アメリカ独立宣言

概要
植民地が本国から離れ、人が生まれながらに権利を持つと宣言した。
場所
39.95°N -75.17°E · アメリカ合衆国・ペンシルベニア州
関わった人(3)
トマス・ジェファソンAD1743年4月13日–AD1826年7月4日 · 起草トマス・ペインAD1737年2月9日–AD1809年6月8日 · その半年前に独立を説いたジョージ・ワシントンAD1732年2月22日–AD1799年12月14日 · 独立軍の総司令本文
1776年7月4日、フィラデルフィアに集まった北米13植民地の代表たちは、本国イギリスからの独立を宣言する文書を採択した。その中心にあるのが、次の一節である。すべての人は平等に造られ、生命、自由、幸福の追求を含む、奪うことのできない権利を造物主から与えられている。そして政府は、その権利を守るために人々の間に作られ、統治される者の同意から正当な権力を得る、と。
ここに至るまでには十数年の対立があった。1763年、イギリスはフランスとの七年戦争に勝ち、北米の広い土地を手に入れたが、戦費で財政は苦しくなった。そこで本国は、植民地にも負担を求めた。1765年の印紙法は、新聞や証書などの紙に税をかけた。植民地の人々は、自分たちの代表がいない本国の議会が、自分たちに税をかけることはできないと反発した。「代表なくして課税なし」である。

本国は税を出したり引っ込めたりを繰り返したが、溝は深まった。1773年には、茶の扱いをめぐってボストン茶会事件が起き、本国は報復としてボストンの港を閉ざした。1775年4月、ボストン近郊のレキシントンとコンコードで植民地の民兵とイギリス軍が撃ち合い、戦争が始まった。大陸会議はジョージ・ワシントンを軍の総司令官に任じた。
それでも、多くの人はまだ独立までは考えていなかった。悪いのは国王の周りの大臣たちで、国王と和解できると信じる者が多かった。その空気を変えたのが、1776年1月に出たトマス・ペインの小冊子『コモン・センス』(『コモン・センス』)である。大陸が島に支配されるのは道理に合わない、王政そのものが誤りだ、と平易な言葉で説いたこの冊子は、数か月のうちに十数万部が売れたとされる。

6月、大陸会議は独立の宣言文を起草する5人の委員を選び、33歳のトマス・ジェファソンが筆をとった。ジョン・アダムズやベンジャミン・フランクリンが手を入れ、議会でもさらに削られた。7月2日に独立そのものが決議され、4日に宣言文が採択された。アダムズは妻への手紙で、7月2日がアメリカ史で最も記念すべき日として祝われるだろうと書いたが、記念日になったのは宣言文の日付の4日のほうだった。代表たちの多くが署名したのは、8月に入ってからである。
宣言文の大部分を占めるのは、国王ジョージ3世の非行を一つずつ挙げていく長いリストである。植民地の議会が作った法律を認めない。平時に軍を置く。植民地の同意なく税をかける。陪審による裁判を奪う。理念を宣言する文書であると同時に、訴状の形で書かれている。独立は気まぐれではなく、正当な理由のあるやむをえない決断だと世界に示す必要があった。フランスなどの外国の援助を得るためにも、植民地の反乱ではなく、独立した国どうしの戦争として認められなければならなかった。

その「すべての人は平等」という文章を書いたジェファソンは、生涯に600人を超える奴隷を所有していた。彼の草案には、国王が奴隷貿易をアフリカの人々に押しつけたと非難する一節があったが、南部のサウスカロライナとジョージアの代表の反対と、奴隷の運搬に関わる北部の商人への配慮から削られた。ジェファソンは自分の奴隷の女性サリー・ヘミングスとのあいだに子をもうけていた可能性が高いとされている。宣言の「すべての人」に、奴隷も、先住民も、女性も含まれていなかったことは明らかだった。アダムズの妻アビゲイルは、宣言の数か月前、夫に「女性たちのことを忘れないで」と書き送っている。
それでも、この言葉は書いた人々の意図を超えて一人歩きした。奴隷制に反対する人々は、宣言の言葉を掲げて奴隷制の矛盾を突いた。1848年、女性の権利を求める人々は、宣言をなぞって「すべての男性と女性は平等に造られている」と書いた。エイブラハム・リンカーンは南北戦争のさなか、ゲティスバーグの演説を「87年前」という言葉で始め、国の始まりを憲法ではなく独立宣言に置いた。

戦争は1781年のヨークタウンの戦いで決着し、1783年の講和でイギリスは独立を認めた。1787年にはアメリカ合衆国憲法の制定が作られる。
宣言は、その後の世界の独立宣言の手本になった。フランスの人権宣言は、アメリカの経験に強く影響されている。1945年、ホー・チ・ミンはベトナムの独立を宣言する文書を、まさにこの「すべての人は平等に造られ」という一節を引いて書き起こした(ベトナム民主共和国の独立宣言)。

ジェファソンとアダムズは、独立宣言からちょうど50年後の1826年7月4日、同じ日に亡くなった。原本はいま、ワシントンの国立公文書館に展示されている。インクはかなり薄れているが、文字はまだ読める。