エリエゼル・ベン・イェフダー
概要
リトアニアの生まれ。本名はペレルマン。イェシーバーで学び、そこで世俗の書に触れて追い出された。パリで医学を志し、結核で断念する。1881年、妻とともにエルサレムへ移り、家庭でヘブライ語しか使わないと決めた。長男イタマルは、その言語の最初の母語話者である。新聞を出し、語を作り、辞書の編纂に生涯を費やした。正統派の一部は、聖なる言葉を日常に落とすことに強く反対した。辞書は死後、十七巻で完成した。
関わったできごと(1)
ヘブライ語の復活AD1881年 · 始めた本文
**エリエゼル・ベン・イェフダー**(1858〜1922年)。
**本名——**エリエゼル・イツハク・ペレルマン**。
**リトアニア、ルジキ**(当時、ロシア帝国)。
(**——**ハバド・ハシディズム**の家庭**。
**——**三歳から、**ヘデル**(初等の宗教学校)。
**——**五歳で、**父を、亡くした**。
**そして、**十三歳で、**イェシーバー**(タルムードの学院)へ**。〉)
**追放**。
(——**そこの**ラビ**が、**実は、**ハスカーラー(ユダヤ啓蒙運動)の共感者**だった**。
〈**——**そして、こっそり、**世俗の書を、読ませた**。
**——**ヘブライ語の文法書**。
**——**そして、**ロシアの小説**。〉
**——**それが、**発覚した**。
**——**追い出された**。〉)
**転機**。
(**1877〜78年、**露土戦争**。
〈**——**ブルガリアが、**独立した**。
**——**彼は、**それを、新聞で読んだ**。
**——**「小さな民族が、**自分の言葉と、自分の土地を、取り戻す」**。
**——**そして、**同じことが、ユダヤ人にも、できるはずだ**、と、考えた**。
**〈——彼が、後に書いた回想**(要旨)。**
**「その夜、突然、**天が開けた**……**
**……**わたしの耳に、**内なる声が、命じた**。**
**——「ユダヤの復活と、**その土地における言語の復活」**」。〉〉**
**1879年、**論文『重大な問題』**(『ハシャハル』誌)。
〈**——**「民族が生き延びるには、**土地と、言語**が要る」**。
**——**そして、**その言語は、**ヘブライ語でなければならない**。〉
**1881年、**パリで、医学を学んでいた**。
〈**——**結核と、診断された**。
**——**学業を、断念した**。
**——**そして、**そのまま、パレスチナへ、向かった**。〉)
**エルサレム**。
(**1881年10月、**到着**。
〈**——**妻**デボラ**(旧姓ヨナス)**とともに**。
**——**そして、**船の上で、**「これから、ヘブライ語だけで話す」**と、決めた**、とされる**。〉
**生活**。
〈**——**極めて、貧しい**。
**——**教師と、新聞の仕事で、**辛うじて、暮らした**。
**——**そして、**結核**。〉
**家庭**。
〈**——**1882年、**長男ベン・ツィオン**(後に、**イタマル・ベン=アヴィ**と名乗る)。
**——**そして、**父は、**その子に、ヘブライ語しか、聞かせなかった**。
**——**乳母を、雇わなかった**。**訪問者を、選んだ**。
**〈——「他の言語を、耳に入れさせない」。〉**
**——**現代の基準では、**極めて、問題のある育て方**である**。
**〈——そして、当時も、**周囲から、批判された**。〉**
**——**そして、その子が、**約千八百年ぶりの、母語話者になった**。〉
**——**デボラは、**1891年、結核で死んだ**。**五人の子のうち、三人も、続けて死んだ**。
〈**——**ジフテリアである**。
**——**そして、**彼は、**デボラの妹**ヘムダ**と、再婚した**。
**〈——デボラの遺言だった、とされる。〉**
**——**ヘムダも、**ヘブライ語を学び、**辞書の仕事を、支えた**。〉)
**辞書**。
(——**生涯の仕事**。
〈**——**『古代および現代ヘブライ語大辞典』**。
**——**古い文献を、**すべて、読み直す**。
**——**そして、**忘れられた語を、掘り出す**。
**——**無ければ、**語根から、作る**。〉
**——**生前に、**五巻**が、出た**。
**——**死後、**ヘムダと、息子エフドが、**続けた**。
**——**1959年、**十七巻**で、完成した**。
〈**——**死から、**三十七年後**である**。〉)
**投獄**。
(**1893年**。
〈**——**正統派の一部が、**彼を、オスマン当局に、告発した**。
**——**罪状——**扇動**。
**〈——彼の新聞の記事の、一節が、**反乱を呼びかけている**と、解釈された。〉**
**——**投獄された**(数週間)。
**——**そして、**釈放された**。〉
**——**そして、**破門**(ヘレム)も、受けている**。
〈**——**エルサレムの、超正統派の共同体から**。
**——**理由——**「聖なる言語を、**世俗の用に、堕とした」**。〉)
**死**。
(**1922年12月16日**、**エルサレム**。**六十四歳**。
〈**——**結核**である**。
**——**その一か月ほど前**、
**——**イギリス委任統治政府が、**ヘブライ語を、**英語とアラビア語と並ぶ、公用語**として、認めた**。
**〈——彼は、それを、見た。〉**
**——**葬儀に、**三万人**が、集まった、とされる**。
**——**そして、**エルサレムの、オリーヴ山**に、埋葬された**。〉)
**評価**。
(——**「ヘブライ語を、一人で復活させた男」**という像が、**長く、語られてきた**。
**——**そして、**近年の研究は、**それを、修正している**。
〈**(1)**ヘブライ語は、**死んでいなかった**。
**——**読み書きと、共同体をまたぐ連絡には、**使われ続けていた**。
**(2)**そして、**復活を、実際に成し遂げたのは、**学校の教師たち**である**。
**〈——特に、**第一次アリヤーと第二次アリヤーの、開拓村の教師**。**
**——彼らが、**すべての科目を、ヘブライ語で教えた**。**
**——そして、子どもたちが、**校庭で、ヘブライ語で、遊んだ**。**
**——そこで、**言語が、生きたものになった**。〉**
**(3)そして、**条件**。
**——**世界中から来た移民に、**他に、共通語が、無かった**。〉
**——**それでも**。
〈**——**彼が、**最初に、それを、やってみせた**。
**——**そして、**辞書を、作った**。
**——**「できる」と、証明した人**が、**要った**。〉)