できごと

産業革命

Industrial Revolution
1760年 – 1840年
期間を持つできごと重要度 5
産業革命に関わる図版:Powerloom weaving in 1835
Powerloom weaving in 1835 Wikimedia Commons Illustrator T. Allom, Engraver J. Tingle · Public domain

概要

石炭と蒸気で、人と家畜の力に頼らない生産が始まった。人類の暮らしが根本から変わる。

場所

マンチェスター
53.48°N -2.24°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

ジェームズ・ワットAD1736年–AD1819年 · 蒸気機関を実用にした

本文

18世紀の半ばまで、人間が使える力は限られていた。自分の筋肉、牛や馬、水車、風車。どれも量に上限があり、場所を選ぶ。水車を回すには川が要り、風車は風まかせになる。どれほど賢い王も、どれほど豊かな商人も、この枠の中で暮らしていた。

その枠を破ったのが石炭だった。地中に眠る数億年分の植物の名残を燃やせば、川も風も無いところで、昼夜を問わず力を取り出せる。産業革命とは、この地下の燃料を人間の動力に変えた出来事と言い直せる。

なぜイギリスから始まったのかには決まった答えがない。石炭が浅いところにあり、しかも運河や海で運べたこと。毛織物と綿布を売る植民地と海外市場があったこと。囲い込みで農村の働き手が都市に出ていたこと。特許の制度と、職人と学者が同じ集まりで話す土壌があったこと。どれも要るが、どれも単独では足りない。経済史家ロバート・アレンは、イギリスは賃金が高く石炭が安かったため、人手を機械と燃料に置き換える発明がここでだけ割に合ったと説明する。なぜ同じく豊かだった中国の長江下流域ではなかったのかは「大分岐」と呼ばれ、いまも議論が続いている。

囲い込みに関わる図版:Reeve and Serfs
囲い込みWikimedia Commons anonymous (Queen Mary Master) · Public domain

最初の蒸気機関は、炭鉱の水をくみ出すためのものだった。1712年のニューコメンの蒸気機関は大量の石炭を食ったが、燃料がただ同然の炭鉱でなら使えた。これを改良したのがジェームズ・ワットになる。シリンダーとは別に蒸気を冷やす部屋を設けることで、燃料の消費を大きく減らした。1769年に特許を取り、のちに実業家ボールトンと組んで、回転運動を取り出せる機関を工場に売るようになる。

先に機械化が進んだのは綿だった。ハーグリーヴズのジェニー紡績機、アークライトの水力紡績機、クロンプトンのミュール紡績機と、18世紀後半の数十年で、一人の職人が回す糸車が、数十から数百の紡錘を同時に回す機械に置き換わった。はじめは水車で動かしたが、やがて蒸気が入る。工場は川のそばでなくてよくなり、石炭と働き手の集まる町に建つようになった。

産業革命の象徴にもなった、世界最初の鉄道である、ダラム州のストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の開業、1825年
産業革命の象徴にもなった、世界最初の鉄道である、ダラム州のストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の開業、1825年Wikimedia Commons John Dobbin · Public domain

その中心がマンチェスターである。1801年に7万人ほどだった人口は、50年後には30万人を超えた。綿の原料はアメリカ南部の奴隷制の農園から来た。綿繰り機が南部の綿花栽培を爆発的に広げ、奴隷制をかえって強めたことは、この革命の影の部分になる。

鉄と輸送も変わった。木炭の代わりに石炭から作るコークスで鉄を溶かすようになり、森を切り尽くさずに鉄が大量に作れる。1825年には、イングランド北東部で蒸気機関車の走る公共の鉄道が開業し(鉄道の開業)、1830年にはリヴァプールとマンチェスターが鉄道で結ばれた。ロケット号とレインヒルで蒸気機関車の速さが示されると、数十年のうちに国中に線路が張られる。

ロケット号とレインヒルに関わる図版:Rainhill Trials in the Illustrated London News
ロケット号とレインヒルWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

同じ時期に、都市の平均寿命は一度下がっている。煤煙、汚水、密集した住まい、コレラ、長時間労働、子どもの労働。紡績工場では10歳に満たない子どもが一日12時間以上働くこともあった。1833年工場法は9歳未満の子どもを繊維工場で雇うことを禁じたが、それが規制の始まりだったことが、それまでの状態を物語る。1845年、若いエンゲルスはマンチェスターの労働者街を歩いて報告を書き、のちにカール・マルクスとともに『共産党宣言』を著した。

機械に仕事を奪われる側も黙ってはいなかった。1811年から数年のあいだ、イングランド中部と北部では、職を失った手織りの職人たちが夜に工場を襲い、編み機や織機を打ち壊した。彼らは架空の指導者の名をとってラッダイトと呼ばれた。政府は軍を送り、機械を壊すことを死刑に当たる罪とした。のちには、男子の普通選挙を求めるチャーティスト運動のように、壊すのではなく政治に訴える運動が育っていく。

チャーティスト運動に関わる図版:Chartist meeting on Kennington Common by William Edward Kilburn 1848 - restoration1
チャーティスト運動Wikimedia Commons William Edward Kilburn (1818 - 1891) Details on Google Art Project · Public domain

暮らしが良くなったのか悪くなったのかは、「生活水準論争」として長く争われてきた。賃金の統計、食べ物の値段、兵士の身長の記録などを使って調べられているが、19世紀前半の労働者にとって目に見える改善は乏しかったとする見方が強い。統計がはっきり改善に転じるのは、半世紀以上あとになる。

「産業革命」という呼び名が広まったのは、1880年代のアーノルド・トインビーの講義からである。ただし、当時の人が一夜の革命を体験したわけではない。変化はおよそ80年をかけてじわじわと進み、成長率も最初は年に1〜2パーセント程度にすぎなかった。それでも、それが止まらずに続いたことが、それまでの人類史と決定的に違った。人口と生産がともに増え続ける世界は、ここから始まる。

イギリスは長く機械の輸出や職人の出国を制限したが、技術は止められなかった。19世紀にはベルギー、フランス、ドイツ、アメリカが続き、1851年のロンドン万国博覧会では、ガラスと鉄で組んだ巨大な会場に各国の機械が並べられた。日本では、明治の政府が富岡に官営の製糸場を建て、1872年に新橋と横浜のあいだに鉄道を走らせた。イギリスが80年かけた道のりを、後から来た国々は数十年で駆け抜けようとした。

ロンドン万国博覧会に関わる図版:The Crystal Palace in Hyde Park for Grand International Exhibition of 1851
ロンドン万国博覧会Wikimedia Commons Read & Co. Engravers & Printers · Public domain

いま地球の大気にある二酸化炭素の増加分は、ほとんどこの時から後に出たものである。産業革命の前に280ppmほどだった濃度は、21世紀には400ppmを大きく超えた。石炭を燃やして手にした力は、そのつけを、200年以上たってから払わせようとしている。

動画(1)

Coal, Steam, and The Industrial Revolution: Crash Course World History #32CrashCourseなぜイギリスだったのか、という問いに複数の説を並べて答えている

出典(10)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第17章 産業の推進力
ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン(鬼澤忍 訳) 『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』第7章 転換点
ケネス・ポメランツ(川北稔 監訳) 『大分岐 中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』第6章(制約を解いたアメリカ大陸と石炭)
ウィリアム・H・マクニール(増田義郎、佐々木昭夫 訳) 『世界史』第III部 西欧の優勢(1500〜1850年)
マックス・ウェーバー(大塚久雄 訳) 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』第2章(禁欲の精神が、宗教を抜きにして残る)
カール・ポランニー(野口建彦、栖原学 訳) 『大転換 市場社会の形成と崩壊』第3章(産業革命が社会に何をしたか)
イマニュエル・ウォーラーステイン(川北稔 訳) 『近代世界システム』第III巻(第二の中核への移行)
フェルナン・ブローデル(村上光彦 訳) 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』第3巻 世界時間(ロンドンへ中心が移る)
川北稔 『砂糖の世界史』第7章(労働者の朝食が変わる)
アンドレ・グンダー・フランク(山下範久 訳) 『リオリエント アジア時代のグローバル・エコノミー』第5章(なぜ19世紀に西が上がったのか)

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