大異教軍のイングランド上陸
概要
デーン人の大軍が略奪ではなく征服に来た。ヨークを取り、四つの王国のうち三つを潰す。残ったウェセックスのアルフレッドが持ちこたえる。
場所
53.96°N -1.09°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
グスルム?–AD890年 · 王の一人本文
865年の秋、デーン人、つまりデンマークやスカンディナヴィアから来たヴァイキングの大軍が、イングランドの東部、イースト・アングリアに上陸した。同時代の『アングロ・サクソン年代記』は、この軍を「大いなる異教の軍」と呼んでいる。
ヴァイキングがイングランドを襲うのは、初めてではなかった。793年、北東部のリンディスファーンの修道院が襲われ(ヴァイキングの襲来)、その後も海岸の町や修道院が繰り返し荒らされていた。だが、それまでの襲撃の多くは、夏に来て、奪って、帰るものだった。大陸でも、845年にはヴァイキングのパリ包囲が起きている。

865年の軍は違った。上陸したまま冬を越し、イングランドにとどまった。数については、数千人とする見方が多いが、数百人規模にすぎなかったとする説もあり、決着していない。率いていたのは、骨無しのイーヴァルやハールヴダンといった首領たちだった。後の伝説では、彼らは伝説の英雄ラグナル・ロズブロークの息子たちで、ノーサンブリアの王に殺された父の仇を討ちに来たのだ、とされる。この話は後世の物語とされている。
当時のイングランドは、一つの国ではなかった。北のノーサンブリア、中部のマーシア、東のイースト・アングリア、南のウェセックスという四つの王国が、それぞれ王を戴いていた。

上陸したデーン人は、イースト・アングリアの王と和を結び、馬を差し出させた。馬を得た軍は、陸の上を速く動けるようになった。866年の秋、北へ進んでノーサンブリアの都ヨークを取った。ノーサンブリアでは、ちょうど二人の王が位を争っていた。二人は手を組んでヨークを取り返そうとしたが、867年の春、ともに戦死した。デーン人は自分たちに従う者を王に立てた。
続いて、軍はマーシアに入り、イースト・アングリアに戻った。869年、イースト・アングリアの王エドマンドが捕らえられて殺された。エドマンドは後に聖人として祀られ、殉教の物語が語られるようになる。874年にはマーシアの王が追われ、海を越えてローマへ逃れた。四つの王国のうち三つが、10年ほどのうちに、デーン人の支配のもとに入った。

残ったのが、南のウェセックスである。870年の暮れ、デーン人はウェセックスに攻め込んだ。翌871年、ウェセックスの王エゼルレッドとその弟アルフレッドは、何度もデーン人と戦った。一度は勝ったが、負けることのほうが多かった。この年の春、エゼルレッドが死に、22歳ほどのアルフレッド大王が王になった(アルフレッド大王のウェセックス)。アルフレッドは、デーン人に金を払って和を結び、しばらく時をかせいだ。
この間に、デーン人の軍は、海の向こうから来た新しい軍で補われていた。その首領の一人がグスルムである。876年、ハールヴダンはノーサンブリアの土地を仲間たちに分け与え、彼らは剣を鋤に持ちかえて農民として住みついた。襲撃者が入植者に変わった。

878年の1月、グスルムは、真冬にウェセックスの王の館があったチッペナムを不意に襲った。アルフレッドは、わずかな供とともに西部の沼地に逃れた。かまどで焼いていた菓子を焦がして、農家の女に叱られたという有名な話は、後の時代に作られた逸話である。アルフレッドは沼地から兵を呼び集め、その年の5月、エディントンでデーン人を破った(エディントンの戦い)。グスルムは洗礼を受け、アルフレッドが代父となった。
その後、アルフレッドとグスルムは取り決めを結び、イングランドを分けた。東と北はデーン人が治め、そこではデーン人の法と慣わしが行われる。この地域は、後にデーンロー、デーン人の法の地と呼ばれるようになった(ダーンローの成立)。
デーン人の入植の跡は、いまもイングランドの東部と北部に残っている。「-by」(村)や「-thorpe」(小さな集落)で終わる地名が、その地域に集中している。英語そのものにも、古ノルド語から入った言葉が多い。they(彼ら)、sky(空)、egg(卵)、take(取る)などは、デーン人とイングランドの人々が隣り合って暮らすなかで英語に入ったとされる。
デーン人の脅威は、皮肉にもイングランドを一つにまとめる力になった。アルフレッドは、各地に防御の町を築き、軍を作り直し、自らを、デーン人の支配の外にいるすべてのイングランド人の王と称した。彼の子と孫たちは、デーンローを少しずつ取り戻し、10世紀には一つのイングランド王国が形を整えた。それでも、ヴァイキングの攻勢は終わらず、11世紀の初めには、デンマークの王クヌートがイングランドの王位につくことになる(クヌートの北海帝国)。