ノルウェー人のグリーンランド入植
概要
アイスランドを追われた赤毛のエイリークが、氷の島に「緑の土地」と名を付けて人を呼んだ。最盛期で数千人が牧畜で暮らす。
場所
61.15°N -45.52°E · グリーンランド・カシアルスク(東入植地)
関わった人(1)
赤毛のエイリークAD950年頃–AD1003年頃 · 入植を率いた本文
9世紀の終わり、ノルウェーなど北欧の人々は北大西洋に乗り出し、アイスランドに住み着いた(アイスランド入植)。それから100年ほどたつと、アイスランドのよい土地はほとんど人の手に渡っていた。グリーンランドへの入植は、そうした時代に始まった。
その物語は、13世紀ごろにアイスランドで書き留められたサガ(散文の物語)と、入植者の名を記した書物に残っている。赤毛のエイリークの父は、人を殺してノルウェーを追われ、アイスランドに移った。赤毛のエイリークもまた、アイスランドで争いから人を殺し、3年の追放の刑を受けた。982年ごろのこととされる。エイリークはその3年を使って、西の海の向こうにあると言われていた陸地を探しに出た。

見つけたのは、巨大な氷の島だった。だが南西の岸には、深く入り込んだ入り江があり、その奥には夏に草の生える土地があった。エイリークはそこで三度の冬を越して土地を調べ、アイスランドに戻って入植者を募った。サガによれば、彼はこの土地を「緑の土地(グリーンランド)」と名付けた。よい名があれば人が行きたがるだろうから、という理由だったという。
985年ごろ、25隻の船がアイスランドを出た。嵐で引き返したり沈んだりして、着いたのは14隻だったと伝えられる。入植者たちは南西の岸に「東入植地」を、そこから北へ数百キロ離れた、いまの首都ヌークの近くに「西入植地」を作った。エイリークは東入植地の入り江の奥、ブラッタフリーズに農場を構えた。人口は多いときで2000人から3000人ほどだったと推定されているが、もっと多かったとする説もある。

暮らしは、ノルウェーやアイスランドと同じ形だった。牛や羊、山羊を飼い、夏のあいだに干し草を刈って、長い冬の家畜の餌にした。畑で穀物はほとんど育たず、パンはぜいたく品だった。足りない分はアザラシやカリブーを獲って補った。人骨を調べた研究では、時代が下るにつれて、食べ物に占めるアザラシなど海の獲物の割合が増えていったことが分かっている。
紀元1000年ごろ、エイリークの息子レイフ・エリクソンがキリスト教をもたらしたとサガは伝える。エイリークの妻は、ブラッタフリーズに小さな教会を建てた。12世紀には司教が置かれ、石造りの教会も建てられた。グリーンランドの人々はノルウェーやローマ教会と結びつき、教会の税をセイウチの牙で納めた記録もある。セイウチの牙と、ホッキョクグマの毛皮は、ヨーロッパでよく売れた。彼らはそれと引き換えに、鉄や木材、穀物を手に入れた。グリーンランドには、船や家を作るための大きな木が無かったからである。

レイフはまた、グリーンランドから西へ船を出し、北アメリカの岸に着いた(ヴィンランド到達)。だが、そこでの暮らしは長く続かなかった(ヴィンランドへの入植)。
13世紀ごろ、北から別の人々がグリーンランドの西岸を南へ下ってきた。いまのイヌイットの祖先にあたる人々である。彼らは皮の舟や、獲物に刺さると外れない銛を使って、氷の海で暮らす術を持っていた。北欧の入植者たちは食べ物にアザラシを増やしたが、イヌイットの道具や暮らし方を取り入れた跡はほとんど見つかっていない。両者がどんな関係だったかは、よく分かっていない。

14世紀の半ば、西入植地は無人になった。15世紀の初めに東入植地の教会で結婚式があったという記録を最後に、グリーンランドの北欧人の記録は途絶える(ノルウェー領グリーンランドの終焉)。小氷期と呼ばれる寒冷化、アフリカの象牙が出回ってセイウチの牙が売れなくなったこと、ノルウェーとの船の行き来が細ったことなどが、理由として挙げられている。入植から450年ほど、彼らは世界の果ての島で、故郷と同じ暮らしを守ろうとし続けた。