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Event / できごと

ドゥームズデイ・ブック

Domesday Book
AD1086年
重要度 4

概要

征服王が、イングランドの全部の土地と家畜と人を数えさせた。「牛一頭、豚一匹も漏らさず」。1万3000の地名。ラテン語で2冊。「最後の審判の日」のように、異議を言えないから、その名がついた。いまも国立公文書館にある。

場所

ウィンチェスター
51.06°N -1.31°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

ウィリアム1世AD1028年頃–AD1087年 · 命じた

本文

1085年、クリスマス。 グロスター。 ヴィルヘルムは、 デンマーク王クヌート4世の侵攻を恐れていた。 傭兵を養う金。 「この国の土地が、 どのように人に持たれているか、 どれだけの価値があるか、 深く相談した」。 アングロ・サクソン年代記。 「それから、 彼は人々を、 全イングランドの、 すべてのシャイアに送って、 何ハイドの土地があるか、 王が何を持つか、 どれだけの収入があるか、 大司教、司教、大修道院長、伯、 王の土地を持つ者、 彼らが何を持つか、 何頭の牛、何頭の豚、 どれだけの価値か、 調べさせた。 恥ずかしいことに、 一頭の牛も、一頭の豚も、 書き落とされなかった」。

1086年。 7つの巡回区。 それぞれに委員。 その土地に利害のない者。 各ハンドレッドの陪審。 8人ずつ。 半分がイングランド人、半分がノルマン人。 質問。 「この荘園の名は。 エドワード王の時代に誰が持っていたか。 いま誰が持っているか。 何ハイドか。 鋤は何台か。 領主の直営地に、 農民に。 ヴィレイン、コッター、奴隷、自由民は何人か。 森、牧草地、水車、養魚池は。 エドワード王の時代にいくらの価値があったか。 いまは」。 1086年8月1日、 ソールズベリー。 「イングランドの土地を持つ者すべてが、 王に忠誠を誓った」。 「ソールズベリーの誓い」。 その年の秋、 ノルマンディーへ。 1087年9月、 ルーアンで死んだ。 本は完成していなかった。

「大ドゥームズデイ」。 413葉。 一人の書記。 ラテン語。 省略記号だらけ。 「小ドゥームズデイ」。 エセックス、ノーフォーク、サフォーク。 475葉。 何人かの書記。 まとめる前の、 詳しい版。 ロンドン、ウィンチェスター、 ノーサンバーランド、ダラム。 入っていない。 1万3418の場所。 「ドゥームズデイ」の名は、 1170年代。 リチャード・フィッツナイジェル。 『財務府対話』。 「イングランド人はこれを、 最後の審判の日(ドゥームズデイ)の書と呼ぶ。 比喩で。 その判決には、 異議も、 逃れも、 ない」。 1086年時点で、 イングランドの土地の、 王が17%、 教会が26%、 ノルマンの貴族190人が54%。 イングランド人の大貴族は、 ほとんど残っていなかった。 20年。 ノルマン征服が、 何を、 したか。 この本が、 数字で示す。 「ヴィレイン」。 41%。 「奴隷」。 10%。 1086年の人口は、 150万から200万と推定される。 本には、 世帯主の数だけ。

ウィンチェスター。 財務府。 ロンドンへ。 1859年、 公文書館。 1986年、 900年。 2011年、 オンライン。 自分の村を、 引ける。 いまも、 法廷で、 証拠に使われた。 1986年まで。 「時効を超えた土地の権利」。 「ドゥームズデイ・ブックに書いてある」。

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