人物

エギル・スカラグリムソン

Egil Skallagrimsson
AD910年頃 – AD990年頃(享年80・推定)
アイスランド重要度 3

概要

醜く、暴れ、詩を作った。7歳で人を殺した。ノルウェー王エイリーク血斧と争い、ヨークで捕えられて、一晩で王を讃える詩を作って命を買った。「首の贖い」。息子を海で失って『息子の喪失』。老いて盲目になり、銀を隠して死んだ。『エギルのサガ』。

本文

エギル・スカラグリムソンの生涯を伝えるのは、13世紀の前半にアイスランドで書かれた『エギルのサガ』である。作者の名は記されていないが、歴史家で詩人のスノッリ・ストゥルルソン(スノッリ・ストゥルルソン)が書いたとする説が有力だ。サガが書かれたのは、エギルが生きた10世紀から200年以上のちのことで、どこまでが事実かは分からない。ただ、サガの中にはエギル自身が作ったとされる詩がいくつも収められ、その一部は10世紀の詩人の作が口伝えで残ったものと考えられている。

サガによれば、エギルの一族は、ノルウェーの豪族の家だった。祖父クヴェルドウールヴは「夕方の狼」という意味のあだ名を持ち、夕方になると不機嫌になって人を寄せつけず、狼に変身するとも噂された。ノルウェーを統一しようとするハーラル美髪王(ハーラル美髪王)と一族は対立し、王に伯父を殺された父スカラグリム(禿のグリム)は、ノルウェーを捨ててアイスランドへ渡った(アイスランド入植)。彼は島の西部のボルグに農場を開いた。エギルはそこで910年ごろに生まれた。

アイスランド入植に関わる図版:The Norwegians land in Iceland year 872
アイスランド入植Wikimedia Commons Oscar Wergeland · Public domain

エギルは、父に似て色黒で大柄、ひどく醜い頭の大きな子だったと、サガは書く。言葉を覚えるのは早く、3歳で詩を作ったという。そして手のつけられない乱暴者だった。7歳のとき、球技で年上の少年に負かされて腹を立て、斧でその少年を殺した。母は、この子はヴァイキングになるだろう、大きくなったら軍船をあてがってやろうと言ってほめたという。暴力と名誉が分かちがたく結びついた社会の物語である。

若くして兄ソーロールヴとともにノルウェーへ渡ったエギルは、王位に就いたエイリーク血斧王とその妃グンヒルドと、生涯にわたる敵になった。ある宴で、毒の入った杯を差し出されたとき、エギルは手のひらを切ってその血でルーン文字を杯に刻み、詩を唱えると、杯は砕け散ったという。やがて王の一族の者を殺し、ノルウェーを追われるとき、エギルは岬に柱を立てて馬の首を突き刺し、罵りの柱とした。そしてルーン文字で呪いを刻み、この国の土地の精霊たちが、エイリークとグンヒルドをこの国から追い出すまで、さまよい続けるようにと唱えた。のちにエイリークは実際にノルウェーを追われている。

ベルグ=エニュンドルと決闘(ホルムガング)するエギル(ヨハネス・フリントー画)
ベルグ=エニュンドルと決闘(ホルムガング)するエギル(ヨハネス・フリントー画)Wikimedia Commons Johannes Flintoe · Public domain

その後、兄弟はイングランドのアゼルスタン王に仕え、北の王たちとの大きな戦いに加わった。937年のブルナンブルフの戦いのことだと考えられている。この戦いで兄ソーロールヴが討ち死にした。アゼルスタン王は、兄の死の償いとして、エギルに銀を詰めた二つの箱を与えた。

サガで最も名高い場面は、イングランドのヨークで起きる。ノルウェーを追われたエイリーク血斧王は、そのころヨークの王になっていた。そこへ、嵐で船を失ったエギルが流れ着き、宿敵の手に落ちた。友人アリンビョルンの取りなしで、エギルは一晩の猶予を与えられ、王をたたえる詩を作ることになった。窓辺に止まった燕のさえずりに邪魔されながら、彼は夜通しで20節の詩を作り上げ、翌朝、王の前で朗唱した。王の武勇と気前のよさをたたえるその詩に、エイリークは、エギルの命を許して去らせた。この詩は「首の贖い」と呼ばれている。

アイスランドに戻ったエギルは、父の農場を継いだ。だが晩年、彼を大きな悲しみが襲った。息子のボズヴァルが、嵐の海で溺れ死んだのである。エギルは息子の亡骸を祖父の塚に葬ると、寝床に閉じこもり、食も水も断って死のうとした。そこへ嫁いでいた娘のソルゲルズが駆けつけ、自分も父と一緒に死ぬと言って寝床に入った。彼女は、父に海藻を噛ませて喉を渇かせ、水と偽って乳を飲ませた。そして、死ぬ前に、ボズヴァルを悼む詩を作ってほしい、それを娘の私が木に刻もうと頼んだ。エギルは詩を作り始め、作るうちに生きる力を取り戻していった。この詩『息子の喪失』の中で、彼は、海が自分の一族の血を奪ったと嘆き、自分から息子を奪った神オーディンを恨みながらも、その神が自分に悲しみを癒す詩の技を与えてくれたと歌う。父親が自分の子の死を悼んだ詩として、北ヨーロッパに残るもののうち最も古く、最も心を打つ作品の一つとされている。

老いたエギルは目が見えなくなり、耳も遠くなって、炉の火のそばで足を温めていると、女中たちに邪魔だと追い立てられた。サガは、かつての猛者の哀れな老いを容赦なく描く。それでも彼は最後まで偏屈だった。アゼルスタン王にもらった銀の箱を、島じゅうの人が集まる集会(アルシングの開設)の場でばらまき、人々が奪い合って殴り合うのを見てやろうと言い出した。家の者がそれを止めると、彼は夜中に二人の奴隷を連れて銀を持ち出し、どこかに隠して戻ってきた。奴隷たちは帰ってこなかった。銀の行方は、いまも分からない。エギルは990年ごろ亡くなった。

サガには、後日談がある。アイスランドがキリスト教を受け入れたあと(アイスランドのキリスト教受容)、エギルの骨は掘り出されて教会の墓地に移された。その頭蓋骨は並外れて大きく重く、斧の背で打っても割れず、白くなるだけだったという。1990年代、アメリカのアイスランド史の研究者は、サガに描かれた醜い顔、大きく硬い頭蓋骨、晩年の失明と難聴や足の冷えといった特徴から、エギルは骨が厚く変形する病気、パジェット病だったのではないかと唱えた。サガの描写が、実在した人の病の記録をもとにしている可能性を示す説として注目された。

アイスランドのキリスト教受容に関わる図版:1630 IJsland Blaeu HR'
アイスランドのキリスト教受容Wikimedia Commons Willem Blaeu · Public domain

エギルは、殺人も略奪もいとわない乱暴者であり、同時に、アイスランドで最も偉大な詩人の一人とされる。故郷のボルガルネスの町には、息子の亡骸を運ぶ彼の姿を表した彫刻がある。

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