できごと

『ベーオウルフ』の写本

Nowell Codex
AD1000年頃
年に諸説あり重要度 5
デンマーク=ノルウェーフィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民キエフ・ルーシブワイフ朝キエフ・ルーシペチェネグファーティマ朝サーミ東ローマ帝国神聖ローマ帝国ヴォルガ・ブルガール後ウマイヤ朝ポーランドMagyarsハザールKareliansハンガリー王国第一次ブルガリア帝国スウェーデンIcelandic Commonwealthバルトの諸部族アルメニアEnglandSuomiケルト系の諸王国Leónアランブルゴーニュジョージア王国スコットランドPrussiansフランス王国PomeraniaAD1000年頃ロンドン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1000年頃の版図を描いています(33勢力)。

概要

古英語で3182行。デンマークの王の館を襲う怪物グレンデル、その母、そして50年後の竜。イェーアト族の英雄ベーオウルフが、素手で、剣で、そして竜と相打ちで死ぬ。異教の話を、キリスト教徒の詩人が書いた。写本は一つだけ(ノウェル写本)。1731年、コットン家の図書館の火事で縁が焦げた。1936年、トールキンが「怪物と批評家」で、これは歴史の史料でなく詩だ、と言った。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

本文

『ベーオウルフ』は、古英語で書かれた3182行の詩である。イングランドで書かれたが、舞台はイングランドではない。5世紀から6世紀の、いまのデンマークとスウェーデン南部、ブリテン島へ渡ったアングロ・サクソンの人々(アングロ・サクソンのブリテン移住)にとって、遠い祖先の土地の物語だった。

詩はデンマークの王家の始祖シュルドの舟葬から始まる。その子孫のフロースガール王は、ヘオロットという壮麗な館を建て、戦士たちと宴を開き、竪琴に合わせて天地創造の歌が歌われた。その賑わいを、沼地に住む怪物グレンデルが憎んだ。詩人はグレンデルを、弟を殺したカインの末裔と呼ぶ。グレンデルは夜ごと館を襲って戦士たちを食い殺し、12年のあいだ、館は夜になると空になった。

『ベーオウルフ』写本の一葉(大英図書館所蔵)
『ベーオウルフ』写本の一葉(大英図書館所蔵)Wikimedia Commons Unknown medieval · Public domain

海の向こう、イェーアト族の国で、この話を聞いた若い戦士ベーオウルフが、14人の仲間とともに船で駆けつける。彼は武器を使わず素手で戦うと宣言し、館で眠りについた。グレンデルが現れて一人を食らったあと、ベーオウルフはその腕をつかんで離さず、ついに肩から引きちぎった。怪物は沼へ逃げ帰って死ぬ。だが次の夜、息子の仇を討ちに、グレンデルの母がやって来て、王の腹心を連れ去った。ベーオウルフは血に染まった沼に潜り、水底の洞窟で母と戦う。自分の剣は役に立たず、壁に掛かっていた巨人の古い剣をつかんで、ようやく母を斬り倒した。

詩の後半は、それから50年後に飛ぶ。ベーオウルフはイェーアトの王として長く国を治め、すでに老いていた。ある男が古い塚の宝の山から杯を一つ盗んだことで、宝を守っていた竜が目覚め、国じゅうを焼き払う。老王は11人の家来を連れて竜に挑むが、炎を前に家来たちは森へ逃げ、若いウィーグラーフだけが王のもとに残った。剣は竜の頭に当たって折れ、王は首を咬まれて毒に倒れる。ウィーグラーフが竜の腹を刺し、王が短剣でとどめを刺した。死にゆく王は、勝ち取った宝を見せてくれと頼み、それを眺めながら息を引き取る。王は火葬にされ、海を見下ろす岬に塚が築かれた。詩は、彼はこの世の王たちの中で最も穏やかで、民に優しく、誉れを求めることに最も熱心な人だった、という家臣たちの言葉で終わる。

