スヴォルドの海戦

概要
ノルウェー王オーラフ・トリグヴァソンが、デンマークとスウェーデンの王と裏切ったノルウェー人に海で囲まれた。船「長い蛇」で最後まで戦い、海に飛び込んで消えた。生きて戻るという噂が、何十年も続いた。
場所
54.90°N 13.60°E · バルト海(場所は不明)
関わった人(2)
オーラフ・トリグヴァソンAD960年代–AD1000年 · 消えた王スヴェン1世(双叉髭王)?–AD1014年2月3日 · 勝った本文
紀元1000年ごろの北欧では、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの王たちが、海と土地をめぐって争い、手を組み、裏切り合っていた。ノルウェーはまだ一つの王国としてまとまりきっておらず、デンマーク王の力が強く及んでいた。その中で、995年ごろにノルウェーの王となったのがオーラフ・トリグヴァソンである。幼くして父を殺され、母とともに逃れて各地を流浪し、ヴァイキングとしてイングランドなどを襲って名を上げた男だった。
王となったオーラフは、ノルウェーをキリスト教の国に変えようとした。後のサガ(散文の物語)は、その手段の苛烈さを繰り返し語っている。改宗を拒んだ豪族の口に蛇を押し込んで殺した、腹の上に炭火の鉢を載せた、という具合である。これらは2世紀ほど後に書かれた物語で、どこまでが事実かは分からないが、在位わずか5年ほどのあいだに、オーラフが力ずくで多くの敵を作ったことは確かだろう。

1000年、オーラフは大船団を率いてバルト海の南岸、ヴェンド人の土地へ向かった。妻のテューリが、もとの夫から受け継いだ土地を取り戻すためだったとサガは伝える。テューリはデンマーク王スヴェン1世(双叉髭王)の妹で、兄の意に反してオーラフに嫁いでいた。船団の中心には、オーラフ自慢の大船「長い蛇」があった。漕ぎ手の座が34列あり、当時のノルウェーで最も大きな軍船だったという。
その帰り道を、三人の敵が待ち伏せていた。デンマーク王スヴェン、スウェーデン王オーロフ、そして、オーラフが王位に就いたときに父ハーコン侯を失い、ノルウェーを追われていた豪族エイリーク・ハーコナルソンである。戦いの場所はスヴォルドと呼ばれる島の近くとされるが、それがどこなのかは分かっていない。サガはバルト海の南の島の沖とし、ドイツの年代記作者アダムはデンマークとスウェーデンの間の海峡としている。日付も伝承によって違い、9月とする説が有力である。

サガの語る戦いの場面は、劇のように鮮やかである。三人の首領は島の丘の上から、オーラフの船団が通り過ぎるのを眺める。大きな船が現れるたびに、あれが長い蛇か、と問い、違う、と答える。最後に、ひときわ大きな船が現れる。オーラフの手勢は11隻、敵は70隻ほどだったという。オーラフは逃げず、船どうしを綱でつなぎ合わせて、海の上に一つの砦のような陣を作った。デンマーク勢が攻めかかって退けられ、スウェーデン勢も退けられた。だが、同じノルウェー人のエイリークは手ごわかった。舳先に鉄の衝角を付けた彼の船は、端の船から一隻ずつ綱を切り離して奪っていき、ついに長い蛇だけが残った。
長い蛇の上では、弓の名手エイナルが、エイリークを狙って矢を放っていた。エイリークは弓兵に命じてエイナルの弓を射させ、弓は真ん中で折れた。何が折れたのか、と問うオーラフに、エイナルは、王よ、あなたの手からノルウェーが折れたのだ、と答えたという。甲板が血に染まり、味方が次々に倒れると、オーラフは盾を掲げたまま海に身を投げ、そのまま姿を消した。

オーラフの遺体は見つからなかった。そのため、王は泳いで逃れ、ヴェンド人の船に救われて生き延びた、のちにローマや聖地へ巡礼して修道士になった、という噂が長く語り継がれた。
戦いの後、ノルウェーは勝者たちの間で分けられ、デンマーク王とスウェーデン王、そしてエイリークたちが治めた。スヴェンはやがてイングランドをも征服し(スヴェンのイングランド征服)、その子クヌートは北海をまたぐ帝国を築く(クヌートの北海帝国)。ノルウェーが自国の王を取り戻すのは、1015年、同じオーラフの名を持つオーラフ・ハラルドソン、のちのオーラフ2世(聖オーラフ)が戻ってきたときだった。

この戦いを今日に伝えるのは、およそ230年後にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンがまとめた王たちのサガ(スノッリ『ヘイムスクリングラ』)である。スノッリは、オーラフに仕えた宮廷詩人たちの詩を拠り所にして物語を組み立てた。詩は戦いに近い時代のものだが、サガの細かな台詞や場面の多くは、語り継がれるうちに磨かれたものとみられる。スヴォルドの海戦は、確かに起きた戦いと、それを英雄の物語として書き残した人々との間の距離を、よく示している。