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Event / できごと

エディントンの戦い

Battle of Edington
AD878年5月
重要度 4

概要

アルフレッドは冬に沼地のアセルニーに隠れていた。伝説では農婦のパンを焦がした。5月、ウェセックスの兵を集めてグスルムのデーン人を破り、チッペナムに囲んだ。グスルムは洗礼を受け、アルフレッドが代父になった。イングランドが残った戦い。

場所

エディントン
51.28°N -2.11°E · イギリス・ウィルトシャー

関わった人(2)

アルフレッド大王AD849年頃–AD899年10月26日 · 勝ったグスルム?–AD890年 · 洗礼を受けた

本文

865年、大異教軍。 ノーサンブリア、イースト・アングリア、マーシア。 ウェセックスだけ残った。 871年、アシュダウン。アルフレッドの兄エセルレッド。勝った。同じ年に9回戦った。エセルレッドが死に、アルフレッド、22歳。 負けて、金で退かせた。 876年、グスルム。ウェアハム。エクセター。 878年1月、チッペナム。冬。ウェセックスの王宮を奇襲。十二夜の直後。 アルフレッドは逃げた。「少数の兵で、森と沼を行った」。アセルニー。サマセットの沼の島。 伝説。農婦の家。「パンを見ていて」。焦がした。叱られた。12世紀の話。 伝説。竪琴弾きに変装してデーン人の陣に入って偵察した。 沼から。 5月、エグバートの石。サマセット、ウィルトシャー、ハンプシャーの兵。「王を見て喜んだ。死んだと思っていた」。 エディントン。エサンドゥン。 「盾の壁で戦い、長く戦い、神の助けで勝った」。アッサー。 チッペナムまで追った。14日。 グスルムは降った。 ウェドモアの条約。 3週間後、アラー。グスルムと30人が洗礼。「エセルスタン」。アルフレッドが代父。 12日の祝宴。 グスルムはイースト・アングリアへ。 ウェセックスは残った。

「イングランドが残った戦い」。 負けていれば、イングランドは全部デーン人の土地。英語も、法も、王も。 アルフレッド。「大王」。「グレート」の名がつく唯一のイングランド王。 バラ(城壁の街)。ウェセックス中に。 海軍。 学問。「私が王になったとき、テムズの南でラテン語の手紙を読める司祭はほとんどいなかった」。ボエティウス、グレゴリウス、オロシウス、ベーダを英語に。自分で。 『アングロサクソン年代記』。 アッサーの『アルフレッド王の生涯』。 アセルニーには、いま記念碑。沼は干拓された。 エディントンの場所は、正確には分からない。ウィルトシャーのエディントンが、たぶん。 878年。ロシアのリューリクの16年後。北欧が、東と西で、国を作らせていた。

同じ時代のできごと

藤原良房の摂政AD858年ルーシの成立AD862年ノヴゴロドのルーシAD862年スラヴ語への伝道AD863年ブルガリアの改宗AD864年大異教軍のイングランド上陸AD865年応天門の変AD866年(貞観8年)閏3月マケドニア朝の始まりAD867年9月24日