← 地図で見る
Event / できごと

エスペラント

Esperanto
AD1887年7月26日
重要度 4
グリーンランドイギリス領インド帝国アラビアエジプトペルシアスウェーデン=ノルウェーオーストリア=ハンガリー帝国フランスアフガニスタンスペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国Algeria (FR)モロッコイタリアルーマニアブルガリアアイスランドブハラ・ハン国ギリシャデンマークセルビアボスニア・ヘルツェゴビナAD1887年7月26日ワルシャワ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1887年7月26日の版図を描いています(22勢力)

概要

ビャウィストクは、ポーランド語、ロシア語、ドイツ語、イディッシュ語が入り混じる町だった。眼科医ザメンホフは、諍いの根に言葉の壁があると考えた。誰の母語でもない、学びやすい共通語を作る。文法は十六の規則で、例外が無い。語彙は主にロマンス語とゲルマン語から採った。ドクトーロ・エスペラント、希望する者、という筆名で出した小冊子が、書名ではなく言語の名になった。話者は数十万から二百万と推定が割れる。国家に採用されたことは、一度も無い。

場所

ワルシャワ
52.23°N 21.01°E · ポーランド

関わった人(1)

ルドヴィコ・ザメンホフAD1859年12月15日–AD1917年4月14日 · 作った

本文

**町**。

**ビャウィストク**(当時、ロシア帝国。現在、ポーランド北東部)。

(——**そこに、**四つの言語集団**が、住んでいた**。

〈**——**ポーランド人**(ポーランド語)。

**——**ロシア人**(ロシア語)。

**——**ドイツ人**(ドイツ語)。

**——**そして、**ユダヤ人**(イディッシュ語)。

**——**人口の、**過半数が、ユダヤ人**である**。〉

**そして、**互いに、反目していた**。

〈**——**ザメンホフが、後年、書いた手紙**(1895年、ニコライ・ボロフコ宛、要旨)。

**「わたしは、ビャウィストクで生まれ、育った**。……

**……**住民は、四つの異なる要素から成っていた**。……

**……**それぞれが、別の言語を話し、他のすべてに、敵意を持っていた**。……

**……**このような町で、**感受性の強い者は、**言語の多様性こそが、**人を分けるすべての原因である**と、痛切に感じる**。……

**……**わたしは、**大人になったら、必ず、この悪を、取り除こう**と、心に決めた」**。〉)

**ザメンホフ**。

(**ルドヴィコ・ラザロ・ザメンホフ**(1859〜1917年)。

〈**——**父マルク**は、**語学教師**である**(ドイツ語とフランス語)。

**——**そして、**厳格で、実際的な人だった**。

**〈——息子の「人工言語」の計画を、**危険な妄想**と見た。**

**——医学を修めさせるため、**原稿を、預からせた**。**

**——そして、**焼いた**、と伝えられる。**

**〈——息子が、大学から戻ってみたら、原稿が無かった。**

**——そして、彼は、記憶から、書き直した。**

**——この話は、後年の回想による。〉〉**〉

**——**モスクワとワルシャワで、**医学**。

**——**そして、**眼科医**として、開業した**。

〈**——**ワルシャワの、**貧しいユダヤ人地区**で、診療した**。

**——**そして、**診療代を、しばしば、取らなかった**。〉)

**先行**。

(——**人工言語の試みは、**多数、あった**。

〈**——**17世紀の**「哲学的言語」**(ジョン・ウィルキンズ、ライプニッツ)。

**〈——世界の概念を、体系的に分類して、それに記号を割り当てる。**

**——極めて、複雑になった。〉**

**——**そして、**ヴォラピュク**(1879年、ヨハン・シュライヤー)。

**〈——一時、**数十万人**の支持者を得た。**

**——そして、**文法が、複雑すぎた**。**

**〈動詞の活用が、数百通り。〉**

**——そして、創始者が、**改革を、拒んだ**。**

**——運動が、分裂して、消えた。**

**——ザメンホフは、**その失敗を、見ていた**。〉〉**)

**設計**。

(**1887年7月26日**、**ワルシャワ**。

**『国際語——序文と完全な教科書』**(ロシア語版)。

〈**——**四十ページの、小冊子**。

**——**費用は、**妻クララの持参金**から出た**。〉

**筆名——**「ドクトーロ・エスペラント」**(Doktoro Esperanto)。

〈**——**「希望する者、という名の博士」**。

**——**そして、**その筆名が、**言語の名になった**。〉

**特徴**。

〈**(1)**文法——**十六の規則**。

