できごと

鉄道の開業

Stockton and Darlington Railway
AD1825年9月27日
重要度 4
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1825年9月27日の版図を描いています(22勢力)。

概要

蒸気機関車が公共の交通になった。人と物が動く速さが桁で変わり、時刻という概念が全国で揃う。

場所

マンチェスター
53.48°N -2.24°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

ジョージ・スティーブンソンAD1781年6月9日–AD1848年8月12日 · 当人

本文

18世紀のイギリスでは、炭鉱から川や港まで石炭を運ぶために、木や鉄のレールを敷き、その上で馬に貨車を引かせる軌道が各地で使われていた。レールの上なら、同じ馬でも道を行くよりずっと重い荷を運べる。一方、ジェームズ・ワットの改良で、蒸気機関は工場の動力として広まっていた(ワットの蒸気機関)。19世紀のはじめには、この蒸気機関を車輪に載せて自ら走らせる試みが始まった。1804年にはトレヴィシックが、ウェールズの製鉄所の軌道で蒸気機関車を走らせている。

イングランド北東部のダーリントン近くには、内陸の炭鉱があった。その石炭を、ティーズ川の港町ストックトンまで安く運びたい。地元のクエーカー教徒の実業家エドワード・ピーズらが中心になって、両者を結ぶ鉄道を計画し、1821年に議会の許可を得た。技師に迎えられたのが、炭鉱で機関車を作っていたジョージ・スティーブンソンである。スティーブンソンの説得で、この鉄道は馬だけでなく、蒸気機関車も使うことになった。

ジョン・ドビン(John Dobbin)によるストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の開業、1825年
ジョン・ドビン(John Dobbin)によるストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の開業、1825年Wikimedia Commons John Dobbin · Public domain

1825年9月27日、開業の日、スティーブンソン自身が運転する機関車ロコモーション号が、石炭や小麦粉を積んだ貨車と、乗客を乗せた車両をつないで走り出した。乗客の数は数百人にのぼり、沿道には大勢の見物人が集まったと伝えられる。速さは、ところによって時速20キロを超えたとされるが、平均すればずっと遅かった。

この鉄道は、議会の許可を得て、誰でも料金を払えば使える公共の鉄道として開かれた。その点で、特定の炭鉱のための専用の軌道とは違っていた。蒸気機関車が公共の鉄道の上を走ったのは、これが初めてとされる。

ただし、開業当初の姿は、いまの鉄道とはかなり違っていた。蒸気機関車が引いたのは主に石炭の貨車で、乗客を運ぶ車両は、しばらくの間、馬が引いていた。しかも線路は、料金を払えば誰でも自分の馬車を走らせることができる、道路に近い使い方をされていた。機関車もたびたび故障した。蒸気機関車だけで旅客と貨物を時刻表どおりに運ぶ鉄道が生まれるのは、1830年に開業したリヴァプール・マンチェスター鉄道である。その前年、スティーブンソン父子のロケット号が、この路線の機関車を選ぶ試験で優勝していた(ロケット号とレインヒル)。

ロケット号とレインヒルに関わる図版:Rainhill Trials in the Illustrated London News
ロケット号とレインヒルWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

それでも、ストックトン・ダーリントン鉄道は、鉄道が商売として成り立つことを示した。石炭の運賃は大きく下がり、沿線の炭鉱は栄えた。終点の先には新しい港町ミドルズブラが生まれ、のちに製鉄の町として発展した。スティーブンソンがこの鉄道で採用したレールの幅(4フィート8インチ半、約1435ミリ)は、その後の多くの鉄道に引き継がれ、いまも世界の標準軌になっている。

ロコモーション号は、いまもイングランド北東部の博物館に保存されている。2025年には、開業から200年を記念する催しが沿線で行われた。

ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の計画図(1821年)
ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の計画図(1821年)Wikimedia Commons The Committee of The Stockton and Darlington Railway · Public domain

鉄道は、人と物が動く速さを、文字どおり桁違いに変えた。馬車で何日もかかった道のりが数時間になり、新鮮な食べ物や新聞が遠くの町に届くようになった。19世紀の半ばまでに、イギリスの国中に鉄道網が張りめぐらされ、鉄道を建設する熱狂は株の投機まで生んだ。

鉄道は、時間の感覚も変えた。それまでのイギリスでは、町ごとに太陽の高さで時刻を決めていて、東西に離れた町では時計が数分ずつずれていた。時刻表で列車を動かすには、それでは困る。鉄道会社は1840年代から、グリニッジの時刻に時計を揃えるようになり、やがて国全体がそれに従った(鉄道と標準時)。

鉄道と標準時に関わる図版:Exchangeclock
鉄道と標準時Wikimedia Commons Rodw at English Wikipedia · Public domain

鉄道は、やがてヨーロッパ大陸やアメリカへ、そしてアジアへと広がった。日本で最初の鉄道が新橋と横浜の間に開業したのは1872年のことで(新橋・横浜間の鉄道)、ストックトン・ダーリントン鉄道から半世紀足らず後だった。

出典(2)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第17章 産業の推進力
マット・リドレー(大田直子、鍛原多惠子、柴田裕之 訳) 『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』第8章 発明の発明

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