概要
1771年、杉田玄白と前野良沢が小塚原の刑場で腑分けを見て、持っていたオランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』の図と同じだと知った。翌日から翻訳を始めた。辞書はなく、良沢が少しオランダ語を読めるだけ。「鼻はフルヘッヘンドしている」を「うずたかい」と解くのに1日。3年半。「神経」「軟骨」「動脈」はこのとき作られた言葉。蘭学の始まり。
場所
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
関わった人(2)
杉田玄白AD1733年10月20日–AD1817年6月1日 · 訳した前野良沢AD1723年–AD1803年10月17日 · オランダ語本文
1771年3月4日(旧暦)、小塚原。江戸の北の刑場。「青茶婆」という50歳の女の死刑囚の腑分け(解剖)が許され、杉田玄白(38歳)、前野良沢(48歳)、中川淳庵が見に行った。玄白と良沢は、それぞれ持っていた同じ本を持って来ていた。クルムスの『解剖学表(Anatomische Tabellen)』のオランダ語訳、『ターヘル・アナトミア』(1734年)。腑分けは老人の非人がした。玄白たちは図と見比べた。肺、心臓、胃、腸。「図と少しも違わない」。
帰り道、3人は話した。「医者でありながら、体の中を知らなかった。この本を訳そう」。
翌日から、良沢の家で。辞書はない。良沢は前年、長崎で100日オランダ語を習って、700語ほど知っていた。玄白は知らなかった。「櫓も舵もない船で大海に出たようだった」。1語に1日。「フルヘッヘンド」を、良沢が「木の枝を切ると跡が盛り上がる、庭を掃くと塵が集まって盛り上がる」と例文から推して、「鼻は顔の中でうずたかい所」と解いた。「堆」。
3年半。11回、書き直した。1774年8月、『解体新書』5巻(図1巻)。序図、本文4巻。出版は須原屋市兵衛。序文は吉雄耕牛(長崎の通詞)。翻訳者は玄白、淳庵、桂川甫周、石川玄常。良沢の名がない。良沢が「まだ不完全だから」と拒んだ。
言葉を作った。「神経」(神気と経脈)、「軟骨」、「動脈」、「門脈」、「盲腸」、「十二指腸」。それまでの日本語にない体の部分に、漢字2文字。中国と朝鮮がそのまま使った。
蘭学。それから、大槻玄沢(玄白と良沢の弟子、名の一字ずつ)の『蘭学階梯』、稲村三伯の『ハルマ和解』(辞書、1796年)、宇田川玄真、シーボルト、緒方洪庵、福沢諭吉。
1815年、83歳の玄白が『蘭学事始』を書いて、あの日のことを回想した。福沢諭吉がそれを1869年に刊行した。