フィリピン革命

概要
アジアで最初に植民地からの独立を宣言した。だが直後にアメリカが来て、統治する側が入れ替わる。
場所
14.60°N 120.98°E · フィリピン
関わった人(2)
ホセ・リサールAD1861年6月19日–AD1896年12月30日 · その処刑が革命を広げたラプ=ラプ375年前の最初の抵抗本文
1521年、世界一周の航海の途中でフィリピンの島々に着いたマゼランは、マクタン島の首長ラプ=ラプと戦って命を落とした。それから半世紀後の1565年、スペインはセブに拠点を築き、やがてマニラを都として島々を治めた(スペインのフィリピン支配)。王の名にちなんで「フィリピン」と呼ばれるようになった島々は、メキシコのアカプルコと結ぶマニラ・ガレオン貿易の中継地となり、カトリックの修道会が村々の教会と土地を握った。
19世紀になると、島々の社会は変わり始めた。スエズ運河の開通でヨーロッパが近くなり、砂糖やタバコ、マニラ麻の輸出で富を得た現地生まれの家族は、子をマニラやスペインの大学へ送った。彼らは自らを「フィリピーノ」と呼ぶようになる。それまでこの言葉は、島で生まれたスペイン人を指していた。1872年、修道会の支配を批判していた現地生まれの3人の神父が、反乱に関わったとして処刑されると、教育を受けた若者たちの間に怒りが広がった。

その一人がホセ・リサールである。医師として眼科を学び、多くの言葉を操ったリサールは、ヨーロッパに留学中の1887年、ベルリンで小説『ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)』を出した。修道士の横暴と植民地の役人の腐敗を描いたこの小説は、スペイン当局に禁書とされた。リサールが求めたのは独立ではなく、スペインの一つの州として、フィリピン人にスペイン人と同じ権利を認めさせることだった。1892年に帰国して穏健な改革の団体を作ると、すぐに逮捕され、ミンダナオ島のダピタンへ流された。
同じ1892年、マニラの倉庫の事務員だったアンドレス・ボニファシオらは、武力でスペインを追い出すための秘密結社カティプナンを作った。会員は数年で数万人にふくれあがったとされる。1896年8月、結社の存在が当局に知られると、ボニファシオらはマニラ郊外に集まり、スペインへの服従のしるしだった住民税の証明書を破り捨てて蜂起を宣言した。

リサールはこのとき、キューバへ軍医として赴くことを志願し、船でスペインへ向かっていた。だが途中で捕らえられてマニラへ送り返され、武装蜂起に反対していたにもかかわらず、反乱を扇動した罪で軍事法廷にかけられた。1896年12月30日、リサールはマニラのバグンバヤンの野で銃殺された。35歳だった。処刑の前夜に書いたとされる詩「最後の別れ」は、ランプの中に隠されて家族の手に渡ったと伝えられる。その死は、改革を望んでいた人々までをも独立の側へ押しやった。
革命の主導権は、マニラの南のカヴィテ州で勝利を重ねた若い町長エミリオ・アギナルドの手に移った。1897年、革命派の会議でアギナルドが指導者に選ばれると、これに従わなかったボニファシオは、アギナルドの政府によって裁かれ、処刑された。革命は内側にも傷を抱えていた。その年の暮れ、スペイン軍に押されたアギナルドは、金と引き換えに香港へ退く協定を結んだ。

1898年4月、キューバをめぐって米西戦争が始まる。5月1日、デューイの率いるアメリカの艦隊がマニラ湾でスペイン艦隊を全滅させた。アメリカの軍艦で帰国したアギナルドは、革命の軍を再び立ち上げ、6月12日、カヴィテの自宅のバルコニーからフィリピンの独立を宣言した。アジアで植民地からの独立を宣言した最初の例の一つとされ、いまもこの日がフィリピンの独立記念日である。翌年1月には憲法を定めて共和国を樹立した(マロロス共和国)。
だが、アメリカは独立を認めなかった。8月、マニラのスペイン軍は、フィリピン人の軍ではなくアメリカ軍に降伏した。双方の体面を守るために、あらかじめ打ち合わせた形ばかりの戦闘の末のことだったとされ、フィリピンの兵は市内に入ることを許されなかった。12月のパリ条約で、スペインはフィリピンを2000万ドルと引き換えにアメリカへ譲り渡した。フィリピン人は、交渉の場に呼ばれもしなかった。

1899年2月、マニラの郊外でアメリカ兵とフィリピン兵の撃ち合いが起き、米比戦争が始まった。アギナルドの軍は正面の戦いで敗れるとゲリラ戦に移り、アメリカ軍は村々を焼き、住民を収容地区に集めて対抗した。アギナルドは1901年に捕らえられ、アメリカは1902年に戦争の終わりを宣言したが、南部などでは抵抗がその後も続いた。戦闘と、それに伴う飢えと病で死んだフィリピン人は、20万人から数十万人と推定されている。
スペインを相手に始まった独立の戦いは、統治する側がアメリカに入れ替わる形で終わった。フィリピンが独立を果たすのは、それから半世紀後、第二次世界大戦を経た1946年のフィリピンの独立である。リサールはいまも国民的英雄とされ、処刑の日の12月30日は国の祝日になっている。