アイルランドのジャガイモ飢饉
概要
アンデス原産の作物と、アメリカから来た疫病菌が、島の人口を四分の一減らした。飢えた年も、食料は輸出され続けている。
場所
53.35°N -6.26°E · アイルランド
本文
アンデスの高地で栽培されてきたジャガイモは、コロンブス交換によって16世紀の後半にヨーロッパへ渡った。アイルランドに入ったのは16世紀の末から17世紀とされる。湿って冷たく、痩せた土地でもよく育ち、同じ面積の畑で小麦の何倍もの人を養えた。牛乳を添えれば、ほとんどそれだけで必要な栄養をまかなえる。
18世紀から19世紀の前半にかけて、アイルランドの人口は急に増えた。1841年の国勢調査では800万人を超えていた。土地の多くはイギリス系の地主のもので、農民は小さな区画を借り、地代を払うために麦を育てて売り、自分たちはジャガイモを食べて暮らした。農村の貧しい人びとのおよそ3人に1人は、ほとんどジャガイモだけを食べていたとされる。品種も、収量の多いごく少数のものに偏っていた。

1845年の夏の終わり、ジャガイモの葉に黒い斑点が出て、数日のうちに畑が枯れた。掘り出した芋は腐って悪臭を放った。疫病菌と呼ばれる卵菌の一種による胴枯れ病で、北アメリカから大西洋を渡ってヨーロッパに入り、ベルギーなどを経て広がったとされる(菌の故郷がメキシコかアンデスかは議論がある)。この年は収穫の3分の1ほどが失われた。翌1846年は、収穫の4分の3以上が失われた。1847年は病気こそ軽かったが、種芋が足りず、植え付けがわずかだった。1848年にもまた病が出た。飢えは数年にわたって続いた。
イギリスのピール内閣は、1845年の秋にアメリカのトウモロコシを買い入れ、安く売り出した。翌1846年、穀物の輸入にかかる関税を撤廃する穀物法の廃止を成し遂げたが、それでピール内閣は倒れた。後を継いだラッセル内閣と、救済の実務を握った財務省のトレヴェリアンは、市場に任せることを原則にした。食料を配ることは商人の商売を妨げ、人びとを怠け者にする、という考え方だった。

救済は、道路を作るなどの公共事業で賃金を払うかたちで行われた。1847年の初めには70万人以上が働いたが、賃金は上がる食料の値に追いつかず、冬の寒さの中で衰弱した人びとが現場で倒れた。1847年の春からは方針を変えて炊き出しが行われ、夏には300万人以上が1日1回の配給を受けたが、半年ほどで打ち切られ、救済は各地の救貧院とその費用を払う地元の税に委ねられた。小さな土地でも持っている者は救済を受けられないという条件があり、農民は土地を手放さなければならなかった。地代を払えない借地人を、地主たちは次々に追い出した。最悪の年となった1847年は、いまも「ブラック47」と呼ばれる。
人は飢えだけで死んだのではない。弱った体を、チフスや赤痢、回帰熱が襲った。救貧院は人であふれ、病が広がった。結局、およそ100万人が死に、100万人以上が国を出た。移民の多くはアメリカやカナダ、イギリスの工業都市へ向かった。詰め込まれた古い船の中でも病が広がり、多くの死者が出たため、「棺桶船」と呼ばれた。1851年の国勢調査では、人口は650万人ほどに減っていた。

飢えた年にも、この島から穀物や牛、豚、バターはイギリスへ輸出され続けた。地主は地代を受け取るためにそれを売り、政府は自由な取引に手を出さなかった。どれだけの量が出て行ったのか、それを止めていれば飢えを防げたのかについては、歴史家の評価が分かれている。1847年以降は輸入された穀物が輸出を上回ったという指摘もある。それでも、食料のある場所で人が飢えたことは、アイルランドの人びとの記憶に深く刻まれた。
飢饉はアイルランドの形を変えた。人口はその後も移民によって減り続け、島全体でもいまだに1841年の水準に戻っていない。農村の貧しい層に多かったアイルランド語の話し手は激減し、言葉は英語に置き換わっていった。小さな区画の借地は整理され、牧畜が増えた。イギリスの統治への恨みは、その後の土地をめぐる運動と独立の運動の土台になった。アメリカに渡った人びとの子孫は、ボストンやニューヨークで大きな力を持つようになる。大統領ジョン・F・ケネディの曾祖父も、この時期にアイルランドからボストンに渡った一人だった。1997年、イギリスのブレア首相は、当時の政府の対応が失敗だったことを認める声明を出している。

単一の作物に頼ることの危うさ、遠い大陸から運ばれてくる病、そして政治が飢えをどう扱うか。人口が食料を上回れば飢えが来るというトマス・マルサスの予言が当たった例として語られることも多いが、飢えの原因が作物の病だけでなかったことも、いまでは広く指摘されている。チャールズ・C・マンの物語「『1491』『1493』で読む新大陸」は、この飢饉を、大陸のあいだの生き物の交換が生んだ最も苦い結果の一つとして書いた。アンデスからの恵みが人口を増やし、アメリカから来た菌がそれを奪った。