ハフルスフィヨルドの戦い

概要
ハーラルが西ノルウェーの小王たちを海戦で破り、ノルウェーを一つにしたとサガは言う。負けた者と、税を嫌う者が、アイスランドに渡った。アイスランドの入植は、この敗者たちの話でもある。
場所
58.93°N 5.65°E · ノルウェー
関わった人(1)
ハーラル美髪王AD850年頃–AD932年頃 · 勝者本文
9世紀のノルウェーには、一つの国は無かった。長い海岸線とフィヨルドに沿って、それぞれの谷や湾を治める小さな王や豪族が並び立っていた。彼らは互いに争い、海を渡ってイングランドやアイルランドを襲う者も多かった(物語「ヴァイキング」)。そのなかで、南東のヴェストフォルの小王の家から出たハーラル美髪王が、周りの王たちを従えていく。
その話をいまに伝える代表は、13世紀のアイスランドの人スノッリ・ストゥルルソンが書いた王たちの歴史(スノッリ『ヘイムスクリングラ』)である。スノッリによれば、若いハーラルはホルダランドの王女ギューザに求婚したが、ノルウェー全土の王でもない者には嫁がない、と退けられた。ハーラルは、全土を手に入れるまで髪を切らず、櫛も入れないと誓う。髪は伸び放題になり、「もじゃもじゃ頭」と呼ばれた。もっともこれは、戦いから三百年以上のちに書かれた物語であり、どこまでが事実かは分からない。

スノッリの語るところでは、ハーラルは東の地方を手に入れたあと、西の海岸の王たちと対決した。ホルダランド、ローガランド、アグデルの王たちが船を連ねて集まり、両軍は南西の海岸、いまのスタヴァンゲルの近くのハフルスフィヨルドでぶつかった。激しい戦いのなか、アグデルの王の子ソーリルがハーラルの船に挑んで討たれ、敵の王たちは討ち死にするか逃げ去った。
この戦いには、スノッリよりずっと古い証言もある。ハーラルに仕えた詩人ソールビョルン・ホルンクロヴィの作と伝わる詩で、海に浮かぶ船の群れや、熊の皮をまとった狂戦士(ベルセルク)たちが王の船で戦うさまを歌っている。敗れた者たちは盾を背に負って逃げた、とも詠まれている。詩の言葉は誇張を含むが、大きな海戦があったことはこの詩からも確かめられる。

いま、ハフルスフィヨルドの岸には、岩に突き立てられた三本の巨大な剣の像が立っている。1983年に建てられたもので、鞘に収められたまま地に刺さった剣は、戦いが終わり、国が一つになったことを表すとされる。ノルウェーの人びとにとって、この戦いは国の始まりの物語として記憶されてきた。
勝ったハーラルは、十年伸ばした髪をようやく切った。人びとは彼を「美髪王」と呼び、ギューザは約束どおり妻になった、とサガは結ぶ。

ただし、年代と意味については、いまでは大きく見直されている。戦いの年は長く872年とされてきたが、これはサガの記述から逆算したもので、いまでは880年代から900年ごろと見る研究者が多い。また、ハーラルが本当に「ノルウェー」を一つにしたのかも疑われている。彼が押さえたのは西と南の海岸で、内陸や北の地方は豪族たちが治め続けた。のちのノルウェーの王たちは、自分たちの家系をハーラルにつなげることで王位の正しさを主張した。「最初の統一の王」という像には、その後の王家の都合も入り込んでいる。
それでも、この戦いの物語には、もう一つの面がある。負けた側の話である。12世紀から13世紀にアイスランドでまとめられた『植民の書』は、最初の入植者たち四百人あまりの名と、彼らがどこから来たかを書き留めている。そこには、ハーラル王の圧政を嫌って国を出た、という人びとが繰り返し現れる。ハーラルは豪族の土地に税をかけ、従わない者の財を取り上げた、とサガは語る。詩人エギル・スカラグリムソンの一族も、ハーラルと争ってアイスランドへ渡った家だった。
アイスランドへの入植は870年代に始まり(アイスランド入植)、その後の数十年で、数万人がこの島に移り住んだと推定されている。彼らは王を立てず、930年には豪族たちが集まって法を決める集会を開いた(アルシングの開設)。ハーラルの勝利の物語は、海の向こうに王のいない社会を生んだ物語として、アイスランドの人びと自身によって語り継がれたのである。