimedia Commons unknown; photo retake by George Shuklin · Public domain

講義は、二つの序文の比較から始まる。19世紀の終わり、ケンブリッジの近代史の大きな叢書を企画した歴史家アクトンは、すべての事実が集まれば、いつか決定版の歴史が書けると信じていた。60年後、同じ叢書の新しい版の編者は、そんなものはありえない、歴史家の数だけ解釈がある、と書いた。この60年のあいだに何が変わったのか。私たちが「歴史とは何か」と問うとき、その答えは、意識するにせよしないにせよ、自分の生きている時代の位置を映している、と著者は言う。

講義の最初の問いは、歴史上の事実とは何か、である。有名な例がある。カエサルがルビコンという小さな川を渡ったことは歴史上の事実だが、その前にもあとにも、何百万の人が同じ川を渡ったことには、誰も関心を持たない。前49年のルビコン渡河が事実になったのは、歴史家がそれを重要だと選んだからで、川を渡ったという出来事そのものに印がついていたわけではない。

事実は魚屋の台の上の魚ではなく、広い海を泳ぐ魚だ、と著者は言う。何が釣れるかは、どの海域で、どんな道具を使うかで決まる。それを決めるのは歴史家になる。だから、歴史書を読む前に歴史家を調べよ、というのが結論の一つになる。著者は、19世紀のドイツの歴史家モムゼンの『ローマの歴史』に、1848年の革命が挫折したあとのドイツの、強い指導者を待ち望む気分が映っていることを例に挙げる。どの歴史書も、書かれた時代と、書いた人の位置を背負っている。

事実が歴史になる瞬間の例も、著者は挙げている。1850年、イングランドの町の祭りで、ショウガ入りの菓子を売っていた男が、ささいな口論から群衆に蹴り殺された。この出来事は、長いあいだ誰の歴史書にも載っていなかった。ある歴史家が講義でこれを取り上げたことで、それは歴史上の事実の候補になった。ほかの歴史家が引用し、重要だと認めていけば、やがて本物の歴史上の事実になる。事実は、選ばれ、引用されることで歴史に入る。この年表でいえば、1776年からの『ローマ帝国衰亡史』の刊行を書いたエドワード・ギボンの、教会への皮肉な目は、啓蒙の時代の目でもあった。

だからといって、歴史は好き勝手に書いてよいわけではない、とも著者は言う。事実を軽んじる歴史家は、事実だけを崇める歴史家と同じくらい危うい。著者は、すべての歴史は思想の歴史だと説いた哲学者コリングウッドから多くを受け取りつつ、それを突き詰めると、解釈の数だけ真実があるという相対主義に落ちると警告した。歴史とは、歴史家とその事実のあいだの絶え間ないやりとりであり、現在と過去のあいだの、終わりのない対話である。講義の中でいちばん引かれる一文が、これになる。現在が変われば、過去の見え方も変わる。同じフランス革命が、19世紀の自由主義者と20世紀の社会主義者とで違って見えたのは、どちらかが嘘をついていたからではなく、立っている場所が違ったからだった。

第2講は、社会と個人を扱う。歴史を動かすのは偉人か、大衆か。著者は、個人もまた社会の産物であり、歴史家もまた社会の一員だと言う。第3講は、歴史は科学か、歴史家は過去の人物を道徳で裁くべきか、を問う。著者は、歴史は一つ一つの出来事を扱いながら、そこから一般的なものを引き出そうとする点で、ほかの学問と変わらないと考えた。

第4講は、原因の話になる。たとえばフランス革命の原因を並べるとき、歴史家は何十もの原因を挙げ、そのあいだに順序をつける。そこで著者は、偶然をどう扱うかを問う。クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、という有名な言い回しがある。また、ある男が酒に酔った運転手の車にはねられて死んだとき、原因は運転手の酒か、壊れたブレーキか、見通しの悪い曲がり角か、それとも男がたばこを買いに出たことか。歴史家が原因として選ぶのは、ほかの場合にも当てはまり、そこから何かを学べる原因だ、と著者は答える。

フランス革命に関わる図版:Anonymous - Prise de la Bastille
フランス革命Wikimedia Commons Unidentified painter · Public domain

