概要
1946年7月1日、アメリカは太平洋のビキニ環礁で原爆の実験を行った。その4日後、パリのプールで、フランスの技師ルイ・レアールが、上下に分かれた小さな水着を発表し、核の爆発のように衝撃を与えるとして「ビキニ」と名づけた。モデルたちは着るのを嫌がり、ナイトクラブの踊り子が着て見せた。カトリックの国々では禁じられ、多くの海岸で着ることが許されなかった。1950年代、女優ブリジット・バルドーらが着て人目を集め、1960年代には若い女性の間に広がった。女性の体をめぐる道徳の変化を映す服だった。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
19世紀の海水浴は、健康のためのもので、女性は長い袖とスカート、ズボンのついた、毛織物の水着を着て海に入った。濡れると重くなり、泳ぐのは難しかった。20世紀に入ると、水着は少しずつ短く軽くなったが、1900年代には、腕と脚を出した水着で海岸に現れた女性が、わいせつの罪で逮捕されることもあった。1930年代には、ワンピースの水着が一般的になった。
第二次世界大戦の間、アメリカでは布の配給のため、水着の布を減らすよう求められ、上下に分かれた水着が現れたが、へそは隠すものだった。1946年の夏、フランスのデザイナー、ジャック・エイムは、上下に分かれた小さな水着を、世界で最も小さな水着として「アトム」の名で売り出した。
同じころ、自動車の技師で、母の下着の店を継いでいたルイ・レアールは、へそを見せる、さらに小さな上下の水着を考えた。1946年7月1日、アメリカが太平洋のビキニ環礁で戦後初めての原爆の実験を行い(ビキニ環礁の核実験)、世界の新聞を賑わせた。7月5日、レアールはパリのモリトールのプールで、新しい水着を発表し、「ビキニ」と名づけた。原爆と同じくらい人々に衝撃を与えるだろう、という意味が込められていた。プロのモデルたちは着るのを拒み、カジノ・ド・パリの踊り子ミシュリーヌ・ベルナルディーニが着て見せた。
ビキニは、すぐには受け入れられなかった。カトリック教会は不道徳だと非難し、イタリア、スペイン、ポルトガルなどでは海岸での着用が禁じられた。1951年の最初のミス・ワールドでは、優勝者がビキニで戴冠したことが問題になり、その後の大会ではビキニが禁じられた。アメリカでも、1950年代までは、着る人はほとんどいなかった。
1950年代、フランスの女優ブリジット・バルドーがカンヌの海岸でビキニを着て写真に撮られ、1962年の映画『007 ドクター・ノオ』では、ウルスラ・アンドレスが白いビキニで海から上がる場面が話題になった。1960年代、ビキニは若い女性の間に広がり、女性が自分の体を見せることへの社会の考え方の変化を映した。一方で、女性の体を見せ物にするものだという批判も、いまも続いている。