赤毛のエイリーク
概要
父の殺人でノルウェーからアイスランドへ渡り、自分の殺人でアイスランドから西の島へ追われた。その島を「緑の地」と名づけて入植者を集めた。「良い名前なら人が来る」と。息子のレイフがさらに西へ行く。
関わったできごと(1)
ノルウェー人のグリーンランド入植AD985年頃 · 入植を率いた本文
赤毛のエイリークは、10世紀の終わりにグリーンランドへのノルド人(北欧人)の入植を率いた人物である。古ノルド語ではエイリーク・ラウジ、「赤いエイリーク」。赤いのが髪や髭だったのか、激しい気性を言ったものなのかは分からない。彼の生涯は、12世紀のアイスランドの歴史書『アイスランド人の書』『植民の書』と、13世紀に書かれた二つのサガ『赤毛のエイリークのサガ』『グリーンランド人のサガ』で伝えられる。サガは事件から200年以上後に書かれた物語で、細部は鵜呑みにできないが、大筋は考古学の発掘ともよく合っている。
950年ごろ、ノルウェー南西部のイェーレンに生まれた。父ソルヴァルドが人を殺して追放されたため、少年のエイリークは父とともにアイスランドへ移った。アイスランドへの入植が始まって(アイスランド入植)まだ100年たたない時代だが、良い土地はすでに先に来た人々のものになっていて、父子が住みついたのは北西の果ての荒れた海岸だった。

父の死後、エイリークは西部の有力な家の娘ショーズヒルドと結婚し、南のハウカダールに移った。そこで最初の事件が起きる。エイリークの奴隷たちが隣の農場に地滑りを起こして家を壊し、隣人の親族が奴隷を殺した。エイリークはその男ともう一人を殺し、谷から追われた。移った先の島では、家の高座の脇に立てる飾り板を近所の男に貸したところ返してもらえず、取り返しに行って争いになり、相手の息子二人を含む何人かを殺した。982年ごろ、エイリークは集会で3年の追放を言い渡された。
アイスランドの西の海の向こうに、陸地があることは知られていた。100年ほど前、グンビョルンという男が嵐で西に流されたとき、島々と陸地を見ていたのである。エイリークは追放の3年をその土地の探検に充てた。東岸は氷に閉ざされていたので、南の端を回り込んで西岸へ出ると、深く入り組んだフィヨルドの奥に、夏には緑の草が茂る土地があった。彼は3度の冬をそこで越し、夏ごとに海岸を調べて回った。

追放が明けた985年ごろ、エイリークはアイスランドに戻り、この土地を「グリーンランド(緑の国)」と名づけた。『アイスランド人の書』によれば、土地に良い名がついていれば人は行きたがるものだ、と彼は言ったという。島の大部分が氷床に覆われていることを思えば誇大な名だが、フィヨルドの奥の牧草地は実際に緑で、当時は今より少し暖かい時代でもあった。翌年の夏、入植者を乗せた25隻の船がアイスランドを出た。嵐で引き返したり沈んだりして、たどり着いたのは14隻だったという(ノルウェー人のグリーンランド入植)。
入植地は南西の「東の入植地」と、さらに北の「西の入植地」の二つになった。エイリークは東の入植地のエイリークスフィヨルドの奥、ブラッタフリーズ(急な斜面)に農場を開き、グリーンランドで最も力のある族長として暮らした。人々は牛や羊を飼い、海でアザラシを獲り、北の狩り場でセイウチの牙を集めた。この牙は、ヨーロッパで象牙の代わりに高く売れた。
紀元1000年ごろ、北欧にキリスト教が広まった(アイスランドのキリスト教受容)。サガによれば、息子レイフはノルウェー王オーラフ・トリグヴァソンのもとで洗礼を受け、司祭を連れて帰ってきた。母ショーズヒルドはすぐに改宗して農場から少し離れたところに小さな教会を建てさせたが、エイリークは古い神々を捨てようとしなかった。ショーズヒルドは、改宗しない夫とは床をともにしないと言い、エイリークはそれをひどく嫌がった、とサガは書いている。

息子のレイフ・エリクソンは、さらに西の陸地を探しに船出した(ヴィンランド到達)。『グリーンランド人のサガ』によれば、エイリークも一緒に行くよう頼まれ、しぶしぶ承知したが、船に向かう途中で馬から落ちて足をけがした。彼は、自分にはこれ以上新しい土地を見つける運は無いのだと言って、ブラッタフリーズに残った。子にはほかに、のちに西の陸地で死んだソルヴァルド、ソルステイン、そして気性の激しい娘フレイディースがいた。
エイリークは、グリーンランドで疫病がはやったころに死んだとサガは伝える。1000年を少し過ぎたころとみられる。

1961年、ブラッタフリーズの跡(いまのカシアルスクの村)で、芝土の壁で囲まれた小さな教会の跡が掘り出された。内側の広さは数メートル四方しかなく、20人ほどしか入れない。サガに出てくるショーズヒルドの教会にあたると考えられており、まわりの墓地からは140体あまりの人骨が見つかった。ブラッタフリーズの農場の跡も近くに残り、いまは世界遺産になっている。
エイリークが開いたグリーンランドの入植地は、最も多いときで数千人が暮らし、司教も置かれて400年以上続いた。だが15世紀に入ると記録が途絶え、ノルド人の姿は消えた(ノルウェー領グリーンランドの終焉)。寒冷化、ヨーロッパとの交易の衰え、セイウチの牙の値下がりなど、さまざまな理由が挙げられているが、決め手はない。殺人で故郷を追われ続けた男が、名前一つで人を呼び寄せて開いた社会は、こうして長く続き、静かに終わった。