グスルム
概要
大異教軍の王。ウェセックスを冬に奇襲してアルフレッドを沼に追い、エディントンで負けた。洗礼名エセルスタン。アルフレッドが代父。イースト・アングリアの王として10年治め、ダーンローの東を持った。イングランドで硬貨を打った最初のデーン人の王。
関わったできごと(3)
大異教軍のイングランド上陸AD865年 · 王の一人エディントンの戦いAD878年5月 · 洗礼を受けたダーンローの成立AD886年頃 · 条約本文
グスルムがどこで生まれ、いつイングランドに来たのかは分からない。デンマークあるいはスカンディナヴィアの出身で、名は古ノルド語の「グズトルム」にあたる。彼が記録に現れるのは、イングランドに上陸したヴァイキングの大軍の指導者の一人としてである。

865年、イングランド東部のイースト・アングリアに、デーン人の大軍が上陸した(大異教軍のイングランド上陸)。アングロ・サクソン年代記が「大異教軍」と呼んだこの軍は、それまでの夏だけの略奪とは違い、冬もイングランドにとどまって土地を奪っていった。ノーサンブリアとイースト・アングリアの王国は倒され、イースト・アングリアの王エドマンドは869年に殺された。871年には、北海を渡ってきた新たな軍勢「大夏の軍」がこれに加わった。グスルムはこの頃にイングランドに来たと考えられている。
874年に中部のマーシア王国も倒れると、翌875年、大異教軍は二つに分かれた。ハーフダンが率いる一隊は北のノーサンブリアに向かって土地を分け、定住を始めた。グスルムは、ほかの二人の王とともに、もう一隊を率いて南へ向かい、残る最後のイングランド人の王国、ウェセックスを狙った。ウェセックスでは、871年に若いアルフレッド大王が兄の後を継いで王になっていた(アルフレッド大王のウェセックス)。
876年、グスルムの軍はウェセックスの守りをすり抜けて南海岸のウェアハムを奪い、さらにエクセターに移った。アルフレッドは軍を追い、デーン人は人質を差し出して聖なる腕輪にかけて退去を誓ったが、その誓いはたびたび破られた。877年、デーン人はいったんマーシアに退いた。
878年1月、クリスマスの祝いが終わった直後の真冬に、グスルムはウェセックスの王の館があったチッペナムを奇襲した。冬に戦はしないという常識を破った攻撃だった。ウェセックスの人びとの多くは降伏し、あるいは海を越えて逃れ、アルフレッドはわずかな手勢とともに、サマセットの沼沢地アセルニーに身を隠した。ウェセックスは滅亡の寸前にあった。
だがアルフレッドは、沼地の砦から反撃の準備を進めた。5月、彼はサマセットやウィルトシャーなどの兵を呼び集め、エディントンでグスルムの軍を破った(エディントンの戦い)。デーン人は砦に逃げ込み、14日間の包囲の末に降伏した。
和平の条件は、人質を出してウェセックスから立ち去ること、そしてグスルムがキリスト教の洗礼を受けることだった。3週間後、グスルムは30人の主だった部下とともにサマセットのアラーで洗礼を受けた。アルフレッドが代父となり、グスルムにエセルスタンという洗礼名を与えた。それはアングロ・サクソンの王族の名だった。洗礼を受けた者が身につけた白い衣を脱ぐ儀式はウェドモアの王の館で行われ、グスルムは12日間アルフレッドの客として過ごし、多くの贈り物を受けて去ったと年代記は伝える。
グスルムの軍はマーシアを経て、880年にイースト・アングリアに移り、そこで土地を分けて定住した。グスルムはイースト・アングリアの王として、およそ10年をこの地で治めた。のちにアルフレッドとグスルムの間で結ばれた条約の文書が残っており、テムズ川からリー川をさかのぼり、ウーズ川を経てワトリング街道に至る線を境界とすることや、イングランド人とデーン人が殺されたときの賠償金を同じ額とすることなどを定めている。886年にアルフレッドがロンドンを取り戻した頃に結ばれたと考えられている。この境界の東北側に広がるデーン人の支配地が、のちに「デーンロー」と呼ばれる(ダーンローの成立)。
グスルムはイースト・アングリアで、洗礼名のエセルスタンの名を刻んだ銀貨を打たせた。アルフレッドの貨幣を手本にしたもので、イングランドでデーン人の王が打った最も早い貨幣の一つである。彼の改宗がどこまで信仰によるものだったのか、政治的な取引にすぎなかったのかは分からない。少なくとも公の場では、彼はキリスト教の王として振る舞った。
890年、グスルムは死んだ。アングロ・サクソン年代記は、洗礼名をエセルスタンという北の王グスルムが死んだ、とだけ記している。サフォークのハドレーに葬られたという伝えがあるが、後世のものである。
グスルムの死後まもなく、イースト・アングリアのデーン人たちは、かつて自分たちが殺した王エドマンドを聖人として記念する貨幣を打ち始めた。わずか一世代のうちに、征服者たちは殺した相手の信仰を受け入れていたのである。北の人びとが洗礼と条約によって土地の支配者となる道は、30年ほど後にノルマンディーを与えられたロロや、およそ100年後にキエフで洗礼を受けたウラジーミル1世へと続いていく(物語「ヴァイキング」)。アルフレッドが、敵の王を殺すのではなく自分の名付け子にしたことは、ウェセックスが生き残り、やがてイングランドという一つの王国へ育っていく出発点になった。