概要
田舎医者の妻が、退屈と、読みすぎた恋愛小説の理想から、姦通と借金に落ち、砒素で死ぬ。連載後、公序良俗と宗教への冒涜で起訴された。検事は、姦通が罰せられていないこと、そして作者がどこにも道徳の判断を書いていないことを、罪だと論じた。無罪。作者は「私が有罪なら、文学全部が有罪になる」と書いた。作者の顔が見えない語り、正確な文体。近代小説の出発点とされる。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
ギュスターヴ・フローベールAD1821年12月12日–AD1880年5月8日 · 書いた本文
1851年9月、フローベール29歳。『ボヴァリー夫人』を書き始めた。友人ブイエとデュ・カンが、彼の前作(『聖アントワーヌの誘惑』の初稿。幻想と美文の塊)を4日かけて聞いた後、「これは全部、火に投げ込め。そして、平凡な題材を、平凡な調子で書け」と言った、と伝わる。題材(実際にあった、医者の妻の姦通と自殺の事件)は、ブイエが勧めた。
4年半。彼はルーアン近郊クロワッセの、母の家に籠もった。1日に7時間机に向かい、書けるのは数行。書いた文を、庭に面した部屋で、声に出して怒鳴った(「怒鳴り部屋(ギュエロワール)」)。耳で、リズムと、同じ音の繰り返しを確かめた。同じ語を近くで2度使わない。
書簡(恋人ルイーズ・コレへの手紙)。「私が書きたいのは、何についての本でもない本、外部への繋がりのない本、文体の内的な力だけで自立する本だ。……最も美しい作品とは、素材が最も少ないものだ」。
「作者は、その作品の中に、宇宙における神のようでなければならない。どこにでもいて、どこにも見えない」。
1856年10月から12月、『パリ評論』誌に連載。編集部が、危険と思われる箇所(辻馬車の中の場面)を、作者の抗議を押し切って削った。
1857年1月、起訴。「宗教および公衆道徳と善良な風俗を侵害する罪」。被告は、フローベール、雑誌の経営者、印刷業者。
第二帝政の初期。ナポレオン3世の政権が、報道と出版の統制を強めていた時期。『パリ評論』は反政府的とみなされていた。
1857年1月31日、パリ軽罪裁判所。
検事エルネスト・ピナールの論告。(1)姦通が、魅力的に描かれている。(2)宗教的な場面(臨終の塗油)が、官能的な描写と混ぜられている。(3)そして、最も重要なこと——作品のどこにも、この行いを断罪する声がない。「誰が、この女を non(否)と言うのか。誰もいない。……この本には、道徳を代表する人物が一人もいない」。
弁護人セナールの弁論。(1)小説全体が、悪徳の結末(借金、屈辱、砒素の苦痛の詳細な描写)を示している。それこそが道徳的である。(2)ボシュエやモンテスキューにも同様の描写がある。
2月7日、無罪。ただし判決文は、被告を叱責した。「文学の使命は、その本質からして、装飾的でも写実的でもなければならないが、……行き過ぎがあった」。
無罪の効果。裁判が宣伝になった。同年4月に単行本が出て、飛ぶように売れた。
同じ年の8月、ボードレール『悪の華』が、同じ検事ピナールによって起訴され、6篇の削除と罰金の有罪になった。フローベールは無罪、ボードレールは有罪。
作品。エンマ・ルオーは、農家の娘。修道院で育ち、そこで読んだ恋愛小説(ウォルター・スコット、ラマルティーヌ)の世界を信じている。田舎医者シャルル・ボヴァリーと結婚する。シャルルは善良で、鈍く、彼女を愛している。
退屈。彼女は、貴族の館の舞踏会に一度招かれ、その記憶で何年も生きる。地主ロドルフとの情事。ロドルフに捨てられる(手紙の別れ。彼は手紙の上に水を垂らして涙のように見せた)。書記のレオンとの情事。ルーアンの辻馬車が、閉めた窓のまま、街を何時間も走り回る場面(削除された箇所)。
借金。商人ルルーが、少しずつ、贅沢と借用証書を積み上げる。差し押さえ。誰も助けてくれない。
砒素。薬局の棚から一掴み。「舌の上に、インクのような味」。死ぬまでの数十頁が、克明に書かれている。嘔吐、痙攣、腹の膨張、そして、窓の下を通る盲目の乞食の歌。
シャルルは、後に妻の手紙の束を見つけて、それでも彼女を責めない。彼は椅子に座ったまま死ぬ。娘ベルトは、綿工場に働きに出される。
そして、最後の一文。彼女を追い詰めた俗物の薬剤師オメーが、「レジオン・ドヌール勲章を受けた」。
「作者の顔が見えない」。地の文が、登場人物の意識と溶け合う(自由間接話法)。これが、その後の小説の書き方を変えた。プルースト、ジョイス、そして20世紀の小説の多くが、ここから始まっている。