物語

『日本の歴史をよみなおす』で読む日本

出てくるできごと AD645 – AD1639
できごと 8人物 4
この物語に出てくる図版:Genji emaki 01003 002
この物語に出てくる『源氏物語』から。Genji emaki 01003 002 Wikimedia Commons Imperial Palace Kyoto · Public domain

概要

日本は農業の国で、百姓は農民だった。その前提を、史料の側から崩した本。

この物語について

日本は昔から農業の国で、人びとのほとんどは田を耕す農民だった。教科書で習う日本史は、たいていこの前提の上に組み立てられている。だが、それは本当なのか。『日本の歴史をよみなおす』(網野善彦、1991年、続編1996年)は、その前提を、史料の側から崩していった本である。

著者の網野善彦は、1928年に山梨県で生まれた。戦後すぐの若いころは、マルクス主義の歴史学の運動に深く関わったが、やがてその運動から離れた。そのあと、漁村や海の民の古い文書を調べる仕事に長く携わり、そこで、教科書の日本史には出てこない人びとの姿に出会った。中世の日本の荘園や、海と川で生きた人びとの研究を積み重ね、1978年の『無縁・公界・楽』で広く知られるようになった。網野の歴史学は、のちに「網野史学」と呼ばれる。

この本は、若い読者にも読めるように、網野の考えを平易な語り口でまとめたものである。正編は、文字、貨幣と商業と金融、畏怖と差別、女性、そして天皇と「日本」という国の名、という五つの主題を扱う。続編は、日本は本当に農業の社会だったのか、海から見た日本列島、荘園と公領、悪党と海賊と商人、という主題に進む。

分かりやすい例が、「百姓」という言葉である。今の私たちは、百姓と聞けば農民を思い浮かべる。だが、網野は、百姓とはもともと「たくさんの姓」、つまり普通の人びとという意味で、農民だけを指す言葉ではなかった、と言う。奥能登の旧家に残された江戸時代の文書を調べていくと、村の帳簿の上で、田畑をほとんど持たないために「水呑」や「頭振」とされた人びとの中に、船を持って日本海を行き来し、商いや金融で大きな富を築いた者がいた。彼らは田畑を持てないほど貧しかったのではなく、田畑を持つ必要がなかったのである。

なぜ、そういう人びとが見えなくなったのか。網野は、国の仕組みが土地と米で人を測ってきたからだと言う。古代の律令国家は、人に田を割り当てて税を取った。江戸時代の幕府と藩は、すべての土地の価値を米の量、つまり石高で表した。この物差しで測ると、海や山や川で生き、商いや手工業や運送で暮らす人びとは、帳簿の上では、土地を持たない者、貧しい者としてしか記録されない。石高の仕組みが、海と山で生きた人びとを記録から消してしまった、というのが網野の筋になる。

中世の日本は、いま思われているよりずっと商業的で、人と物の動きが多かった、と網野は言う。12世紀から13世紀にかけて、中国の宋から大量の銅銭が入ってきて、年貢も物ではなく銭で納められるようになった。元寇の時代は、銭が日本の社会に深く入りこんでいく時代でもあった。各地に市が立ち、金融業者が生まれ、手形のような仕組みも使われた。

その市と道と港の姿を、生き生きと写しているのが、鎌倉時代の僧一遍の一生を描いた絵巻である。一遍は、念仏の札を配りながら、全国を歩き続けた。一遍の遊行の道すがら、絵巻には、市で物を売り買いする人びと、川を渡す舟、乞食や病の者、遍歴する芸能者や職人たちが描きこまれている。網野は、この絵巻を、中世の人びとの暮らしを読むための第一級の史料として使った。

網野が特に光を当てたのは、田畑に縛られず、各地を遍歴して生きた人びとである。職人、芸能者、商人、僧、そして非人と呼ばれた人びと。彼らの多くは、天皇や寺社と直接に結びつき、通行の自由などの特権を与えられていた。網野は、こうした人びとが生きた場所を、世俗の主従や貸し借りの縁が切れた「無縁」の場と呼んだ。市や寺や河原は、そういう場だった。13世紀の末の悪党の登場も、既存の荘園の枠に収まらない、商業や流通と結びついた人びとの動きとして読み直された。

宝厳寺が所蔵していた木造一遍上人立像(2013年8月10日の火災で焼失)。
一遍Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

網野の考えでは、戦国時代の楽市楽座も、その延長にある。「楽」は、もともと縁から自由な場を意味する言葉だった。織田信長が安土の城下に出した楽市の掟は、市の自由を保証するように見えるが、それは同時に、もともと大名の力の外にあった市の自由を、城下に取りこみ、支配の中に囲いこむことでもあった、と網野は見る。

畏怖と差別の章では、網野は、中世の前半には、非人や河原者のように死や穢れに関わる人びとが、恐れと敬いの両方の対象だったのに、時代が下るにつれて、恐れが差別に変わっていった過程を描いた。女性の章では、中世の女性が財産を持ち、相続し、商いを営み、旅をしていたことを、多くの史料から示した。自分の名で土地を売り、譲る証文を残した女性がいて、銭を貸す金融業者の中にも女性がいた。網野は、女性の地位が低く見られるようになったのは、時代が下ってからのことだと考えた。文字の章では、平安時代に生まれた仮名が、女性たちの手で磨かれたことにふれる。紫式部が仮名で書いた『源氏物語』は、その頂点の一つである。網野は、文字が一部の貴族だけのものではなく、中世には庶民の手紙や村の文書にまで広く使われていたことを強調した。

