人物

レイフ・エリクソン

Leif Erikson
AD970年頃 – AD1020年頃(享年50・推定)
ノルウェー重要度 3

概要

グリーンランドから西へ渡り、北アメリカに足をつけた。コロンブスの約500年前。

関わったできごと(1)

ヴィンランド到達AD1000年頃 · 当人

本文

レイフ・エリクソンについて知られていることの多くは、13世紀にアイスランドで書きとめられた二つのサガ、『グリーンランド人のサガ』と『赤毛のエイリークのサガ』による。出来事から200年以上のちに、口伝えの物語をまとめたもので、二つのサガは肝心なところで食い違う。

レイフは970年ごろ、アイスランドで生まれたとされる。アイスランド入植から1世紀ほどたち、北欧の人々が島に根を下ろしていたころである。父は赤毛のエイリーク、赤毛のエイリークと呼ばれた男で、その父の代にノルウェーで人を殺して追われ、アイスランドへ移ってきた家だった。エイリーク自身もアイスランドで争いを起こして人を殺し、3年の追放を言い渡された。

アイスランド入植に関わる図版:The Norwegians land in Iceland year 872
アイスランド入植Wikimedia Commons Oscar Wergeland · Public domain

追放のあいだに、エイリークは西の海の向こうにあると噂された陸地を探しに出て、巨大な島の南西岸に、牧草の育つフィヨルドを見つけた。帰ってくると、この土地を「緑の国」(グリーンランド)と名づけて入植者を募った。良い名をつければ人が行きたがるだろうから、とサガは書く。985年ごろ、二十数隻の船が出て、着いたのは十数隻だった(ノルウェー人のグリーンランド入植)。少年のレイフも、この入植者の中にいたと考えられている。

『グリーンランド人のサガ』によれば、西の陸地を最初に見たのは、レイフではない。グリーンランドへ向かう途中で霧に迷ったビャルニという商人が、森に覆われた見知らぬ海岸を遠くに見ながら、上陸せずに引き返してきた。何年かのち、レイフはそのビャルニの船を買い取り、35人の仲間を連れて西へ漕ぎ出した。

エリクソンが描かれた1968年のアメリカの切手。
エリクソンが描かれた1968年のアメリカの切手。Wikimedia Commons Bureau of Engraving and Printing · Public domain

最初に着いた土地は、平たい岩ばかりで草も無かった。レイフはそこをヘルランド(平石の国)と名づけた。次の土地は白い砂浜の後ろに森が広がり、マルクランド(森の国)と名づけた。さらに南へ進むと、川には鮭があふれ、冬にも霜が降りず、牧草が枯れない土地に着いた。一行はここに家を建てて冬を越した。仲間の一人が野生のぶどうを見つけたので、レイフはこの地をヴィンランド(ぶどうの国)と名づけた(ヴィンランド到達)。春になると、木材とぶどうを船に積んでグリーンランドへ帰った。

もう一つの『赤毛のエイリークのサガ』では、話が違う。レイフはノルウェーへ渡り、キリスト教を広めていた王オーラヴ・トリュッグヴァソンに仕えて洗礼を受け、グリーンランドに信仰を伝えるよう命じられた。その帰りの航海で嵐に流され、偶然、ぶどうと小麦の生える土地に行き着いた、という。途中で難破した人々を救ったことから「幸運なレイフ」と呼ばれた、とも書く。グリーンランドに戻ったレイフは、母のショーズヒルドを改宗させ、母は教会を建てた。父のエイリークは古い神々を捨てなかった。北欧の人々のキリスト教への移り変わりの時代だった(アイスランドのキリスト教受容)。

アイスランドのキリスト教受容に関わる図版:1630 IJsland Blaeu HR'
アイスランドのキリスト教受容Wikimedia Commons Willem Blaeu · Public domain

レイフのあと、弟のソルヴァルドがヴィンランドに渡ったが、土地の人々との争いで矢を受けて死んだ。サガは彼らを「スクレーリング」と呼んでいる。のちに、アイスランド人のソルフィン・カルルセヴニが、家畜を連れた男女を率いて本格的な入植を試み、その地で息子のスノッリが生まれた(ヴィンランドへの入植)。だが土地の人々との交易は争いに変わり、数年で引き揚げた。少ない人数で、遠い故郷からの補給も無く、多くの土地の人々を相手に暮らしていくことはできなかった。

長いあいだ、ヴィンランドの話は伝説と考えられていた。1960年、ノルウェーのイングスタ夫妻が、カナダのニューファンドランド島の北端、ランス・オ・メドーで、北欧式の芝土の建物の跡を見つけた。発掘で、8棟ほどの建物、鉄を鍛えた鍛冶場、北欧の衣服の留め針や紡錘車が出てきた。北欧の人々がコロンブスより前に北アメリカに来ていたことが、ここで確かめられた。2021年には、木材に残る年輪と、ある年に地球に降り注いだ宇宙線の痕跡から、ここで木が切られたのは1021年だったと特定されている。遺跡からは、もっと南にしか育たないクルミの仲間の実(バターナッツ)も見つかり、北欧の人々はさらに南まで足を延ばしていたと考えられる。ただし、ここがサガのヴィンランドそのものなのか、その入口だったのかは、まだ議論がある。

レイフ・エリクソン像(アメリカ、ダルース)
レイフ・エリクソン像(アメリカ、ダルース)Wikimedia Commons Sculptor Daniels, John K. 1875-1978 Photo: Sharon Mollerus · CC BY 2.0

レイフは父のあとを継いでグリーンランドの首長となり、1020年ごろに死んだとされる。ヴィンランドへの航海はやがて途絶え、グリーンランドの北欧人の集落そのものも、15世紀には消えた(ノルウェー領グリーンランドの終焉)。コロンブスの約500年前、ヨーロッパ人は確かに大西洋の向こうに足をつけていた。そして、この到達は大陸の歴史を何も動かさなかった。アメリカでは1964年から、10月9日がレイフ・エリクソンの日とされている。

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