**——**そして、**例外が、無い**。

**〈——名詞は -o。**

**——形容詞は -a。**

**——副詞は -e。**

**——動詞の不定形は -i。**

**——複数は -j。**

**——目的格は -n。**

**——過去 -is、現在 -as、未来 -os。**

**——人称による活用が、**無い**。〉**

**(2)**語彙**——**主に、**ロマンス語とゲルマン語**から**。

**〈——ラテン語系が、多い。**

**——そして、スラヴ語からも、少し。〉**

**(3)**そして、**造語法**。

**〈——接頭辞と接尾辞で、**語を、増やせる**。**

**——mal- は、反対。**

**——bona(良い)→ malbona(悪い)。**

**——「悪い」という語を、**覚えなくてよい**。**

**——これで、**覚える語数が、劇的に減る**。〉**

**(4)そして、**綴りと発音が、**一対一**である**。〉)

**運動**。

(——**広がった**。

〈**——**1905年、**第一回世界エスペラント大会**(フランス、ブローニュ=シュル=メール)。

**——**二十か国から、**約700人**。

**——**そして、**そこで、**「ブローニュ宣言」**。

**〈——「エスペラントは、誰のものでもない」。**

**——「基礎(Fundamento)は、変えない」。**

**——ヴォラピュクの失敗の、教訓である。〉**〉

**そして、**ザメンホフ自身**。

〈**——**彼は、**運動の「指導者」であることを、避けた**。

**——**「わたしは、この言語の所有者ではない」**。

**——**そして、大会の演説で、こう述べている**(要旨)。

**「わたしは、**エスペラントの創始者にすぎない**。**

**……**この言語は、いま、**あなたがたのものである**」**。〉

**分裂**。

〈**——**1907年、**「イド」**(改革案)。

**——**支持者の一部が、離れた**。

**——**そして、**イドは、次第に、衰えた**。〉)

**弾圧**。

(——**そして、**この言語は、**繰り返し、狙われた**。

〈**(1)**ヒトラー**。

**——**『わが闘争』**に、**エスペラントへの言及がある**。

**——**「ユダヤ人が、世界支配のために、**共通語を作ろうとしている**」**(要旨)。

**——**そして、**ドイツのエスペラント運動が、**1936年、禁止された**。

**——**ザメンホフの子ども三人**——**アダム、ゾフィア、リディア**——が、**

**——**ホロコーストで、**殺された**。

**〈アダムは1940年、ワルシャワで銃殺。**

**ゾフィアとリディアは、トレブリンカで。〉**

**(2)**スターリン**。

**——**1930年代、**ソ連のエスペランティストが、**大量に、逮捕された**。

**——**「国際的なスパイの言語」**。

**——**多数が、処刑され、あるいは収容所へ送られた**。

**(3)そして、**日本の特高**も、**戦時中、**エスペランティストを、監視した**。〉

**——**理由は、**同じである**。

〈**——**「国境を越えて、直接、繋がる」**ことを、**国家が、嫌う**。〉)

**いま**。

(——**話者の数**。

〈**——**推定が、**大きく割れる**。

**——**数万から、**二百万**まで**。

**〈——「話せる」の定義が、難しい。**

**——エスノローグの推定で、**約二百万人**(第二言語として)。**

**——そして、**母語話者**(家庭で使われて育った人)が、**約千人**、と推定される。**

**〈「デナスキア・パローランテ」。〉〉**

**——**そして、**国家に採用されたことは、一度も無い**。

〈**——**1920年、**国際連盟で、**エスペラントを作業言語に加える提案**が、出た**。

**——**フランスが、**拒否権を行使した**。

**〈——理由は、**フランス語の地位を、守るため**である。〉**〉

**——**それでも、**続いている**。

〈**——**百三十年以上**。

**——**多数の人工言語が、生まれて、消えた中で**。

**そして、**ウィキペディアが、**エスペラント版で、数十万項目**を、持っている**。

**——**さらに、**言語学習アプリで、学ぶ人がいる**。〉

**そして、**ザメンホフ**。

〈**——**1917年4月14日、**ワルシャワで、死去**。**五十七歳**。

**——**第一次大戦の、最中である**。

**——**「人を分ける壁を、取り除く」ために作った言語**の、**その持ち主たちが、**互いに、殺し合っている最中**に**。

**——**彼の最後の文章の一つ**に、**戦後の国際関係についての、構想が、書かれている**。

**〈未完成である。〉**〉)

同じ時代のできごと

大政奉還1867年11月9日(慶応3年10月14日)坂本龍馬暗殺(近江屋事件)1867年12月10日(慶応3年11月15日)ええじゃないかAD1867年(慶応3年)秋『資本論』AD1867年9月14日鉄筋コンクリートAD1867年リスターの消毒法AD1867年シャムの近代化1868年江戸無血開城1868年4月11日(慶応4年3月19日)
AD1887年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります