
概要
戦のない時代が続いた江戸時代、文化の担い手は大名と公家から、上方の、そして江戸の町人へ移っていった。寛永・元禄・宝暦天明・化政と、時代ごとに中心が変わる。
この物語について
大坂の陣が終わり、戦のない時代が始まると、文化の担い手は少しずつ変わっていった。17世紀の前半、寛永のころには、日光東照宮の豪華な社殿や桂離宮が造られ、京都の本阿弥光悦や俵屋宗達が、公家と町衆の文化をつないだ。
17世紀の終わりから18世紀の初め、元禄のころには、大坂と京都の町人が文化の中心になった。井原西鶴は町人の欲と金を小説に書き、近松門左衛門は心中に至る男女を人形浄瑠璃に書き、松尾芭蕉は旅をして俳諧を芸術にした。学問では儒学、とりわけ朱子学が幕府に重んじられ、関孝和は日本独自の数学である和算を深めた。
18世紀の後半、田沼意次の時代を中心とする宝暦・天明のころには、新しい学問が生まれた。杉田玄白と前野良沢はオランダ語の解剖書を訳して『解体新書』を出し、平賀源内はエレキテルを修理して見せた。本居宣長は『古事記伝』を書き、日本の古典から日本人の心を読み取ろうとする国学を大成した。
19世紀の初め、文化・文政のころには、中心は江戸に移り、町人の文化は爛熟した。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は旅ブームを生み、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵は、のちにヨーロッパの画家たちを驚かせる。伊能忠敬は全国を歩いて正確な日本地図を作り、各地の寺子屋で子どもたちが読み書きそろばんを学んでいた。
この物語のページには、ムンディ先生の講義から、寛永期の文化、元禄文化の儒学の回、宝暦・天明期の文学と絵画の回を置いた。そのほかの回は、井原西鶴、関孝和と和算、『解体新書』、寺子屋、伊能忠敬の日本図、『東海道中膝栗毛』、葛飾北斎のページにある。
動画(3)
この物語が起きた場所
筋(13)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- 井原西鶴人物AD1642年 – AD1693年9月9日町人の欲と金大坂の町人。俳諧の談林派で、一昼夜に2万3500句を詠んだ(矢数俳諧)。妻が死んで、散文へ。『好色一代男』(1682年)で浮世草子が始まった。『好色五人女』『日本永代蔵』『世間胸算用』。金と色と町人の生活を、笑って、細かく、速く書いた。「浮世の月見過ごしにけり末二年」。52歳。
- 松尾芭蕉人物AD1644年 – AD1694年旅と俳諧俳諧を文学に高めた。『おくのほそ道』は旅の記録であり、思索の記録でもある。
- 近松門左衛門人物AD1653年 – AD1725年1月6日人形浄瑠璃越前の武士の子。京で公家に仕え、浄瑠璃を書いた。竹本義太夫と組んで『出世景清』(1685年)。『曽根崎心中』(1703年)で世話物。実際の心中を1か月で舞台に。『心中天網島』『冥途の飛脚』『国性爺合戦』。「虚実皮膜」。100以上の作。「日本のシェイクスピア」と明治に呼ばれた。72歳。
- 関孝和と和算できごとAD1683年和算甲府藩、のち幕府の勘定方に仕えた武士が、中国伝来の数学を組み替えた。算木を並べる代わりに、紙の上で未知数を記号で表す「傍書法」を作り、多元の高次方程式を扱った。行列式に相当する考え方を、ヨーロッパのライプニッツとほぼ同時期に得ている。円周率を小数第11位まで、円の求積を無限級数で。門人が全国に広がり、神社に問題と解答の絵馬を奉納する「算額」の風習が生まれた。数学が庶民の趣味になった、珍しい例である。江戸
- 元禄文化できごとAD1700年頃上方の町人の文化町人が文化の担い手になった。浮世草子・浄瑠璃・俳諧が花開く。大坂

