国・勢力

ムガル帝国

Mughal Empire
AD1526年(第一次パーニーパットの戦い) – AD1857年(インド大反乱の敗北による廃位)
地図での色首都 デリー重要度 5

概要

ティムールの子孫がインドに建てた。アクバルはヒンドゥーへの人頭税をやめて諸宗教の議論の場を作り、アウラングゼーブはそれを覆して南へ広げた。広げた先で財政が破綻する。

版図の移り変わり(6)

  1. AD1526 – AD1555バーブル。デリーとパンジャーブ
  2. AD1556 – AD1575アクバル。北インド全域へ
  3. AD1576 – AD1686ベンガルを併合。ガンジスの河口まで
  4. AD1687 – AD1756アウラングゼーブ。デカンを併せて最大版図
  5. AD1757 – AD1802プラッシーの戦い。ベンガルの徴税権が東インド会社に移る
  6. AD1803 – AD1857デリーが東インド会社の保護下に入る。皇帝は城の中だけになる

この国の人物(3)

アウラングゼーブAD1618年11月3日–AD1707年3月3日アクバルAD1542年–AD1605年ヌール・ジャハーンAD1577年5月31日–AD1645年12月17日

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動画(2)

嗚呼!栄光のムガール帝国 〜黄金の玉座を巡るハイエナたちの闘争〜【54-1 COTEN RADIO ムガール帝国編1】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIOティムールの子孫がインドへ来るまでの前史から始まるシリーズの第1回
The rise and fall of the Mughal Empire - Stephanie Honchell SmithTED-Edアクバルの寛容とアウラングゼーブの転換を、同じ帝国の二つの選択として並べている
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