できごと

イェリングのルーン石碑

Jelling stones
AD965年頃
年に諸説あり重要度 4
フィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民オグズ・テュルクトゥアレグハザールキエフ・ルーシベルベル系の人びとファーティマ朝サッファール朝サーミキエフ・ルーシ東ローマ帝国神聖ローマ帝国スラヴの諸部族アグラブ朝後ウマイヤ朝東フランク王国イドリース朝カロリング朝フランク王国西フランク王国ヴォルガ・ブルガールノルウェー王国第一次ブルガリア帝国アヴァールMagyarsバルトの諸部族Swedes and Gothsクロアチア王国デーン人IrlandaMerciaアストゥリアス王国セルビアChudsPechenegsLombard duchiesAD965年頃イェリング
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD965年頃の版図を描いています(35勢力)。

概要

デンマーク王ハーラル青歯王が、両親のために立てた石に「デンマーク人をキリスト教徒にした」と刻んだ。「デンマーク」という国の名が刻まれた最初。ブルートゥースの名とロゴは、この王の名とルーン文字から取った。

場所

イェリング
55.76°N 9.42°E · デンマーク

関わった人(1)

ハーラル青歯王AD911年頃–AD986年頃 · 王

本文

デンマークのユトランド半島の真ん中に、イェリングという小さな町がある。白い教会の両脇に、草に覆われた大きな塚が二つ。教会の前に、文字を刻んだ石が二つ立っている。デンマークという国の始まりは、ここに刻まれている。

小さいほうの石は、ゴーム老王が妻テューラのために立てたものである。ルーン文字で「ゴーム王が、この碑を、妻テューラ、デンマークの飾りのために作った」と刻まれている。「デンマーク」という国の名が、デンマークの国内で書かれた最も古い例とされる。「デンマークの飾り」が妻を指すのか、王自身を指すのかについては、読み方が分かれる。

イェリングのルーン石碑
イェリングのルーン石碑Wikimedia Commons Unknown artist Unknown artist · Public domain

大きいほうの石は、二人の息子のハーラル青歯王が両親のために立てた。重さはおよそ10トン。三つの面に彫刻がある。第一の面には「ハーラル王はこの碑を作らせた。父ゴームと母テューラのために。デンマーク全土とノルウェーを自分のものとし、デンマーク人をキリスト教徒にしたハーラルである」と刻まれている。第二の面には、蛇と絡み合う大きな獣。第三の面には、腕を広げたキリストが、十字架ではなく蔓草に絡まれた姿で彫られている。北欧に残る最も古いキリスト像の一つで、のちのデンマークでは「国の洗礼証明書」と呼ばれる。立てられたのは960年代から980年代のあいだとみられ、もとは鮮やかに彩色されていたらしい。

二つの塚にも物語がある。北の塚の中には木で組んだ墓室があり、年輪から958年から959年ごろに作られたことが分かったが、発掘したとき、中は空だった。1978年、教会の床下から、一度別の場所に埋められたあとに移されたとみられる男性の骨が見つかった。異教の塚に葬られていた父ゴームを、キリスト教徒になったハーラルが教会に移したのではないか、と考えられている。近年の調査では、塚と石を囲む巨大な木の柵と、石を並べた船の形の区画の跡も見つかり、イェリングが王の権威を見せる場所として造られたことが分かってきた。

ハーラル青歯王を描いた像(1200年頃)
ハーラル青歯王Wikimedia Commons Anagoria · CC BY 3.0

ハーラルが洗礼を受けたのは960年代とされる。ドイツの年代記作家は、ポッポという聖職者が、焼けた鉄を手にしても火傷を負わず、それを見た王がキリスト教を受け入れた、と書き残している。ただし、改宗には北の隣人である神聖ローマ帝国の圧力をかわす狙いもあったとみられる。「デンマーク人をキリスト教徒にした」とハーラルは刻んだが、民の全員が一度に改宗したわけではない。異教の習わしはその後も長く残った。

石の文句は誇張を含んでも、ハーラルが国の形を作ったことは、地面に残る跡からも分かる。彼の時代に、トレレボーなど、正確な円形の要塞がデンマーク各地に築かれ、長さ700メートルを超える木の橋が谷に架けられ、南の国境を守る土塁ダーネヴィルケも延ばされた。王の命令が国じゅうに届いていたことを示している。だが晩年のハーラルは、息子スヴェン1世(双叉髭王)に背かれて国を追われ、980年代の半ばに死んだ。スヴェンとその子クヌートの代に、デンマークの王はイングランドまでを治めることになる(クヌートの北海帝国)。

イェリング教会敷地内にある北側の墳墓と教会。
イェリング教会敷地内にある北側の墳墓と教会。Wikimedia Commons Public domain

「青歯」というあだ名の由来は分かっていない。死んで黒ずんだ歯があったからだとも、別の意味の言葉が訛ったのだとも言われる。千年後の1990年代の末、異なる機器を無線でつなぐ規格を作っていた技術者たちは、デンマークとノルウェーをまとめた王にちなんで、その規格を「ブルートゥース」と名づけた。いまも携帯電話に現れる印は、ハーラルの頭文字を表す二つのルーン文字を重ねたものである。二つの石と塚と教会は、1994年に世界遺産に登録された。現在、石は風雨から守るため、ガラスのケースに収められている。

同じ時代のできごと

カラハン朝のイスラーム受容AD960年頃ブワイフ朝のバグダード入城AD945年トルテカのトゥーラAD950年頃『黄金の牧場』AD947年馮道の儒教経典刊行AD953年後周世宗の廃仏AD955年レヒフェルトの戦いAD955年高麗の科挙AD958年
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