概要
デンマーク王の息子がイングランドを征服し、デンマークとノルウェーも継いで、北海を囲む帝国を作った。19年で消えた。「波よ戻れ」と命じて濡れた話は、王の力の限界を見せるためだったと伝わる。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
クヌートAD990年頃–AD1035年11月12日 · 王本文
クヌート。 スヴェン双叉髭王の次男。 1013年、父とイングランドへ。 父は1014年2月に死んだ。 イングランドは、逃げていたエゼルレッドを呼び戻した。 クヌートは、人質の手と鼻を切って、サンドウィッチの浜に置いて、 デンマークへ帰った。 1015年、200隻で戻った。 1016年4月、エゼルレッドが死んだ。 息子エドマンド剛勇王。 1016年、6回戦った。 10月、アッシンドン。 クヌートが勝った。 イングランドを二つに分けた。 エドマンドはウェセックス、クヌートは残り。 11月30日、エドマンドが死んだ。 「病気」。 「暗殺」。 クヌートが全部。
1017年、エゼルレッドの寡婦エマと結婚した。 ノルマンディー公の妹。 エゼルレッドの息子たちはノルマンディーへ。 その一人が、 エドワード懺悔王。 1018年、デンマーク王。 兄が死んだ。 1028年、ノルウェー。 オーラフ・ハラルドソンを追い出した。 スウェーデンの一部も。 「北海帝国」。 イングランド、デンマーク、ノルウェー。 デンマーク人が、イングランドに税を課し、 イングランドの銀で、デンマークの軍を養った。 「デーンの法」。 イングランド人には、イングランドの法。 エドガーの法を、確認した。 教会に金を出した。 1027年、ローマ。 皇帝コンラート2世の戴冠式。 皇帝の隣を歩いた。 「私は、 教皇と、皇帝と、諸侯に、 イングランドとデンマークの巡礼者と商人が、 通行税なしに通れるよう、頼んだ」。 手紙。 イングランドへ。 「私は、あなたたちの利益のために、 これをした」。
波。 ハンティンドンのヘンリー。 1130年頃。 「クヌートは、廷臣が『王は海も従える』と言うのを聞いて、 玉座を浜に置かせ、 『海よ、私の足を濡らすな』と命じた。 波は足を濡らした。 王は言った。 『王の力は、空しい。 王の名に値するのは、 天と地と海が永遠の法で従う、 ただ一人』。 それから、王冠を二度とかぶらず、 十字架の上に置いた」。 「王の傲慢」ではなく、 「王の謙虚」の話だった。 逆に語られるようになった。
1035年11月、シャフツベリーで死んだ。 40歳ほど。 ウィンチェスター。 息子ハロルド兎足王(イングランド)と、 ハーデクヌーズ(デンマーク)。 1042年、両方が死んだ。 エドワード懺悔王が、ノルマンディーから帰った。 帝国は、17年で消えた。 デンマークは、ノルウェーを失った。 1066年、 ハラルド苛烈王が、 クヌートの帝国を取り戻しに来た。 ハロルド・ゴドウィンソンが、 クヌートの家臣の息子として、 迎え撃った。 ヴィルヘルムが、 エマの一族として、 来た。 1066年は、 クヌートの帝国の三つの残りが、 争った年になる。