『夢判断』

概要
出版社は1900年の日付にした。「新しい世紀の本」。600部が6年で売れた。夢は願望の充足。無意識。抑圧。検閲。エディプス。自分の夢を材料にした(父の死の後の自己分析)。「無意識への王道」。精神分析。20世紀の人間観を変えた。科学かどうかは、いまも争われる。
場所
48.21°N 16.37°E · オーストリア
関わった人(1)
ジークムント・フロイトAD1856年5月6日–AD1939年9月23日 · 書いた本文
1890年代のウィーンで、神経科医のジークムント・フロイトは、ヒステリーなどの神経症の患者を診ていた。初めは催眠を使い、やがて患者を寝椅子に横たえて、頭に浮かぶことを何でも話させる方法に切り替えた。自由連想である。患者たちは話の途中で、しばしば自分の見た夢を語った。フロイトは、夢もまた症状と同じように、意味を読み解けるものではないかと考えるようになった。当時の医学では、夢は眠っている脳の雑音のようなものと見なされていた。
1895年7月24日の夜、ウィーン郊外のベルヴューという屋敷に滞在していたフロイトは、のちに「イルマの注射の夢」と呼ばれる夢を見た。治療がうまくいかなかった若い女性患者イルマを、夢の中で同僚の医師たちが診察し、ある医師の不注意な注射のせいで具合が悪くなったのだと分かる。フロイトは翌朝からこの夢を細かく分析し、夢の意味は、自分には責任がないと思いたいという願いだったと結論した。のちに彼は友人に宛てた手紙で、いつかこの家に、この日この場所で夢の秘密がフロイト博士に明かされた、と刻んだ大理石の板が掲げられるだろうか、と冗談まじりに書いている。

もう一つの転機は、1896年10月の父ヤーコプの死である。フロイトはのちに、父の死を人生で最も重要な出来事、最も痛切な喪失と書いた。彼はこの頃から、自分自身の夢と記憶を材料にした自己分析を始めた。その過程は、ベルリンの耳鼻科医で親友だったフリースに宛てた大量の手紙に記されている。父への敵意と愛情、幼い頃の母への思いといった、自分の中の居心地の悪い感情がそこで掘り起こされた。
本は1899年11月4日、ライプツィヒとウィーンのドイティケ社から出た。刷られたのは600部。出版社は奥付の年を1900年とした。新しい世紀の本として出したかったのである。売れ行きは鈍く、最初の数週間で売れたのは百数十部、600部を売り切るまでに8年かかったとされる。書評は少なく、専門家の多くは黙殺するか冷たくあしらった。

本の中心にある主張は単純である。夢は願望の充足である。子どもの夢は分かりやすい。翌日の遠足を楽しみにしている子は、遠足に行った夢を見る。大人の夢が奇妙で意味不明に見えるのは、そこに込められた願いが、本人も認めたくない、意識から押しのけられた(抑圧された)ものだからである。心の中には「検閲」があり、そうした願いはそのままの姿では意識に上れない。そこで夢は変装する。目覚めて覚えている夢の筋(顕在内容)の下に、本当の意味(潜在内容)が隠れている。
変装の手口を、フロイトは「夢の作業」と呼んだ。いくつもの考えを一つの像にまとめる圧縮、大事なことを些細なことにすり替える置き換え、考えを目に見える場面に変える働き、目覚める間際に筋の通った話に整える二次加工である。分析はこれを逆にたどる。夢の一つひとつの部分について、思いつくことを自由に連想させ、その連想の糸をたどって潜在内容へ戻っていく。フロイトはのちの版で第7章に、夢の解釈は心の無意識の働きを知るための王道である、という一文を書き加えている。
本はまた、フロイトの最も有名な考えを初めて世に出した本でもある。典型的な夢を論じた章で、彼はソポクレスのソフォクレス『オイディプス王』が今も観客の心を揺さぶる理由を問い、それは誰の中にも、最初の愛情を母に、最初の憎しみと嫉妬を父に向けた子どもがいるからだと論じた。シェイクスピアの『ハムレット』で、王子が父の仇の叔父をなかなか討てない理由も、同じところに求めた。のちに「エディプス・コンプレックス」と名づけられる考えである。最後の第7章では、夢の仕組みから、無意識・前意識・意識からなる心の装置の見取り図を描いた。

材料の多くは、フロイト自身の夢だった。ウィーンでの出世の望み、ユダヤ人として受けた屈辱、同僚への対抗心、父への感情。本は理論書であると同時に、異様に率直な自伝でもあった。ただし、すべてを書いたわけではない。イルマの夢の分析では、その数か月前に起きた出来事、すなわちフロイトが紹介した患者エマ・エクシュタインの鼻の手術でフリースがガーゼを置き忘れ、患者が大出血を起こした一件には触れていない。夢をこの出来事と結びつけて読み直したのは、20世紀後半の研究者たちである。
本はゆっくりと読者を得た。1908年の第2版以後、フロイトは版を重ねるたびに書き足し、生きているあいだに8版が出た。英語版の序文で彼は、このような洞察は一生に一度しか授からないものだと書いている。精神分析の運動が広がるにつれ、この本はその出発点として読まれるようになり、夢の解釈という発想は、シュルレアリスムの画家や作家、映画、文学批評にまで深い影響を与えた。
科学としての評価は、いまも定まらない。哲学者ポパーは、精神分析の理論はどんな結果が出ても説明できてしまい、反証できないので科学ではないと批判した。20世紀後半には、睡眠中の脳の働きを調べる研究者たちが、夢は脳幹から来る信号を大脳がつなぎ合わせたものだとする説を唱え、願望充足の説を退けた。一方で、人の心の働きの多くが意識の外で進んでいるという考えそのものは、いまの心理学や神経科学では当たり前の前提になっている。夢に意味はあるのか、あるならそれは何か、という問いを、正面から立てた本であることは間違いない。