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Event / できごと

スタムフォード・ブリッジの戦い

Battle of Stamford Bridge
AD1066年9月25日
重要度 4

概要

ノルウェー王ハラルド苛烈王が1万でヨークに上陸し、イングランド王ハロルドが4日で300キロ北上して奇襲した。橋の上で一人のノルウェー人が斧で40人を止めた。苛烈王は喉に矢を受けて死に、300隻のうち24隻が帰った。ヴァイキング時代の終わり。19日後、ヘイスティングス。

場所

スタムフォード・ブリッジ
53.99°N -0.91°E · イングランド・ヨークシャー

関わった人(1)

ハラルド苛烈王AD1015年–AD1066年9月25日 · 戦死

本文

1066年1月5日、エドワード懺悔王が死んだ。 子がなかった。 ハロルド・ゴドウィンソン。 翌日、戴冠。 ノルマンディー公ギヨーム。 「エドワードは、私に約束した」。 「ハロルドは、私に誓った」。 ノルウェー王ハラルド。 「ハーデクヌーズが、マグヌスに約束した。 私は、マグヌスの後継者」。 トスティ。 ハロルドの弟。 ノーサンブリア伯を追われて、 兄を恨んで、 ハラルドの所へ。

9月。 ハラルド。 300隻。 1万から1万5000。 オークニー、 スコットランド。 トスティが合流。 9月18日、 ハンバー河口。 リッコール。 9月20日、 フルフォード。 ヨークの手前。 ノーサンブリア伯モーカーと、 マーシア伯エドウィン。 兄弟。 負けた。 ヨークは開城。 人質。 9月25日、 スタムフォード・ブリッジで、 人質を受け取る約束。 ダーウェント川。 ヨークから12キロ。

ハロルド。 南海岸で、 ギヨームを待っていた。 9月8日、 兵の食糧が尽きて、 解散した。 ハラルド上陸の報せ。 ロンドンから、 北へ。 4日か5日。 300キロ。 9月24日、 タッドカスター。 9月25日、 朝、 ヨークを通って、 スタムフォード・ブリッジ。 ノルウェー軍は、 鎧を船に置いてきていた。 暑かった。 「盾と、兜と、槍だけ」。 「ハロルドが来た」。 土煙。 「氷が、 太陽に、 光るように」。 サガ。 ハロルドの使者が、 トスティに。 「ノーサンブリアを返す」。 「ノルウェー王には」。 「イングランドの土地を、 7フィート。 背が高いから、 もう少し」。

橋。 ノルウェー人が一人、 斧で、 橋の上に立った。 40人を止めた。 イングランド兵が、 樽に乗って、 川を下って、 橋の下から、 槍で突き上げた。 アングロ・サクソン年代記。 後世の書き足し。 橋を渡った。 ノルウェー軍は、 盾の壁。 ハラルドは、 バーサーカーのように、 両手で剣を、 前に。 喉に矢。 死んだ。 51歳。 トスティが、 指揮を継いだ。 死んだ。 船から、 エイステイン・オッリが、 鎧を着て、 駆けつけて、 「オッリの嵐」。 死んだ。 夕方。 ハロルドは、 ハラルドの息子オーラフを、 帰した。 24隻で。 300隻で来て。

9月28日、 ギヨームが、 ペヴェンジーに上陸した。 3日後。 ハロルドは、 また、 南へ。 10月14日、 ヘイスティングス。 19日。 「ヴァイキング時代の終わり」。 1066年9月25日。 その日と、 793年6月8日の間。 273年。 ハラルドの遺体は、 翌年、 ニダロス(トロンハイム)へ。 聖マリア教会。 自分で建てた。 教会は、 17世紀に壊されて、 墓は、 道の下にある、 と言われる。

同じ時代のできごと

カホキアの繁栄AD1050年プエブロ・ボニートAD1050年頃チャコ・キャニオンの大集落AD1050年頃(最盛期)前九年の役AD1051年(永承6年)末法の始まりAD1052年(永承7年)平等院鳳凰堂AD1053年(天喜元年)東西教会の分裂AD1054年『更級日記』AD1059年頃