できごと

カリブの砂糖プランテーション

Sugar plantations in the Caribbean
1640年 – 1800年
期間を持つできごと重要度 5
スペイン帝国ポルトガル帝国アマゾンの狩猟採集民大英帝国ヌエバ・エスパーニャ副王領ApacheセネガルIllinnois𐓏𐒰𐓓𐒰𐓓𐒷 𐒼𐓂𐓊𐒻 𐓆𐒻𐒿𐒷 𐓀𐒰^𐓓𐒰^(Osage)コマンチアラパホーMescaleroShawneeKiowaErieCatawbaカドーカリブの狩猟採集民CaohuiltecsWichitaMuskogeeChicaksawCuba (Spain)GuachichilesQuapawChoctawTonkawaHispaniola (Spain)マヤの人びとCherokeeCaloosahatchee cultureHitchitiDelawareLipanTimucuaMissouriTuteloTamalipueca1640年バルバドス(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている1640年の版図を描いています(38勢力)。

概要

小さな島が、世界で最も利益の出る土地になった。砂糖のために数百万人が大西洋を運ばれ、ヨーロッパの食卓に甘さが日常として入る。工場に似た労働の管理も、ここで先に生まれた。

場所

バルバドス位置は特定されていない(誤差 ±25km)
13.19°N -59.54°E · バルバドス

本文

サトウキビ。ニューギニア原産。インドで結晶にする技術が生まれ(「サッカラ」)、アラブがそれを地中海へ運び、十字軍がヨーロッパへ持ち帰った。中世のヨーロッパでは、砂糖は薬屋で売る薬で、香辛料の一種だった。

大西洋の島。15世紀、ポルトガルがマデイラとサントメで、スペインがカナリアで、サトウキビの農園を作った。労働は、初め契約労働者と、やがてアフリカから運んだ奴隷。この「島のプランテーション」の型が、そのまま大西洋を渡った。

バルバドス、セント・マイケル教区のウォレンズ・グレートハウス
バルバドス、セント・マイケル教区のウォレンズ・グレートハウスWikimedia Commons CaribDigita · Public domain

ブラジル。1530年代から、ペルナンブーコとバイーアで。1600年頃、世界の砂糖の大半がここから。

バルバドス。1627年、イギリスが入植した。初めタバコと綿を作ったが、ヴァージニアに勝てなかった。1640年代、オランダ人(ブラジルから来た。オランダは1630〜54年、ブラジル北東部を占領していた)が、製糖の技術と、信用と、奴隷の供給を持ち込んだ。

1823年、英領アンティグアの製糖所の構内
1823年、英領アンティグアの製糖所の構内Wikimedia Commons William Clark · CC0

「砂糖革命」。10年で、島が変わった。

(1)土地。小さな農地が、大農園に統合された。1645年、農園の平均は10エーカー、1667年には200エーカー以上。小農は追い出された。 (2)労働。1645年、白人の年季奉公人1万1200人、黒人奴隷5680人。1667年、白人8300人、黒人8万2000人。 (3)人口密度。バルバドスは430平方キロ。1680年代、世界で最も人口密度の高い土地の一つになり、そして最も富んだ植民地になった(ロンドンへの砂糖の輸出額が、北米13植民地の全輸出額を上回った時期がある)。

バルバドスの労働歌。18世紀末に書き留められた、ユネスコ世界記憶遺産に登録
バルバドスの労働歌。18世紀末に書き留められた、ユネスコ世界記憶遺産に登録Wikimedia Commons Granville Sharpe (1735–1813) · Public domain

製糖工場。ここが、他の作物と違う。

サトウキビは、刈ってから24時間以内に搾らなければ、糖が失われる。だから、収穫と製造が、時計で繋がっている。畑で刈る人、運ぶ人、ローラーで搾る人(鉄のローラーに手を挟まれる事故が多く、鉈を持った人が横に立っていた——腕を切り落とすために)、煮る人(5つの大釜を順に、熱い液を柄杓で移す)、結晶を型に入れる人。

収穫期(ザフラ)の4〜6か月、工場は昼夜、動き続けた。18時間労働。「農業と工業の中間の形」(シドニー・ミンツ『甘さと権力』)。近代の工場労働の原型が、ここにある、という見方がある。

死亡率。カリブの砂糖植民地では、奴隷の死亡が出生を上回り続けた。人口を維持するために、輸入し続けなければならなかった。ジャマイカでは、1655年から1807年までに約75万人が運ばれ、1807年(奴隷貿易の廃止)の時点で人口は35万人だった。

数。大西洋を渡ったアフリカ人は約1250万人(うち約1070万人が到着。約180万人が航海中に死んだ)。行き先の内訳は、ブラジル約46%、カリブ諸島約36%、スペイン領アメリカ約11%、北米(後の合衆国)約4%。その大半が、砂糖の労働だった。

消費。イギリス人一人あたりの砂糖の消費は、1700年に年1.8キロ、1800年に8キロ、1900年に40キロ。茶に入れる砂糖が、工場労働者の安いカロリー源になった。「砂糖入りの紅茶とパン」が、19世紀のイギリスの労働者の食事になった。

三角貿易。ヨーロッパから武器と布と酒をアフリカへ、アフリカから人をアメリカへ、アメリカから砂糖とラムと綿をヨーロッパへ。ただし、実際の航路はもっと複雑で、多くの船は単純な三角形を描かなかった。

廃止。1791年、サン・ドマング(世界の砂糖の4割を作っていた)で奴隷が蜂起した。1804年、ハイチ。1807年、イギリスが奴隷貿易を禁止。1833年、イギリスの奴隷制廃止(奴隷所有者に2000万ポンドの補償。奴隷への補償はなかった)。1848年、フランス。1863年、オランダ。1888年、ブラジル。

出典(4)

フェルナン・ブローデル(村上光彦 訳) 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』第2巻 交換のはたらき
川北稔 『砂糖の世界史』第3〜5章(プランテーションと三角貿易)
ウィリアム・バーンスタイン(鬼澤忍 訳) 『交易の世界史 シュメールから現代まで』第8章(砂糖とコーヒー)
エドゥアルド・ガレアーノ(大久保光夫 訳) 『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』第2部(砂糖の王国)

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