できごと

ラグナル・ロズブローク(伝承)

Ragnar Lodbrok
AD850年頃(伝承)
年に諸説あり重要度 3
ラグナル・ロズブローク(伝承)に関わる図版:Harley MS 2278, folio 39r excerpt
Harley MS 2278, folio 39r excerpt Wikimedia Commons Uncertain. The manuscript may have been compiled under the direction of John Lydgate (d. 1449/1450). · Public domain

概要

サガの英雄。「毛のズボン」。竜を殺し、パリを略奪し、ノーサンブリアの王に蛇の穴に投げ込まれて「子豚たちが、老いた猪の死を聞いたら唸るだろう」と歌った。息子たちが大異教軍を率いた。実在したかは分からない。845年にパリを囲んだラグナルは、いた。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

関わった人(1)

ラグナル・ロズブローク英雄

本文

ラグナル・ロズブロークの物語は、主に三つの書物に伝わる。12世紀の終わりにデンマークのサクソ・グラマティクスが書いた『デンマーク人の事績』、13世紀のアイスランドで書かれた『ラグナルのサガ』、そしてその続きにあたる『ラグナルの息子たちの話』である。いずれも、ラグナルが生きたとされる9世紀から300年以上後の書物で、英雄の物語として語られている。

サガによると、ラグナルは若い頃、イェータランドの領主の娘トーラが、贈られた小さな蛇が巨大に育って館を取り巻き、困っていると聞いた。彼は毛皮のズボンと上着を作らせ、タールで煮て砂をまぶし、蛇の毒が通らないようにして挑み、槍で蛇を倒した。「ロズブローク」は「毛むくじゃらのズボン」の意味で、このあだ名はここから来たとされる。ラグナルはトーラを妻にしたが、彼女は病で死んだ。

クラカ(アスラウグ)を手に入れたラグナル。アーギュスト・マルムストレム画。
クラカ(アスラウグ)を手に入れたラグナル。アーギュスト・マルムストレム画。Wikimedia Commons August Malmström · Public domain

次の妻はノルウェーの貧しい農家で育ったクラーカである。美しい娘がいると聞いたラグナルは、服を着ても裸でもなく、食べても空腹でもなく、一人でも連れがいてもいない姿で来い、と難題を出した。娘は漁の網を身にまとい、玉ねぎをかじり、犬を連れて現れた。のちに娘は、自分が竜殺しの英雄シグルズと戦乙女ブリュンヒルドの娘アスラウグで、竪琴の中に隠されて育ったのだと明かす。この部分は、北欧の英雄伝説『ヴォルスンガ・サガ』の続きとして作られたと考えられている。

二人の間には、骨無しのイーヴァル、鉄の脇腹のビョルン、白シャツのフヴィートセルク、そして目に蛇の模様を持つシグルズらが生まれた。息子たちが遠征で名を上げると、ラグナルは負けまいとして、わずか2隻の大船でイングランドへ向かった。船はノーサンブリアの岸で座礁し、ラグナルは王エッラに捕らえられて、蛇の穴に投げ込まれた。死ぬ前に、子豚たちは老いた猪の苦しみを知れば唸るだろう、と言ったと伝えられる。息子たちの復讐を予言した言葉である。12世紀頃の詩『クラーカの歌』は、蛇の穴でラグナルが自分の戦いを歌い上げる形をとり、笑って死のう、と結ばれる。

トシュルンダ出土の青銅板の一枚。けもの皮の脛衣をまとい獣を討つ戦士はラグナル・ロズブロークと同定されたことがある
トシュルンダ出土の青銅板の一枚。けもの皮の脛衣をまとい獣を討つ戦士はラグナル・ロズブロークと同定されたことがあるWikimedia Commons Knut Stjerna (1874-1909) · Public domain

父の死を知った息子たちはイングランドに攻め込み、エッラを捕らえて、背中を切り開き肋骨を翼のように広げる「血の鷲」の刑に処したとされる。ただし、この刑が本当に行われたのか、古い詩の言い回しを後世の人が誤って読んだものなのかは、研究者の間で議論が続いている。

では、史実はどうか。フランク王国の年代記によれば、845年、「ラグネリ」と呼ばれる首領が率いるヴァイキングの船団がセーヌ川をさかのぼってパリを襲い、西フランク王シャルル(禿頭王)は銀7000リーヴルを払って引き揚げさせた(ヴァイキングのパリ包囲)。ラグネリは帰国後、病で死んだと記録されている。865年には、イーヴァル、ハールヴダン、ウッバらに率いられた大軍がイングランドに上陸した(大異教軍のイングランド上陸)。866年にヨークが落ち、867年、ノーサンブリア王エッラはその戦いで死んだ。869年にはイースト・アングリア王エドマンドが殺され、のちに聖人として祀られた。

ラグナルとクラーカの出会い(19世紀画家マッテン・エシル・ヴィンゲ画)
ラグナルとクラーカの出会い(19世紀画家マッテン・エシル・ヴィンゲ画)Wikimedia Commons Mårten Eskil Winge · Public domain

イーヴァルやハールヴダンが実在したことは、イングランドやアイルランドの年代記から確かめられる。ダブリンを支配したイーマルという王をイーヴァルと同じ人物とみる研究者も多い。息子たちの軍勢はやがてイングランドの東半分を押さえ、アルフレッド大王との戦いを経て、デーン人の法が行われる地域が生まれた(ダーンローの成立)。

しかし、その父がラグナルという一人の人物だったのか、845年にパリを襲ったラグネリと同じ人物なのかは分からない。年代としてはあり得ないことではないが、確かな証拠は無い。多くの研究者は、ラグナルは9世紀の何人かの首領の記憶が一人の英雄に重ねられ、後から息子たちの父として据えられた人物だと考えている(ラグナル・ロズブローク)。

1880年刊、ノルステッツ社の挿絵入り大型本『ラグナル・ロズブローク・サガ』
1880年刊、ノルステッツ社の挿絵入り大型本『ラグナル・ロズブローク・サガ』Wikimedia Commons Norstedts · Public domain

ラグナルの名は、近代になって再び広く知られるようになった。2013年に始まったテレビドラマ『ヴァイキング』で、俳優トラヴィス・フィメルが演じたラグナルは、ヴァイキングそのものの顔になった。史実か物語かの境はあいまいなままだが、蛇の穴で笑って死ぬ王の姿は、800年以上語り継がれている。

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