できごと

トウモロコシの栽培化

Domestication of maize
約9000年前
年に諸説あり重要度 4
約9000年前バルサス川流域(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている約9000年前の版図を描いています。

概要

実が指ほどしかない野生のテオシントから、数千年かけて作った。新大陸で農耕の立ち上がりが遅れた理由の一つに挙げられる。

場所

バルサス川流域位置は特定されていない(誤差 ±150km)
18.00°N -100.00°E · メキシコ・ゲレーロ州

本文

トウモロコシには、野生のままの姿が無い。人が手をかけなければ、子孫を残すことができない。実は硬い皮に何重にも包まれ、熟しても穂から落ちない。誰かが皮をむいて粒を取り、土に蒔かなければ、一世代で消えてしまう。この植物は、人と一緒に作り上げられた。

祖先がどの植物なのかは、20世紀の大きな論争の一つだった。いまでは、メキシコの野に生えるテオシントという草が祖先だということで、ほぼ決着している。テオシントは背の高いイネ科の草で、見た目はトウモロコシとはまるで違う。枝分かれした茎に小さな穂がいくつもつき、一つの穂には、硬い殻に一粒ずつ包まれた実が5〜12粒ほど、一列に並ぶだけだ。熟すと穂がばらばらに砕けて、粒が地面に散る。指の先ほどの穂を、石のように硬い殻ごと食べるわけにはいかない。

トウモロコシ
トウモロコシWikimedia Commons The original Uploader was wstoakLL at English Wikipedia · Public domain

2002年の遺伝子の研究は、いまのトウモロコシが、メキシコ南西部のバルサス川流域に生えるテオシントの一群から、一度だけ栽培化されたことを示した。その時期は、遺伝子の変化の積み重なりから9000年前ごろと推定された。のちに、同じバルサス川流域の岩陰の遺跡で、約8700年前の石臼の表面から、トウモロコシの澱粉の粒と植物の珪酸体が見つかり、この推定が裏づけられた。

栽培化の鍵は、ほんの数個の遺伝子の変化だった。一つは、粒を包む硬い殻を薄く小さくする変化で、これで粒がむき出しになり、食べられるようになった。もう一つは、たくさんの枝分かれを抑えて一本の太い茎にまとめる変化で、栄養が少数の大きな穂に集まるようになった。人びとはおそらく、たまたま殻のやわらかい株や、穂の砕けにくい株を見つけて、その種を選んで蒔き続けた。

トウモロコシ、江戸時代の農業百科事典『成形図説』のイラスト(1804年)
トウモロコシ、江戸時代の農業百科事典『成形図説』のイラスト(1804年)Wikimedia Commons Anonymous Unknown author · CC BY 4.0

ただ、いまの形に近づくには、そこから何千年もかかっている。オアハカの洞窟で見つかった6000年あまり前の穂は、長さが2cmほどしかない。穂が大きく、粒の列が増え、一株から穫れる量が人の暮らしを支えるほどになるまでには、さらに数千年を要した。メソアメリカで村の暮らしがトウモロコシに頼って定着するのは、栽培化が始まってから5000年ほどあとのことになる。

ここに、旧大陸との大きな違いがある。西アジアの小麦や大麦は、野生のままでも粒が大きく、そのまま集めて食べられた。実が穂から落ちない変異を一つ選べば、すぐに作物になった。だから栽培化から定住の村までが速かった。ジャレド・ダイアモンドは『銃・病原菌・鉄』(物語「『銃・病原菌・鉄』で読む歴史」)の中で、新大陸で農耕にもとづく社会の立ち上がりが旧大陸より数千年遅れた理由の一つに、このトウモロコシの祖先の扱いにくさを挙げている。栽培に向いた野生の植物と、家畜にできる大型の動物の偏りが、大陸の運命を分けた、という筋になる。

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それでも、栽培化を終えたトウモロコシは、驚くほどの作物になった。暑さにも寒さにも、低地にも高地にも合わせて品種が作られ、南はアンデスへ、北は北アメリカの東部の森へと広がっていった。豆とカボチャを同じ畑に植える「三姉妹」の農法は、土を守り、栄養の釣り合いのとれた食べ物を生んだ。

もう一つの発明が、粒を石灰や灰を溶かした水で煮る調理法だった。こうすると皮がむけてこねやすくなり、トルティーヤの生地が作れる。それだけでなく、トウモロコシに含まれる栄養のビタミンの一種が、体に吸収される形に変わる。のちにトウモロコシがヨーロッパやアメリカ南部に渡り、この調理法を伴わずに主食にされたとき、ペラグラという栄養の病が広がった。先住民が何千年もかけて身につけた知恵の意味は、失われてから初めて分かった。

トウモロコシの植物図
トウモロコシの植物図Wikimedia Commons Franz Eugen Köhler, Köhler's Medizinal-Pflanzen · Public domain

接触前のアメリカの都市は、この草の上に建っている。オルメカ文明、マヤ(マヤ古典期)、テオティワカンの隆盛、アステカ、ミシシッピ川流域のカホキアの繁栄。マヤの神話は、神々が最初の人間をトウモロコシの粉から作ったと語る。

1492年以後、トウモロコシは大西洋を渡った(コロンブス交換)。アフリカでは主食の一つになり、中国では山地の開墾を支えて人口の増加を後押しした。いま、トウモロコシは世界で最も多く生産される穀物で、家畜の飼料、油、甘味料、燃料にまで姿を変えている。メキシコの谷で人が硬い殻の草の粒を選び始めてから、9000年後のことになる。

出典(3)

ジャレド・ダイアモンド(倉骨彰 訳) 『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか
チャールズ・C・マン(布施由紀子 訳) 『1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』第2部(トウモロコシという発明)
フェルナン・ブローデル(村上光彦 訳) 『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀』第1巻 日常性の構造

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