ノルウェー領グリーンランドの終焉
概要
500年続いた入植地が、誰にも気づかれずに消えた。最後の記録は1408年の結婚式。寒冷化、交易の途絶、イヌイットとの関係。理由は一つではない。
場所
61.15°N -45.52°E · グリーンランド・カシアルスク(東入植地)
本文
10世紀の終わり、アイスランドから追放された赤毛のエイリークが、西の大きな島に入植者を連れていった。人を誘うために、彼はその島を「緑の土地(グリーンランド)」と名づけたと、サガは伝える(ノルウェー人のグリーンランド入植)。島の南西の海岸の、フィヨルドの奥の草地に、二つの入植地ができた。南の東入植地と、北の西入植地になる。最盛期の人口は二千人から三千人ほどと推定されている。息子のレイフ・エリクソンは、ここから西へ船を出して、北アメリカにたどり着いた(ヴィンランド到達)。
入植者たちは、ノルウェーやアイスランドと同じ暮らしを持ち込んだ。牛や羊や山羊を飼い、夏に干し草を刈って冬の飼料にする。石と芝土で家と牛小屋を建て、教会を建てた。12世紀にはガルザルに司教座が置かれ、石造りの大きな教会もできた。ヨーロッパの最も遠い端の、小さなキリスト教の社会だった。

暮らしを支えたのは、北の海の産物だった。夏になると男たちは北へ船を出して、セイウチを狩った。セイウチの牙は、象牙の代わりとしてヨーロッパで高く売れ、教会の飾りや、チェスの駒に彫られた。その牙や毛皮と引き換えに、鉄、木材、穀物、教会の品を手に入れた。
だが14世紀に入ると、すべてが悪い方へ向かいはじめた。気候が寒くなり、夏が短くなって、干し草が足りなくなった。冬を越せない家畜が増えた。海の氷が増えて、船の行き来も難しくなった。同じころ、アフリカの象牙がヨーロッパに多く出回るようになり、セイウチの牙の値は下がった。1349年には黒死病がノルウェーを襲い、本国そのものが弱った。グリーンランドへ来る船は減り、14世紀の後半には定期の船も途絶えた。

もう一つの変化は、北から来た人びとだった。いまのイヌイットの祖先にあたるトゥーレの人びとが、13世紀ごろから北の海岸を南へ広がってきた。彼らはアザラシ猟の名人で、カヤックと銛と皮の衣で、寒い海の暮らしにずっとよく適応していた。二つの人びとがどう付き合ったのかは、よく分かっていない。交易をしたとも、争ったとも伝えられる。
先に消えたのは、北の西入植地だった。14世紀の半ば、東入植地から様子を見に行った司祭イーヴァル・バルダルソンは、家畜が野に放たれていて、人は一人もいなかった、と書き残している。人びとがどうなったのかは分からない。

東入植地からの最後の確かな便りは、1408年のものになる。フヴァルセイの教会で結婚式が挙げられた、という記録で、式を挙げた夫婦はのちにアイスランドへ戻り、その記録がアイスランドの文書に残った。それきり、グリーンランドからの便りは途絶えた。15世紀の半ばまでには、東入植地も無人になったと考えられている。フヴァルセイの教会の石の壁は、屋根を失ったまま、いまもフィヨルドのほとりに立っている。
食べ物の骨を調べると、入植者たちは時代が下るにつれて、牛を減らし、アザラシをたくさん食べるようになっていたことが分かる。最後の世代の食べ物の半分以上は、海のものだった。それでも彼らは、牛を飼い、教会を建てるヨーロッパの暮らしを最後まで手放さなかった。

『文明崩壊』は、この消滅を、五つの要因が全部そろった例にした(物語「『文明崩壊』で読む歴史」)。環境の傷み、気候の変化、敵対する隣人、交易相手の喪失、そして社会がそれにどう応えたか。ダイアモンドは、入植者たちがイヌイットの技術を取り入れず、ヨーロッパ人であることにこだわったことを、最後の要因として重く見た。ただし近年の研究には、彼らがかなり柔軟に暮らしを変えていたこと、飢えて全滅したのではなく、計画的に島を去った可能性があることを指摘するものもある。廃墟には貴重品があまり残されていない。
1721年、デンマーク=ノルウェーの宣教師ハンス・エーゲデが、昔のノルウェー人の子孫に布教しようとグリーンランドに渡った。そこで彼が見つけたのは、イヌイットの人びとと、石積みの廃墟だけだった。500年近く続いた入植地は、誰にも気づかれないうちに消えていた。