第5講と第6講は、歴史の進歩と、広がっていく視野を扱う。ヨーロッパだけを見ていた歴史が、アジアとアフリカへ、そして支配者だけでなく多くの人びとへと、視野を広げていく。それを著者は進歩と見た。イギリス人でありながら生涯の研究をロシアに注いだ人が、ヨーロッパだけを中心にした歴史の終わりを講じたことになる。講義が行われた1961年は、アフリカの17か国が独立した前年の熱気のさなかで、世界の地図が書き換わりつつあった。著者は、歴史の未来を信じる者だけが、過去について意味のある歴史を書ける、と講義を結んでいる。同じ頃、フランスではフェルナン・ブローデルが、『地中海』の刊行で、事件ではなく山と海と経済の長い時間を歴史と呼んでいた。何を歴史とするかを変えようとする試みが、同じ時期に別々の場所で起きていた。日本では、のちに網野善彦が、農業と天皇の歴史として語られてきた日本史を、海と山と道で暮らした人びとの側から読み直すことになる。

この本には、激しい反論もあった。歴史家エルトンは1967年の本で、カーの考え方は歴史家の主観に寄りすぎていて、過去そのものを知るという仕事を危うくすると論じた。逆に、のちの時代には、カーでもまだ事実の確かさを信じすぎている、という批判も出た。カー自身の『ソヴィエト・ロシア史』は、ボリシェヴィキの側から見すぎている、と批判された。歴史家を調べよ、という彼の言葉は、彼自身にも向けられた。著者は第2版の準備をしながら、1982年に死んでいる。残された覚え書きは、のちの版に収められた。日本では、2022年に新しい訳が出て、いまも読まれ続けている。

この物語は、本が例に使ったできごとと、この年表にある「本」の物語を並べたものになる。本文は写していない。

この年表は、何を項目にするかを人が選んで作っている。どの本を入れるかも、どの動画を付けるかも選択になる。物語物語「誰が書き残したか」と、この一冊は同じことを言っている。年表を読むときにも、誰がこれを選んだのかを、ときどき思い出してほしい。

動画(1)

What is History? E.H. CarrThen & Now「事実は自分では語らない」という中心の主張を10分で

この物語が起きた場所

筋(10)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. ルビコン渡河できごとBC49年1月10日なぜこの渡河だけが「事実」になったのか軍を率いて属州の境を越えた時点で内戦が始まった。渡ったとされる川の比定には諸説ある。ルビコン川(位置は特定されていない)
  2. エドワード・ギボン人物AD1737年5月8日 – AD1794年1月16日ローマの廃墟で托鉢僧の晩祷を聞いて、衰亡史を書こうと決めたと自伝にある。20年かけて全6巻。史料に脚注を付けて書く歴史の型を作った。
  3. 『ローマ帝国衰亡史』の刊行できごとAD1776年歴史家を調べてから歴史書を読め、の例第1巻が出た年は、アメリカ独立宣言と『国富論』の年でもある。1788年に全6巻。ローマが「なぜ滅びたか」を問う型を、以後の全員がこの本から引き継ぐ。ロンドン
  4. フランス革命できごと1789年第4講。原因をどう並べるか身分制を壊し、国民が主権を持つという考えを現実にした。恐怖政治も同じ革命が生んだ。パリ
  5. E・H・カー人物AD1892年6月28日 – AD1982年11月3日著者外交官からソビエト史の研究者に転じた。歴史とは事実と歴史家のあいだの対話だ、という講義録が、いまも歴史学の入口に置かれている。
  6. フェルナン・ブローデル人物AD1902年8月24日 – AD1985年11月27日ドイツの捕虜収容所で、記憶だけを頼りに主著を書き上げた。事件ではなく、山と海と気候がつくる「ほとんど動かない時間」から歴史を見る。
  7. ロシア革命できごとAD1917年著者自身の研究対象世界最初の社会主義国家が生まれた。以後70年、世界は二つの体制に分かれる。ペトログラード
  8. 網野善彦人物AD1928年1月22日 – AD2004年2月27日日本は農業の国だ、という前提を史料から崩した歴史家。海と山で生きた人、市場、女性、被差別民を、日本史の中心に置き直した。
  9. 『地中海』の刊行できごとAD1949年何を歴史と呼ぶかを変えた、同時代の試みドイツの捕虜収容所で書き上げた原稿が、戦後に本になった。王と戦争ではなく、山・海・気候という「ほとんど動かない時間」から歴史を書く方法が示される。パリ
  10. 『歴史とは何か』の講義できごとAD1961年1月〜3月本そのもの歴史とは、歴史家と事実のあいだの終わりのない対話である。ケンブリッジでの6回の連続講義が本になり、以後の歴史の読み方を変えた。ケンブリッジ

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