『蜻蛉日記』

概要
藤原兼家の妻の一人が、結婚から21年を書いた。夫が来ない夜、他の女の家に行く車を数え、息子道綱を育て、「はかなき身の上」。女が自分の人生を自分で書いた最古の日記。『源氏物語』の30年前。作者の名は分からず「道綱母」。
場所
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
藤原道綱母AD936年–AD995年 · 著者本文
「かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世に経る人ありけり」。こうして時が過ぎ、世の中にひどく頼りなく、どっちつかずのまま暮らしている人がいた。『蜻蛉日記』はこう書き出される。作者は自分を「人」と三人称で呼び、続けて、世に多い古い物語は作り話ばかりだが、人並みでもない私の身の上をありのままに日記にしたら珍しいだろう、身分の高い人の暮らしとはどんなものかと問われたときの例にもしてほしい、と書く。作り話ではなく、自分のことを書く、という宣言である。
作者は、藤原倫寧という中流の貴族の娘で、名前は伝わっていない。息子の名から、藤原道綱の母と呼ばれる(藤原道綱母)。954年、作者が十代の終わりのころ、右大臣の家の三男、藤原兼家から求婚の歌が届いた。この場面から日記は始まる。届いた手紙は、紙も文字も求婚にふさわしくない、ぞんざいなものだった、と作者は書き留めている。それでも結婚は決まり、翌年、男の子が生まれた。道綱である。

当時の貴族の結婚では、夫が妻の家に通うのが普通で、夫が何人もの妻を持つことも珍しくなかった。兼家にはすでに時姫という妻がいて、子もいた。そして道綱が生まれて間もなく、兼家は「町の小路の女」と呼ばれる別の女のもとへ通い始める。夜、家の前を夫の車が素通りしていく。作者は人に後をつけさせ、行き先を確かめさせた。ある夜、夫が戸をたたいたが、作者は門を開けさせなかった。翌朝、作者は夫に歌を送った。
「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」

嘆きながら一人で寝る夜が明けるまでの時間が、どれほど長いものか、あなたは知っているのか。のちに『百人一首』に採られ、作者の名を最も広く知らしめた歌である。
やがて町の小路の女は兼家の子を産んだが、その子は死に、女も兼家の心を失った。作者はそれを、胸のすく思いで書いている。他人の不幸を喜ぶ自分の気持ちまで隠さずに書いたところに、この日記の新しさがある。
日記は上中下の三巻からなり、954年から974年までのおよそ21年を扱う。上巻は結婚から十数年を、のちに思い返して書いたものとみられる。中巻と下巻は、書かれた時期に近い出来事を細かく記していく。兼家は出世を続け、時姫との間に生まれた道隆、道兼、そして藤原道長らが成長していく。時姫の産んだ娘たちは天皇の妃となる。作者の子は道綱ひとりだけだった。
夫の足は次第に遠のいた。971年、作者は家を出て京の西の鳴滝の寺に籠もった。尼になることも考えていた。兼家は使いをよこし、ついには自ら迎えに来て、作者を連れ帰った。夫を拒みながら、夫が来ないことを嘆く。日記にはその揺れが繰り返し現れる。下巻では、兼家がほかの女に産ませた娘を引き取って養女にし、道綱の成長と恋に心を砕く母の姿が中心になる。そして974年の大晦日の場面で、日記は終わる。
上巻の終わりに、作者はこう書いている。思えば、あるのかないのか分からないような心地のする、かげろうのような身の上の日記と言うべきだろう、と。かげろうは、夏の野に揺らめく陽炎とも、命の短い虫のかげろうとも読める。どちらにしても、はかなく、つかみどころのないものである。題はここから取られた。
仮名で書かれた日記としては、紀貫之の紀貫之『土佐日記』とかな文字が40年ほど早い。だが、それは男が女のふりをして書いた旅の記録だった。『蜻蛉日記』は、女が自分の結婚と心の動きを、二十年にわたって書き続けた作品である。夫を恨む言葉も多いが、夫の訪れを待ち、その言葉を細かく書き留めているところからは、夫への執着も読み取れる。恨みの記録なのか、愛の記録なのか、読む人によって答えは分かれ、その両方だとする見方も多い。
この日記の後、女たちの書く仮名の文学が一気に花開いた。『枕草子』、『源氏物語』、和泉式部や紫式部の日記が、次の世代に続く。夫の訪れを待つ女の心を描く『源氏物語』の場面に、『蜻蛉日記』の影を見る研究者もいる。50年ほど後に『更級日記』を書いた菅原孝標の娘は、道綱の母の姪にあたる。

道綱は父の後ろ盾を得て大納言まで昇ったが、異母兄弟の道長らには遠く及ばなかった。作者は995年ごろに亡くなったとされる。のちの系図には、本朝の三美人の一人と書き添えられている。
自分の人生を自分の言葉で書き、他人に読まれることを意識しながら、嫉妬や喜びまでを書き残した。そのような作品が、千年以上前の都で、名前の残らなかった一人の女の手で書かれていた。