エディントンの戦い
概要
アルフレッドは冬に沼地のアセルニーに隠れていた。伝説では農婦のパンを焦がした。5月、ウェセックスの兵を集めてグスルムのデーン人を破り、チッペナムに囲んだ。グスルムは洗礼を受け、アルフレッドが代父になった。イングランドが残った戦い。
場所
51.28°N -2.11°E · イギリス・ウィルトシャー
関わった人(2)
アルフレッド大王AD849年頃–AD899年10月26日 · 勝ったグスルム?–AD890年 · 洗礼を受けた本文
865年、デンマークなどから来たヴァイキングの大軍がイングランド東部に上陸した(大異教軍のイングランド上陸)。それまでの、夏に来て略奪しては帰る襲撃と違い、この軍は冬もイングランドにとどまり、王国を一つずつ倒していった。867年にはノーサンブリアのヨークが落ち、869年にはイースト・アングリアの王エドマンドが殺され、874年にはマーシアの王が国を捨てて逃げた。7世紀以来いくつもあったアングロ・サクソン人の王国のうち、自分の王を戴いて残っていたのは、南西のウェセックスだけになった。
871年、ヴァイキングの軍はウェセックスに攻め込んだ。王エセルレッドと弟のアルフレッド大王はアシュダウンで勝ったものの、その年は大小9度の戦いを重ね、春にエセルレッドが死ぬと、21歳か22歳のアルフレッドが王になった(アルフレッド大王のウェセックス)。疲れ切ったウェセックスは、金を払って敵を退かせるしかなかった。

876年、ヴァイキングの首領の一人グスルムが再びウェセックスに入り、南岸のウェアハムやエクセターを占めた。アルフレッドは誓いと人質を交わして彼らを退かせたが、グスルムは大胆な手に出る。878年の1月、クリスマスの祝いが終わった直後の真冬に、ウェセックスの王の館があったチッペナムを奇襲したのである。戦いの季節ではない冬の攻撃に、ウェセックスは備えていなかった。多くの者が海の向こうへ逃れ、残った者の多くはデーン人に従った。
アルフレッドは少数の供を連れて森と沼地に逃げ込み、サマセットの湿地に浮かぶ小島アセルニーに砦を築いて身を潜めた。このときの話として有名なのが、身分を隠して身を寄せた農家で、おかみさんにパンの番を頼まれたのに、考えごとをしていて焦がしてしまい、叱りつけられたという逸話である。ただしこれは、のちの聖人伝に初めて現れる話で、事実とは考えられていない。竪琴弾きに化けてデーン人の陣に入り込み、様子を探ったという話も、12世紀の歴史家が伝える伝説である。確かなのは、アルフレッドがこの沼地からデーン人に小さな攻撃を仕掛け続け、王はまだ生きているという知らせを国に送り続けたことである。のちにアセルニーの近くでは、「アルフレッドが私を作らせた」と古い英語で刻まれた金と七宝の飾り(アルフレッドの宝石)が見つかっている。

5月、アルフレッドは沼地を出て、「エグバートの石」と呼ばれた場所に、サマセット、ウィルトシャー、ハンプシャーの人々を呼び集めた。年代記によれば、人々は王の姿を見て喜んで迎えた。その2日後、軍はエサンドゥン、いまのウィルトシャーのエディントンとみられる場所で、グスルムの軍とぶつかった。アルフレッドの伝記を書いた修道士アッサーは、王は密集した盾の壁を作って長く激しく戦い、神の助けで勝利を得た、と記している。アルフレッドは逃げる敵をチッペナムの砦まで追って囲み、14日後、飢えと寒さと恐怖に耐えかねたデーン人は降伏した。
降伏の条件として、グスルムはウェセックスを去り、キリスト教の洗礼を受けることを誓った。3週間後、グスルムは30人の首だった仲間とともに、アセルニーに近いアラーの村にやってきて洗礼を受け、アルフレッドが代父となった。グスルムにはエセルスタンという洗礼名が与えられ、近くのウェドモアの王の館で12日間もてなされた。昨日までの敵を、霊的な息子として迎えたのである。グスルムは約束を守って、まずマーシアへ、やがてイースト・アングリアへ移り、そこでキリスト教徒の王として国を治めた。

エディントンの勝利は、ウェセックスを、そしてのちのイングランドを生き残らせた戦いと呼ばれる。もしここで敗れていれば、イングランドのすべてがデーン人の王の下に入り、英語や、その後のイングランドの王国の形もずいぶん違ったものになっていただろうと考えられている。勝利の後、アルフレッドは、二度と不意を突かれないよう、国じゅうに城壁で囲んだ町(バラ)を築き、兵を半分ずつ交代で動員する仕組みを作り、船を造らせた。やがてグスルムとの間で、両者の支配する土地の境を定める取り決めも結ばれた(ダーンローの成立)。
アルフレッドは学問の立て直しにも力を注ぎ、自らラテン語の書物を英語に訳した。彼の時代に編まれはじめた『アングロ・サクソン年代記』は、この戦いを伝えるもっとも大切な記録の一つになっている。戦いの正確な場所はいまも分かっておらず、ウィルトシャーのエディントンの近くとする説が有力で、そこには戦いを記念する石が置かれている。イングランドの王のうち、後世「大王」と呼ばれるのはアルフレッドただ一人である。