できごと

ストーンウォールの反乱

Stonewall riots
AD1969年6月28日
重要度 4
カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国グリーンランドメキシコホンジュラスキューバグアテマラAD1969年6月28日ニューヨーク
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1969年6月28日の版図を描いています(8勢力)。

概要

当時のアメリカでは、同性どうしで踊ることも、異性の服を着ることも、州や市の決まりで罰せられた。警察は同性愛者の集まる店に踏み込み、客を並ばせて身分証を調べ、連行するのが常だった。1969年6月28日の未明、グリニッジ・ヴィレッジのストーンウォール・インでも同じ手入れが行われた。この夜は、客と集まった人々が抵抗し、騒ぎは数日続いた。翌年、この日を記念する行進が行われ、それがいまの各地のパレードにつながる。耐えるのをやめた夜として記憶されている。

場所

ニューヨーク
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国

本文

1960年代のアメリカで、同性愛者として生きることは、法を破ることに近かった。ほとんどの州で、同性どうしの性行為そのものが犯罪とされていた。同性どうしで踊ること、人前で手を握ること、異性の服を着て歩くことも、州や市の決まりを根拠に取り締まられた。医学の世界では同性愛は心の病とされ、連邦政府は同性愛者を公務員から追い出していた。

ニューヨークでは、同性愛者が集まると知られた店に、州の酒類の当局が酒を売る免許を出し渋った。まともな店は同性愛者の客を入れたがらず、その隙間を埋めたのが、裏社会の組織が営む無許可の酒場だった。値の張る水割りの酒を出し、警察には金を渡して見逃してもらう。それでも警察はときどき手入れにやって来た。

グリニッジ・ヴィレッジのワシントン・スクエア公園のカラー写真。
グリニッジ・ヴィレッジのワシントン・スクエア公園のカラー写真。Wikimedia Commons Public domain

手入れは、決まった手順で行われた。店に踏み込み、明かりをつける。客を一列に並ばせ、身分証を調べる。異性の服を着ている者や、身分証を持たない者は連行される。翌朝の新聞に名前が載れば、仕事を失い、家族に知られ、住まいを追われることもあった。多くの客は、黙って耐えるしかなかった。

マンハッタンの南、グリニッジ・ヴィレッジのクリストファー通りに、「ストーンウォール・イン」という酒場があった。裏社会の組織が営む店で、窓は板でふさがれ、中は薄暗く、水道もろくに通っていなかった。それでも、ここは数少ない、同性どうしが踊れる店だった。客には、ほかに行き場のない人々が多かった。女性の装いをした男性、家を追い出されて路上で暮らす十代の若者、黒人やラテン系の若者たち。

1969年8月、この暴動について報じるマタシン協会のニュースレター。
1969年8月、この暴動について報じるマタシン協会のニュースレター。Wikimedia Commons Dickinson, Price · Public domain

1969年6月28日の午前一時を過ぎたころ、ここに警察の手入れが入った。いつもの手順で客が並ばされ、何人かが連行されることになった。だが、この夜は様子が違った。身分証の確認を拒む者、警官の言うことに従わない者が出た。店から追い出された客たちは、いつものように散っていかず、店の前の通りにとどまった。通りがかりの人々や近所の若者たちが加わり、人の輪は数百人に膨れ上がった。

連行される人を護送車に押し込もうとする警官に、群衆が抗議の声を上げた。誰かが硬貨を投げ、やがて瓶や石、煉瓦が飛んだ。数で圧倒された警官たちは、店の中に逃げ込んで立てこもった。外の群衆は店を取り囲み、火のついたものが投げ込まれた。応援の機動隊が駆けつけ、ようやく群衆は散らされたが、騒ぎはその夜だけで終わらなかった。翌晩も、その次の晩も人々は通りに集まり、警官隊とのにらみ合いは数日にわたって続いた。

ベルリン・プライドにて、「ストーンウォールは暴動であった」というバナーが掲げられている。2009年。
ベルリン・プライドにて、「ストーンウォールは暴動であった」というバナーが掲げられている。2009年。Wikimedia Commons samchills · CC BY 2.0

誰が最初に抵抗したのか、最初に何を投げたのかについては、いまも証言が食い違っている。連行される際に警官に殴られて抵抗した男装の女性がいた、という証言もあれば、女性の装いをした人々が先頭に立ったという話もある。ただ、その夜の通りにいたのが、同性愛者の中でもとりわけ社会の隅に追いやられていた人々だったことは、多くの証言で一致している。

この夜より前にも、同性愛者の権利を求める動きはあった。1950年代から、男性たちや女性たちの小さな団体が、目立たないように、きちんとした服装で、社会に理解を求める活動を続けていた。同性との経験を持つ人が決して少数の例外ではないことを数字で示した研究(キンゼイ報告)も、その支えになっていた。1966年にはサンフランシスコの軽食堂で、女性の装いをした人々が警官の手入れに抵抗する騒ぎも起きている。だが、ストーンウォールの夜を境に、運動の空気は大きく変わった。隠れて理解を請うのではなく、自分が何者かを堂々と名乗り、権利を求めて声を上げる。そうした新しい団体が、この年の夏から秋にかけて次々に生まれた。

一年後の1970年6月28日、反乱の記念日に、ニューヨークのクリストファー通りから北のセントラル・パークまで、数千人が行進した。同じころ、ロサンゼルスやシカゴ、サンフランシスコでも行進が行われた。物陰に隠れて生きるのではなく、昼間の大通りを、顔を上げて歩く。それがいまの世界各地のプライド・パレードの始まりである。多くの国で6月が性の多様性を祝う月とされているのは、この夜が6月にあったからだ。

運動は、社会の仕組みも少しずつ変えていった。1973年、アメリカ精神医学会は、同性愛を心の病の一覧から外した。それまで同性愛者は、治療の対象とされていた。同性どうしの関係を罰する州の法律は、その後数十年かけて各地で廃止され、2003年には連邦最高裁が、そうした法律は憲法に反すると判断した。

2016年、ストーンウォール・インとその前の小さな公園は、アメリカの国の記念物に指定された。性的少数者の権利の歴史を記念する、初めての国の記念物である。2019年、反乱から五十年の節目に、ニューヨーク市警察の本部長は、あの夜の警察の行いは誤りだったとして公式に謝罪した。

この夜は、誰かが計画した運動ではなかった。いつもの手入れの夜に、耐えるのをやめた人々が、たまたまそこにいた。歴史は、あとから「始まり」を選ぶ。それより前にも抵抗はあり、それより後にも長い闘いが続いた。それでも、この夜が人々の記憶の基準になった。三十二年後、オランダで同性の二人の結婚が初めて法で認められ(同性婚)、四十六年後には、アメリカの連邦最高裁が、同性の二人が結婚する権利を全州で認める(オーバーゲフェル判決)。その長い道のりは、クリストファー通りの夜から歩き出されたものとして語られている。

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