概要
復活祭の月曜、パレルモの教会の前でフランス兵が女に触れた。晩祷の鐘で、街のフランス人が全部殺された。6週間で島中。シャルル・ダンジューは島を失い、アラゴンが取った。20年の戦争。ビザンツの皇帝が金を出していた。「シチリアの晩祷」はそれ以来、外国支配への一斉蜂起の名。
場所
38.12°N 13.36°E · イタリア・シチリア州
本文
1266年、ベネヴェント。シャルル・ダンジュー。マンフレーディを殺した。 1268年、タリアコッツォ。コンラディン。16歳。ナポリの広場で首を。 「アンジュー家のシチリア」。 フランス人の役人。フランス人の兵。税。 「ビザンツへ」。シャルルはコンスタンティノープルを取るつもりだった。 ミカエル8世。「金」。 ペドロ3世。アラゴン。妻コスタンツァはマンフレーディの娘。「シチリアは私の妻の」。 ジョヴァンニ・ダ・プローチダ。「密使」。ビザンツ、アラゴン、教皇、シチリアの貴族。伝説。 1282年3月30日。復活祭の月曜。 パレルモ。聖霊教会。街の外。晩祷。 人々が広場に。 フランス兵。ドルーエ。「武器を隠していないか」。女の胸に触れた。 夫が。 「フランス人に死を」。「モラ・モラ」。 鐘。 夜のうちに、パレルモのフランス人、2000人。 修道院の修道士も。 「チチェリ」を発音させた。フランス人は「シシェリ」。殺した。 「コムーネ」。パレルモは共和国を宣言した。教皇に「我々を守ってください」。 4月、コルレオーネ、メッシーナ。 メッシーナは4月28日。シャルルの船を焼いた。 8月、ペドロ3世。トラーパニ。 9月、パレルモ。「シチリア王」。 シャルルはメッシーナを囲んで、退いた。 「決闘」。ボルドーで。1283年。二人とも行って、時間をずらして、戦わなかった。 20年。「晩祷戦争」。 1302年、カルタベッロッタ。「シチリア島はアラゴン。ナポリはアンジュー」。 「二つのシチリア」。 1442年、アルフォンソ5世がナポリも。 1861年まで。 「シチリアの晩祷」。 ヴェルディ。1855年。「レ・ヴェープル・シシリエンヌ」。 ランシマン『シチリアの晩祷』。1958年。 「ミカエル8世が金を出したことは、彼の自伝に」。 「私は神の道具だった」。 「ビザンツが、シチリアの一夜で、救われた」。 「シャルルはコンスタンティノープルに行けなかった」。 ビザンツはあと170年。 「晩祷」。 「外国の支配者への一斉蜂起」の言葉。 1943年、シチリアに連合軍。「晩祷の再来」。 ヘーゲル。「歴史は繰り返す」。 聖霊教会は、いまパレルモの墓地の中。