- 『仮名手本忠臣蔵』の初演できごとAD1748年1748年、大坂の竹本座で、人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が初めて上演された。四十数年前の赤穂の浪士の討ち入りを描いた作である。幕府は武家の実際の事件を芝居にすることを禁じていたので、時代を室町の初めに移し、吉良を高師直、大石内蔵助を大星由良之助という名に変えている。すぐに歌舞伎にも移され、どれほど客の入らない時でもこれを出せば当たるという意味で、芝居の世界では「独参湯」(よく効く薬)と呼ばれた。「忠臣蔵」は、主君への忠義の物語として、映画やテレビで繰り返し作り直された。大坂
- 葛飾北斎人物AD1760年 – AD1849年5月10日化政の浮世絵70歳を過ぎてから富嶽三十六景を描いた。90年で30回改名し、93回引っ越したと伝わる。
- 『解体新書』できごとAD1774年(安永3年)蘭学の始まり1771年、杉田玄白と前野良沢が小塚原の刑場で腑分けを見て、持っていたオランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』の図と同じだと知った。翌日から翻訳を始めた。辞書はなく、良沢が少しオランダ語を読めるだけ。「鼻はフルヘッヘンドしている」を「うずたかい」と解くのに1日。3年半。「神経」「軟骨」「動脈」はこのとき作られた言葉。蘭学の始まり。江戸

- 平賀源内のエレキテルできごとAD1776年(安永5年)長崎で壊れたオランダの摩擦起電機を手に入れて、7年、修理した。ガラスを回して静電気を起こし、火花が出る。見世物にして金を取った。本草学、物産会、火浣布(石綿)、寒暖計、油絵、浄瑠璃、『放屁論』、土用の丑の日。何でもやって、何も完成せず、1779年、酒で人を斬って獄死した。「ああ非常の人、非常の事を好み、行いこれ非常」。杉田玄白の墓碑。江戸
- 本居宣長『古事記伝』できごとAD1798年(寛政10年)国学の大成松阪の医者が、35年かけて『古事記』を全部注釈した。44巻。1000年、誰も読めなくなっていた古事記の音を、万葉集と祝詞から復元した。「漢意(からごころ)を去れ」。儒教と仏教の理屈で読まず、あったままを。「もののあはれ」。国学の頂点で、そこから平田篤胤の復古神道が出て、幕末の尊王が出た。松阪
- 寺子屋できごとAD1800年頃町と村の読み書き江戸の後期、町と村に無数の私塾があった。師匠は僧、神官、浪人、医者、そして女性。一部屋に年齢のばらばらな子が集まり、それぞれ違う手本を写す。一斉授業ではない。教えたのは「読み書き算盤」と、往来物と呼ばれる実用の教科書(商売往来、百姓往来)。全国で1万数千以上あったとされる。幕末の日本の識字率は、男子で4割前後という推計がある。国家が作った制度ではなく、需要に応じて自然に増えた。江戸

- 『東海道中膝栗毛』できごとAD1802年旅ブーム江戸の町人、弥次郎兵衛と喜多八の二人が、伊勢参りを口実に東海道を旅する。宿場ごとに失敗し、だまされ、喧嘩し、笑いを振りまく。1802年、十返舎一九が出した滑稽本の初編は評判を呼び、続編が二十年以上にわたって出された。庶民が旅をするようになった時代の、旅の案内書としても読まれた。各地の名物や方言が織り込まれている。弥次さん喜多さんという呼び名は、いまも気ままな二人旅の代名詞になっている。江戸
- 伊能忠敬の日本図できごとAD1821年歩いて作った地図酒造家を隠居した50歳が、19歳年下の天文学者に弟子入りし、55歳から17年、歩いて日本を測った。4万キロ。死んで3年後、弟子が『大日本沿海輿地全図』を完成させた。緯度は正確で、経度は少しずれた。シーボルトが写しを持ち出し、ヨーロッパの日本地図になった。江戸
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