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Event / できごと

クヌートの北海帝国

Cnut's North Sea Empire
AD1016年
重要度 4

概要

デンマーク王の息子がイングランドを征服し、デンマークとノルウェーも継いで、北海を囲む帝国を作った。19年で消えた。「波よ戻れ」と命じて濡れた話は、王の力の限界を見せるためだったと伝わる。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

クヌートAD990年頃–AD1035年11月12日 · 王

本文

クヌート。 スヴェン双叉髭王の次男。 1013年、父とイングランドへ。 父は1014年2月に死んだ。 イングランドは、逃げていたエゼルレッドを呼び戻した。 クヌートは、人質の手と鼻を切って、サンドウィッチの浜に置いて、 デンマークへ帰った。 1015年、200隻で戻った。 1016年4月、エゼルレッドが死んだ。 息子エドマンド剛勇王。 1016年、6回戦った。 10月、アッシンドン。 クヌートが勝った。 イングランドを二つに分けた。 エドマンドはウェセックス、クヌートは残り。 11月30日、エドマンドが死んだ。 「病気」。 「暗殺」。 クヌートが全部。

1017年、エゼルレッドの寡婦エマと結婚した。 ノルマンディー公の妹。 エゼルレッドの息子たちはノルマンディーへ。 その一人が、 エドワード懺悔王。 1018年、デンマーク王。 兄が死んだ。 1028年、ノルウェー。 オーラフ・ハラルドソンを追い出した。 スウェーデンの一部も。 「北海帝国」。 イングランド、デンマーク、ノルウェー。 デンマーク人が、イングランドに税を課し、 イングランドの銀で、デンマークの軍を養った。 「デーンの法」。 イングランド人には、イングランドの法。 エドガーの法を、確認した。 教会に金を出した。 1027年、ローマ。 皇帝コンラート2世の戴冠式。 皇帝の隣を歩いた。 「私は、 教皇と、皇帝と、諸侯に、 イングランドとデンマークの巡礼者と商人が、 通行税なしに通れるよう、頼んだ」。 手紙。 イングランドへ。 「私は、あなたたちの利益のために、 これをした」。

波。 ハンティンドンのヘンリー。 1130年頃。 「クヌートは、廷臣が『王は海も従える』と言うのを聞いて、 玉座を浜に置かせ、 『海よ、私の足を濡らすな』と命じた。 波は足を濡らした。 王は言った。 『王の力は、空しい。 王の名に値するのは、 天と地と海が永遠の法で従う、 ただ一人』。 それから、王冠を二度とかぶらず、 十字架の上に置いた」。 「王の傲慢」ではなく、 「王の謙虚」の話だった。 逆に語られるようになった。

1035年11月、シャフツベリーで死んだ。 40歳ほど。 ウィンチェスター。 息子ハロルド兎足王(イングランド)と、 ハーデクヌーズ(デンマーク)。 1042年、両方が死んだ。 エドワード懺悔王が、ノルマンディーから帰った。 帝国は、17年で消えた。 デンマークは、ノルウェーを失った。 1066年、 ハラルド苛烈王が、 クヌートの帝国を取り戻しに来た。 ハロルド・ゴドウィンソンが、 クヌートの家臣の息子として、 迎え撃った。 ヴィルヘルムが、 エマの一族として、 来た。 1066年は、 クヌートの帝国の三つの残りが、 争った年になる。

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