『ベーオウルフ』写本の冒頭ページ(損傷したノーウェル写本)
『ベーオウルフ』写本の冒頭ページ(損傷したノーウェル写本)Wikimedia Commons anonymous Anglo-Saxon poet · Public domain

詩の言葉には独特の技がある。各行は前半と後半に分かれ、強く読む音節の頭の子音を揃えて結ばれる。海を「鯨の道」、王を「指輪を配る者」と言い換える比喩が、繰り返し使われる。物語の途中には、宴の席で歌われる別の英雄譚や、過去の戦いの話が差し挟まれる。そして、異教の時代の英雄の物語を、キリスト教徒の詩人が語っている。神は一つで、旧約聖書の神として現れるが、キリストの名は出てこない。登場人物たちは天国を知らず、名誉と、死後に残る名声のために生きる。詩人は、救いを知らずに死んでいった祖先たちを、深い哀惜をこめて描いている。

詩がいつ作られたのかは分からない。8世紀とする説から、写本と同じ11世紀の初めとする説まである。8世紀の末からデーン人の襲撃が始まり(ヴァイキングの襲来)、9世紀にはイングランドの東半分がその支配下に入った(アルフレッド大王のウェセックス)。デンマークの王家を讃える詩が、どの時代のイングランドで好んで聞かれたのかは、年代を考える手がかりの一つになっている。ただ、物語には史実の影がある。ベーオウルフの主君ヒュエラーク王がフリースラントへ攻め込んで死んだ遠征は、フランク王国の歴史家トゥールのグレゴリウスの記録から、520年代のことと考えられている。

ヴァイキングの襲来に関わる図版:T.homas Girtin Lindisfarne 1798
ヴァイキングの襲来Wikimedia Commons Thomas Girtin · Public domain

詩を伝える写本は、世界に一つしか無い。いま大英図書館にある、1000年前後に二人の写字生が書いた写本で、16世紀の持ち主の名をとってノウェル写本と呼ばれる。『ベーオウルフ』は、東方の怪物を描いた書や、アレクサンドロス大王がインドの驚異を語った手紙、旧約外典の『ユディト記』の詩などと一冊に綴じられていて、怪物の本を集めたのだと見る研究者もいる。写本は17世紀に、古文書の大収集家ロバート・コットンの手に渡った。

1731年10月23日、コットン家の蔵書を収めたロンドンのアシュバーナム・ハウスで火事が起き、多くの写本が焼けた。『ベーオウルフ』の写本は燃え尽きるのを免れたが、縁が焦げ、その後も長い間、縁の文字が少しずつ崩れ落ちていった。1780年代の後半、デンマークの学者トルケリンが写本を写させ、自分でももう一つ写しを作った。いま失われた文字の一部は、この写しで読める。1815年、トルケリンはラテン語訳を付けて初めてこの詩を出版した。北欧の英雄を描いた詩として、デンマークの叙事詩と紹介された。

19世紀から20世紀の初めにかけて、この詩はもっぱら歴史と言語の資料として研究された。古い言葉、失われた習俗、北欧の王家の系譜。肝心の物語が怪物退治であることは、むしろ惜しいことだと考えられていた。1936年、オックスフォードの言語学者J・R・R・トールキンは、英国学士院で「ベーオウルフ 怪物と批評家」と題した講演を行い、その見方をひっくり返した。怪物こそがこの詩の中心であり、詩人は若さと老い、勝利と滅びを、怪物と竜との二つの戦いで描いたのだ、と。これは史料ではなく詩なのだ、というこの講演から、『ベーオウルフ』は文学として読まれるようになった。トールキンの『ホビット』で、盗まれた杯をきっかけに竜スマウグが怒り狂う場面は、この詩から来ている。

その後も、この詩は書き直され続けている。アメリカの作家ジョン・ガードナーは、怪物の側から物語を語る小説『グレンデル』(1971年)を書き、アイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーは1999年の訳で、詩の最初の呼びかけの一語を、さて、と話し出すような口語で訳して評判になった。縁の焦げた写本は、いまも大英図書館で守られている。千年前の一冊が燃え残らなければ、この物語は誰にも知られずに消えていた。

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