スタムフォード・ブリッジの戦い

概要
ノルウェー王ハラルド苛烈王が1万でヨークに上陸し、イングランド王ハロルドが4日で300キロ北上して奇襲した。橋の上で一人のノルウェー人が斧で40人を止めた。苛烈王は喉に矢を受けて死に、300隻のうち24隻が帰った。ヴァイキング時代の終わり。19日後、ヘイスティングス。
場所
53.99°N -0.91°E · イングランド・ヨークシャー
関わった人(1)
ハラルド苛烈王AD1015年–AD1066年9月25日 · 戦死本文
1066年1月5日、イングランド王エドワード懺悔王が子のないまま死んだ。翌日、王国一の有力者だったウェセックス伯ハロルド・ゴドウィンソンが王位に就いた。だが、王冠を自分のものだと考える者はほかにもいた。海の向こうのノルマンディー公ギヨーム(のちのウィリアム1世)は、エドワードから後継に指名され、ハロルド自身もそれを認める誓いを立てたはずだと主張した。北のノルウェー王ハラルド苛烈王は、かつてのデンマーク王ハーデクヌーズとノルウェー王マグヌスの間の取り決めを根拠に、イングランドの王位は自分に受け継がれると考えた。ハーデクヌーズは、北海を囲む帝国を築いたクヌートの息子である(クヌートの北海帝国)。
ハラルドは、すでに50歳を過ぎた歴戦の王だった。若いころ東ローマ帝国の皇帝の親衛隊に仕え、地中海から黒海まで戦い歩いて富を築いた。苛烈王というあだ名は、その戦いぶりと、容赦のない治め方から来ている。そこへ、ハロルド王の弟トスティが加わった。トスティはノーサンブリア伯を務めていたが、領民の反乱で追われ、兄が自分をかばわなかったことを恨んでいた。

1066年9月、ハラルドは300隻ほどの船団を率いてノルウェーを出た。兵の数は1万前後と推定される。オークニー諸島で兵を加え、スコットランドの沿岸を南下し、トスティと合流した。船団はハンバー川の河口から川を遡り、ヨークの南に上陸した。9月20日、ヨークの手前のフルフォードで、北部の伯エドウィンとモーカーの兄弟が率いるイングランド軍を打ち破った。ヨークは降伏し、ノルウェー軍は人質を差し出させる約束を取りつけた。その受け渡しの場所に選ばれたのが、ヨークの東、ダーウェント川に架かる橋のあるスタムフォード・ブリッジだった。
そのころハロルド王は、南部の海岸でギヨームの来襲に備えていた。だが夏じゅう兵を待機させたせいで食料が尽き、9月8日に軍を解いたばかりだった。北の知らせを受けると、ハロルドは手元の精鋭を率い、道々で兵を集めながら北へ急いだ。ロンドンからヨークまではおよそ300キロある。王の軍は数日でこれを駆け抜け、9月24日にはヨークの南西のタッドカスターに着いた。

9月25日の朝、ハロルドの軍はヨークを抜けてスタムフォード・ブリッジへ進んだ。ノルウェー軍はまったく備えていなかった。人質を受け取るだけのつもりで、兵の一部は船に残り、暑い日だったので多くは鎖帷子を船に置いてきていた。後のノルウェーのサガは、迫ってくるイングランド軍の武具が、氷の原のように日の光にきらめいたと描いている。同じサガには、戦いの前にハロルドの使者がトスティに伯の位を返すと申し出て、ではノルウェー王には何を与えるのかと問われ、「7フィートのイングランドの土地を。背が高いので、それより少し多く」と答えた、という場面がある。墓の広さのことである。ただし、これは戦いから150年ほど後に書かれた物語で、どこまでが事実かは分からない。
イングランドの年代記の後世の書き足しには、ノルウェー兵がただ一人、斧を手に橋の上に立ちふさがり、40人を倒してイングランド軍の進撃を止めた、という話がある。最後は、樽に乗って川を下った兵が橋の下から槍で突き上げて倒したという。英雄譚として名高いが、これも史実かどうかは確かめられない。

橋を渡ったイングランド軍に対し、ノルウェー軍は盾を並べた壁を作って戦った。ハラルドは先頭に立って奮戦したが、喉に矢を受けて倒れた。トスティが指揮を継いだが、彼も討たれた。船から鎧をつけて駆けつけた援軍が一時は押し返したものの、やがて崩れた。夕方には、ノルウェー軍は壊滅していた。ハロルドは、生き残ったハラルドの息子オーラフに、二度とイングランドを攻めないと誓わせて帰国を許した。300隻で来た船団のうち、帰りに要ったのは24隻だけだったと伝えられる。
勝利の喜びは長く続かなかった。3日後の9月28日、ギヨームの軍が南の海岸ペヴェンジーに上陸した。ハロルドは疲れ切った軍を率いて再び南へ取って返し、10月14日、ヘイスティングズの戦いで敗れて戦死した。スタムフォード・ブリッジから19日後のことである。北の敵を倒した直後でなければ、南の戦いの結果は違っていたかもしれない、という見方は根強い。

この戦いは、しばしばヴァイキング時代の終わりを告げるものとされる。793年のヴァイキングの襲来から273年。北欧の王が大軍を率いてイングランドの王位を狙った遠征は、これが最後になった。勝ったのは、北の血を引くノルマンディー公だった。その祖先も、かつてフランスの海岸に住みついたヴァイキングである(ノルマンディー公国の成立)。ハラルドの遺体は翌年ノルウェーに運ばれ、彼が建てたトロンハイムの教会に葬られたという。