概要
軍を率いて属州の境を越えた時点で内戦が始まった。渡ったとされる川の比定には諸説ある。
場所
ルビコン川位置は特定されていない(誤差 ±15km)
44.09°N 12.40°E · イタリア・エミリア=ロマーニャ州(比定に諸説)
44.09°N 12.40°E · イタリア・エミリア=ロマーニャ州(比定に諸説)
関わった人(1)
ガイウス・ユリウス・カエサルBC100年7月12日(13日説あり)–BC44年3月15日 · 当人本文
属州の総督は、任地の外へ軍を率いて出てはならない。 ルビコン川はガリア属州とイタリア本土の境で、 そこを軍とともに渡ることは、共和国に反旗を翻すことを意味した。
カエサルが「賽は投げられた」と言ったと伝わるのは、 ギリシア語の喜劇の一節を引いたものだったという。 プルタルコスはギリシア語で、スエトニウスはラテン語で書き留めていて、 どちらが実際の言葉だったのかは決められない。
軍勢は一個軍団だったとされる。少なすぎるが、 だからこそ元老院は不意を突かれた。ポンペイウスはローマを捨てて 東へ逃れ、内戦が始まる。
この川がどれかは、実はいまも確定していない。 候補は複数あり、この年表でも位置に幅を持たせてある。
動画(2)
出典(3)
スエトニウス 『ローマ皇帝伝』ユリウス 31–32
塩野七生 『ローマ人の物語』IV ユリウス・カエサル ルビコン以前
E・H・カー(清水幾太郎 訳) 『歴史とは何か』第1講 歴史家と事実(なぜこの渡河だけが事実になったか)