クレオパトラ7世
概要
プトレマイオス朝最後の女王。アクティウムの敗北の翌年に自死した。
別名
クレオパトラ
所属
プトレマイオス朝エジプト関わったできごと(2)
アクティウムの海戦BC31年9月2日 · アントニウス側 · 参戦クレオパトラの死BC30年8月12日(10日説あり) · 当人本文
紀元前69年、エジプトのアレクサンドリアに生まれた。父はプトレマイオス12世。プトレマイオス朝は、アレクサンドロス3世の部将だったプトレマイオス1世が開いたギリシア系の王朝で、300年近くエジプトを治めていた。王家の言葉はギリシア語で、都アレクサンドリアはギリシア語世界の学問の中心だった。

プルタルコスによれば、歴代の王はエジプト語を覚えようともしなかったが、彼女は話した。エチオピア人、ヘブライ人、アラビア人、シリア人、メディア人、パルティア人などの使節とも、通訳なしに話したという。9か国語を解したと言われるのはこの記述による。数の正確さは別として、民族の入り混じる国を治める王として言葉を重んじたことは確かである。
紀元前51年、父が死に、18歳で弟のプトレマイオス13世と共同で王位に就いた。王家の慣習で、姉弟は形の上で夫婦とされた。だが宮廷の実権を握る側近たちと対立し、数年で都を追われ、シリアで兵を集めることになる。

紀元前48年、ローマの内戦に敗れたポンペイウスがエジプトに逃れてきて、弟の側近たちに殺された。追ってきたガイウス・ユリウス・カエサルがアレクサンドリアに入ると、彼女はひそかに宮殿に入り込み、カエサルに会った。寝具を包む袋に身を隠し、従者に担がせて運び込ませたとプルタルコスは書く。絨毯にくるまれていたという話は、後世の脚色である。
カエサルは彼女の側についた。アレクサンドリアの市街戦の末、弟は敗れてナイルで溺れ死に、彼女は別の弟と共同で王位に戻った。翌年、カエサルとの子プトレマイオス・カエサル、通称カエサリオンが生まれる。紀元前46年からはローマに招かれて滞在し、カエサルはウェヌスの神殿に彼女の金の像を置かせた。ローマの人々の多くは、外国の女王の存在に眉をひそめた。
紀元前44年のカエサル暗殺のあと、エジプトへ戻った。共同統治者だった弟はまもなく死んでいる。彼女が毒を盛らせたとする古代の記述がある。

ローマの東方を受け持つことになったマルクス・アントニウスは、紀元前41年、彼女を小アジアのタルソスに呼びつけた。彼女は金張りの船尾、紫の帆、銀の櫂の船に乗り、女神アフロディテの姿で川を上ってきたとプルタルコスは描いている。二人は結ばれ、翌年には双子が生まれた。アントニウスはその後オクタウィアヌスの姉と政略で結婚するが、やがて東方へ戻り、彼女のもとで暮らすようになる。
この関係は、恋愛だけで語られてきた。だが当時のエジプトは地中海で最も豊かな国の一つで、穀物と財貨を持っていた。ローマの内戦を戦う側にとって、エジプトの女王は欠かせない同盟相手であり、女王にとってもローマの有力者と結ぶことが王国を保つ道だった。紀元前34年、アントニウスはアレクサンドリアで、彼女と子どもたちに東方の領土を分け与える式典を開く。ローマではこれが、ローマの領土を外国の女王に贈るものとして受け取られた。

アウグストゥス、当時のオクタウィアヌスは、これを最大限に利用した。アントニウスの遺言状を手に入れて公表し、ローマの民会に、アントニウスではなくクレオパトラに対して宣戦させた。ローマ人同士の内戦を、東方の女王との対外戦争として描くための手段だった。「男を惑わせた女」という像は、この宣伝の中で作られ、勝った側の詩人や歴史家に引き継がれて、2000年語り継がれることになる。
紀元前31年、両軍はギリシア西岸のアクティウムの海戦で戦った。海戦のさなか、彼女の船団は戦場を離れてエジプトへ向かい、アントニウスもそれを追った。敗北は決定的になった。翌年、オクタウィアヌスがアレクサンドリアに迫ると、アントニウスは彼女が死んだという知らせを受けて自らを刺し、彼女のもとで息を引き取ったと伝えられる。

彼女は捕らえられた。オクタウィアヌスは、彼女をローマの凱旋式で引き回すつもりだったとされる。紀元前30年8月、彼女は霊廟で死んでいるのが見つかった(クレオパトラの死)。39歳だった。死因は、イチジクの籠に隠して運ばせた毒蛇に噛ませたとも、髪飾りに隠した毒を使ったとも伝わる。プルタルコスの時点ですでに、本当のことは誰も知らないと書かれている。腕に小さな傷が二つあったという記述もあるが、蛇は見つからなかった。
カエサリオンは殺され、エジプトはローマの属州となった。皇帝の直轄とされ、元老院議員は許しなく立ち入ることもできなかった。アントニウスとの娘クレオパトラ・セレネは、のちに北アフリカのマウレタニア王に嫁いでいる。

容姿については、プルタルコスが、美しさそのものは比べるものがないほどではなかったが、話をすると抗いがたい魅力があったと書いている。残された硬貨の肖像は、鉤鼻の顔を描く。17世紀のパスカルの、鼻がもう少し低ければ世界の歴史は変わっていたという一句も、彼女の像が後世にどう作られたかを示している。彼女はプトレマイオス朝の最後の王であり、アレクサンドロスの遺した王国のうち、最後まで残ったものの終わりでもあった。