概要
長崎で壊れたオランダの摩擦起電機を手に入れて、7年、修理した。ガラスを回して静電気を起こし、火花が出る。見世物にして金を取った。本草学、物産会、火浣布(石綿)、寒暖計、油絵、浄瑠璃、『放屁論』、土用の丑の日。何でもやって、何も完成せず、1779年、酒で人を斬って獄死した。「ああ非常の人、非常の事を好み、行いこれ非常」。杉田玄白の墓碑。
場所
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
関わった人(1)
平賀源内AD1728年–AD1780年1月24日 · 修理した本文
エレキテルはオランダ語 elektriciteit。摩擦起電機。ガラスの円筒を回して布で擦り、静電気を起こし、蓄電瓶(ライデン瓶)に貯める。ヨーロッパでは1740年代から見世物と医療に使われた。
源内は1770年、2度目の長崎で、壊れたエレキテルを手に入れた。通詞の家にあった。7年。1776年、江戸の深川で修理して、動かした。木の箱に、ガラス筒とハンドルと、電気を取り出す金属の部分。火花が出る。人が触ると震える。
見世物にした。大名と豪商を招いて、金を取って見せた。医療器具だと言った。「気を通して病を治す」。オランダの本を読んで原理を理解していたか、は怪しい。修理した箱の中の仕組みは知っていた。
源内は本草学者で、1762年に江戸で物産会(全国から1300種の産物を集めた展示会)を開き、『物類品隲』を書いた。石綿で燃えない布(火浣布)を作った。寒暖計。秩父で鉱山を開いて失敗した。西洋画を描いて秋田藩の小田野直武に教え(直武が『解体新書』の図を描いた)。戯作を書いて笑わせた。浄瑠璃『神霊矢口渡』は当たった。「土用の丑の日に鰻」は、鰻屋に頼まれて書いた宣伝文、という話は明治以後の伝説。
1779年11月、江戸の家で、大工の棟梁2人を酒の上で斬った。1人死んだ。獄に入れられて、12月、破傷風で死んだ。52歳。杉田玄白が葬った。墓碑は玄白の言葉。「ああ非常の人、非常の事を好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや」。
エレキテルは2台残っている。1台は逓信総合博物館(現在は郵政博物館)に、国の重要文化財。