天然痘のアメリカ大陸上陸
概要
スペイン人より先に、病が帝国を崩した。免疫を持たない大陸で、人口の大半が一世紀のうちに失われる。
場所
19.43°N -99.13°E · メキシコ・メキシコシティ
本文
1520年、メキシコ湾岸に着いたスペインの船の一隻に、天然痘にかかった一人の男が乗っていた。そこから広がった病は、その年のうちにアステカの都テノチティトランに達し、都の人々を次々に倒した。新大陸の征服は、しばしば少数のスペイン人が鉄の武器と馬で大帝国を倒した物語として語られる。だが、最初に帝国を崩したのは、人の目に見えない病だった。
1492年のコロンブスの到達のあと、スペイン人はまずカリブ海の島々に住み着いた。イスパニョーラ島の先住民タイノの人々は、強制労働と暴力と飢え、そして持ち込まれた病によって、数十年で激減した。1518年の暮れには、この島で天然痘の流行が記録されている。新大陸で確かめられる最初の天然痘の流行である。その惨状は、のちにバルトロメ・デ・ラス・カサスが告発した。

1519年、エルナン・コルテスは数百人の兵を率いてメキシコ本土に上陸し、アステカに反感を持つ周辺の人々を味方につけながら内陸へ進んだ。テノチティトランに入ると、皇帝モクテスマ2世を事実上の人質にした。翌1520年の春、キューバの総督は、命令に背いて独断で動いたコルテスを捕らえるため、ナルバエスの率いる艦隊を送った。この艦隊に、天然痘にかかったアフリカ出身の奴隷が乗っていたと、スペイン側の記録は伝える。コルテスはナルバエスの軍を打ち破って兵を取り込んだが、病はすでに上陸地から広がり始めていた。
同じころ、都では、コルテスの留守を預かった部下が祭りに集まったアステカの貴族たちを殺し、人々が蜂起した。モクテスマは混乱の中で死に、1520年6月の終わり、スペイン人は多くの死者を出しながら夜の闇に紛れて都から逃げ出した。スペイン人が「悲しき夜」と呼んだ敗走である。

天然痘がテノチティトランに入ったのは、その数か月後だった。のちにスペイン人の修道士が先住民から聞き書きをまとめた記録は、その様子を生々しく伝えている。発疹が顔にも胸にも腹にも広がり、人々は身動きもできず、寝返りを打つこともできなかった。動けば叫ぶほど痛んだ。看病する人も倒れたため、病そのものではなく飢えで死んだ人も多かった。モクテスマの跡を継いだ新しい皇帝も、在位わずか80日ほどで、この病で死んだとされる。
1521年の春、コルテスは周辺の先住民の大軍とともに都に戻り、湖の上の都を包囲した。包囲は3か月近くに及び、8月、都は陥落した(テノチティトランの陥落)。守る側は、病で人口と指導者を失い、まだ立ち直れないままだった。陥落後の町は死体で埋まり、スペイン人は死体を踏まずに歩けなかったと伝えられる。

南米のインカ帝国には、スペイン人がたどり着く前に病が届いていた。1520年代の後半、正体ははっきりしないが、天然痘とみられる疫病がアンデスに広がった。インカの皇帝ワイナ・カパックは、この流行のさなかに死に、跡継ぎに指名されていた息子も相前後して死んだと伝えられる。残った息子たち、ワスカルとアタワルパのあいだで、帝位をめぐる激しい内戦が起きた。1532年、フランシスコ・ピサロが200人に満たない兵を率いてアンデスに入ったとき、帝国は内戦でまっ二つに割れていた。アタワルパはピサロに捕らえられて処刑され、帝国は崩れた(インカ帝国の滅亡)。
天然痘に続いて、麻疹、インフルエンザ、チフス、ジフテリアなどが次々に新大陸に渡った。病は一度で終わらず、何度も波のように押し寄せた。メキシコでは1545年から数年続いた疫病が、天然痘のとき以上の死者を出したとも言われる。その正体については、いまも議論が続いている。北アメリカでも、イギリスの入植者が本格的にやって来る前から病が広がっていた。1620年にメイフラワー号の人々が上陸した土地は、直前の流行で先住民の村が消えたばかりの場所だった。

なぜ病は、ヨーロッパからアメリカへ一方的に流れたのか。天然痘も麻疹もインフルエンザも、もとをたどれば、人が牛や豚や鶏などの家畜と密に暮らす中で、動物の病原体が人にうつって生まれたと考えられている。ユーラシアの人々は何千年もそうした病とともに暮らし、子どものころにかかって生き延びた人が免疫を持っていた。だが、アメリカ大陸には、群れで飼う大型の家畜がほとんどいなかった。家畜といえば、アンデスのリャマとアルパカ、それに七面鳥や犬くらいだった。そのため、こうした病がもともと存在せず、大陸の誰一人として免疫を持っていなかった。逆向きに大西洋を渡って旧大陸で大流行した病は、梅毒がそうだとする説があるものの、ほとんど見当たらない。
この非対称を、地理と家畜の違いから説明したのが、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』である(物語「『銃・病原菌・鉄』で読む歴史」)。ヨーロッパ人が新大陸を征服できたのは、人種の優劣ではなく、大陸の形と、飼いならせる動物の分布の違いによる、と彼は論じた。

接触の前にアメリカ大陸に何人の人が住んでいたのかは、いまも推計に大きな幅がある。大陸全体で数百万人とする古い見積もりから、1億人を超えるとする見積もりまである。近年は5千万人前後とする研究が多い。ただ、どの推計をとっても、病と征服と社会の崩壊によって、一世紀ほどのあいだに人口の大半が失われたことは一致している。メキシコの中央部では、16世紀の末までに人口が9割ほど減ったと見る研究者も多い。
人口の激減は、新大陸の姿そのものを変えた。働き手を失った農園と鉱山は、アフリカから運ばれた人々で埋め合わされ、大西洋奴隷貿易を大きくした。旧大陸から持ち込まれた作物と家畜、新大陸から持ち出されたトウモロコシやジャガイモの交換(コロンブス交換)とともに、病の移動は、地球の生物と人の分布を一気に作り替えた。耕されなくなった土地に森が戻り、それが大気中の二酸化炭素を吸って、17世紀の寒冷化の一因になったという説さえある。

天然痘がアメリカ大陸に上陸してから約450年後の1980年、この病は地球上から根絶された(天然痘の根絶宣言)。それは、免疫を持たない人々の上に何が起きたのかを、私たちが知ったあとのことである。