スノッリ『エッダ』

概要
アイスランドの族長が、キリスト教から200年後に、北欧の神々の話を若い詩人のために書いた。オーディン、トール、ロキ、世界樹、ラグナロク。これがなければ、神話のほとんどが消えていた。書いた人は、ノルウェー王の命令で自宅の地下室で斬られた。
場所
64.66°N -21.29°E · アイスランド
関わった人(1)
スノッリ・ストゥルルソンAD1179年–AD1241年9月23日 · 著者本文
アイスランドは紀元1000年ごろ、民会の決定でキリスト教を受け入れた(アイスランドのキリスト教受容)。それから200年あまりがたつと、北欧の古い神々を信じる人はもういなかった。ところが、詩の世界には神々が残っていた。王や族長をたたえる宮廷詩人(スカルド)の詩は、神話を下敷きにした凝った言い回しで成り立っていて、オーディンやトールの話を知らなければ一行も読み解けなかった。神話を知る人が減れば、詩の伝統そのものが途絶えてしまう。
この危機に応えたのが、アイスランドの有力な族長で、法の宣言者を務め、詩人でもあったスノッリ・ストゥルルソンである。1220年ごろ、彼は若い詩人のための手引き書を書いた。これがのちに『エッダ』と呼ばれる本で、同じ名で呼ばれる古い詩の集成と区別して「散文のエッダ」「スノッリのエッダ」ともいう。「エッダ」という言葉の意味ははっきりせず、「曾祖母」の意とする説、「詩」を表す語から来たとする説、スノッリが育った農場オッディの名から来たとする説などがある。

本は四つの部分からなる。最初の序文は、神々はもとはトロイアから北へ移ってきた人間の王たちで、のちに神として崇められるようになったのだ、と説明する。キリスト教徒として異教の神々を語るための断りである。ただ、この序文がスノッリ自身の手になるかどうかには疑いもある。
第二部の「ギュルヴィのたぶらかし」が、神話の本体である。スウェーデンの王ギュルヴィが、疲れた旅人と名乗って神々の住むアースガルズを訪ね、「高き者」「同じく高き者」「第三の者」という三人の王に問いを重ねていく。世界はどう始まったのか。答えは、何もない裂け目ギンヌンガガプから霜の巨人ユミルが生まれ、オーディンとその兄弟がユミルを殺してその体から大地と海と空を作った、というものだ。トールが大蛇を釣り上げようとした話、ロキのいたずら、光の神バルドルがヤドリギの矢で死んだ話が続き、最後に世界の終わりラグナロクが語られる。狼フェンリルが鎖を断ち、大蛇が海から上がり、炎の巨人スルトが世界を焼く。だが、その後には新しい緑の大地が海から浮かび上がる。すべてを聞き終えたとき、宮殿は消え、ギュルヴィは何もない野原に一人で立っている。

第三部の「詩語法」は、詩の言い回しの辞典である。スカルドの詩では、ものを直接の名で呼ばず、言い換え(ケニング)で表す。海は「鯨の道」、金は「フレイヤの涙」、詩は「オーディンの蜜酒」という具合である。なぜ詩が蜜酒なのかを説明するために、スノッリは物語を語る。賢者クヴァシルの血から作られた蜜酒を巨人が隠し持っていて、オーディンが蛇に姿を変えて山に入りこみ、番をしていた巨人の娘のもとで三晩を過ごして蜜酒を飲み干し、鷲になって飛び帰った。言い回しを解くために神話を語る、という順序が、この本のつくりをよく表している。
第四部の「韻律一覧」は、ノルウェーの若い王ハーコン4世と、その後見役スクーリ伯をたたえる100余りの詩節を、それぞれ違う韻律で書き分けた見本帳である。スノッリはノルウェーを訪れて王と伯の知遇を得ており、この部分には宮廷への献上品の性格もある。

スノッリが典拠にした古い詩は、長く行方が分からなかった。1643年、アイスランドの司教ブリニョールヴル・スヴェインソンが、神々と英雄の歌を集めた13世紀の写本を手に入れた。いま「王の写本」と呼ばれるもので、『巫女の予言』や『高き者の言葉』など、スノッリが引いた詩の多くがそこに入っていた。これが「詩のエッダ」である。両方を比べると、スノッリが詩をどう読み、どう筋道を整えたかが見えてくる。たとえばオーディンが世界樹に九夜吊るされてルーン文字を得たという有名な場面は、詩のエッダにはあるが、スノッリは書いていない。逆に、スノッリの散文にしか見えない筋もあり、どこまでが古い伝えで、どこからが彼の整理や創作なのかは、研究者のあいだで今も議論が分かれている。
スノッリはこのほか、ノルウェー王たちの歴史を書いた(スノッリ『ヘイムスクリングラ』)。だが彼自身は、アイスランドの族長たちの争いと、島を手に入れたいノルウェー王の思惑のあいだで生きた政治家でもあった。王ハーコンに島の服属を働きかける約束をしたとも言われるが、果たさないまま王の不興を買った。1241年9月23日の夜、王の命を受けた族長ギッスル・ソルヴァルズソンの一団がレイクホルトの屋敷を襲い、地下の部屋に逃げこんだスノッリを殺した。62歳前後だった。サガは、彼の最後の言葉を「斬るな」と伝えている。屋敷の跡には、彼が湯を引いたという石組みの露天の湯船がいまも残る。

それから約20年後の1262年、アイスランドの族長たちはノルウェー王に服属することを誓い、島の独立の時代は終わった。北欧神話の世界が今日まで細部をもって知られているのは、王に殺されたこの族長が、詩人の教科書として神々の物語を書き残したからである。ワーグナーの楽劇から現代の小説や映画、ゲームにいたるまで、北欧の神々を描くものの多くは、たどればこの一冊に行き着く。