最後の主題は、「日本」という国の名である。網野は、「日本」という国号が使われはじめたのは7世紀の後半から8世紀の初めにかけてで、それより前にこの列島に住んでいた人びとは、まだ「日本人」ではなかった、と繰り返し強調した。大化の改新から律令の国家ができていく時代に、天皇という称号と、日本という国の名が定まった。国の名には始まりがあり、したがって終わりもありうる、というのが網野の問いかけだった。

「鎖国」も、海の民から見れば別の姿になる。江戸時代、幕府は、のちに鎖国と呼ばれる政策で、日本人の海外への渡航と、外国船の来航を厳しく制限した。1639年の鎖国の完成で、その形が整う。だが、長崎ではオランダと中国との交易が続き、対馬は朝鮮と、薩摩は琉球と、松前は北のアイヌの人びとと交易を続けていた。日本列島は閉じた島国ではなく、いくつもの海でつながった場所だった、と網野は言う。日本海、東シナ海、オホーツク海は、人と物を隔てる壁ではなく、結ぶ道だった。

網野の仕事は、多くの読者と、歴史学の外の人びとにまで大きな影響を与えた。中世を舞台にした小説やアニメーション映画にも、網野の描いた、自由に遍歴する人びとの像が取り入れられている。

批判もある。中世を、自由で開かれた社会として描きすぎている、という指摘がまずある。無縁の場の自由を強調するあまり、そこにあった貧しさや暴力を軽く見ている、というものである。歴史家の安良城盛昭は、網野の「無縁」論に対して厳しい批判を加え、論争になった。農業以外の生業の比重を大きく見積もりすぎている、という批判もある。網野自身も、自分の見方が仮説を多く含むことを認めていた。網野は2004年に亡くなった。

この物語は、本が読み直したできごとを、このデータベースの側から並べ直したものである。本文は写していない。室町幕府の成立のあとの時代のように、朝廷と武士の歴史として語られてきたできごとも、網野の見方から読み直すと、市と港と道の歴史として別の顔を見せる。この年表が日本の項目を、朝廷と武士だけで埋めていないのは、この本の見方に負っている。

この物語が起きた場所

ロシア帝国中央アジアの諸ハン国スペイン帝国明チベットアユタヤ朝日本大越朝鮮王朝Itelmen大越ラオスLan Naアイヌモシリ京都(4件) 『源氏物語』 一遍の遊行 悪党の登場 室町幕府の成立4飛鳥(1件) 大化の改新博多(1件) 元寇安土(1件) 楽市楽座出島(1件) 鎖国の完成

できごと8件が起きた5か所。 同じ場所で何度も起きていれば、その数だけ大きくなります。国境はAD1639の版図(この枠に大きく入る14勢力)。 物語は何百年にもまたがるので、最後のできごとの年で描いています。人物・国と、場所の分かっていないできごと4件は出ていません。押すと、この物語だけに絞った地図が開きます。

筋(12)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. 大化の改新できごとAD645年第5章。「日本」という国号がいつ始まったか蘇我氏を倒し、唐にならった中央集権を目指した。土地と人民を国のものとする方針を打ち出す。飛鳥
  2. 紫式部人物AD973年頃 – AD1014年頃『源氏物語』の作者。本名は分かっていない。宮仕えの記録を日記にも残している。
  3. 『源氏物語』できごとAD1008年頃第1章。仮名で書くということ長編の物語として世界で最も古い部類に入る。作者の本名は分かっていない。京都
  4. 一遍人物AD1239年 – AD1289年8月寺も持たず、書いたものも焼いて死んだ僧。念仏の札を配りながら16年歩き続け、身分も性別も問わずに人を集めた。
  5. 一遍の遊行できごと1274年第3章。絵巻が中世の市と道と港を写している寺を持たず、16年歩き続けて念仏の札を配った。踊り念仏には身分も性別も関係なく人が集まる。その旅の絵巻が、中世の市や港や道の姿を今に伝えている。京都
  6. 元寇できごと1274年銭が大量に入ってくる時代二度とも暴風雨で元の船団が壊れた。勝っても分け与える土地が無く、御家人の不満が幕府を蝕む。博多
  7. 悪党の登場できごとAD13世紀末〜14世紀第2章。既存の枠に収まらない人びと荘園の年貢を奪い、幕府の命令に従わない者たちが各地に現れた。悪人ではなく、商いと運送と山野の民が、既存の支配の枠に収まらなくなった姿になる。京都
  8. 室町幕府の成立できごとAD1338年幕府が京都に戻った。朝廷が南北に分かれ、60年争う。京都
  9. 織田信長人物AD1534年 – AD1582年6月21日楽市楽座鉄砲と経済で旧い秩序を壊した。統一を目前にして家臣に討たれる。
  10. 楽市楽座できごとAD1577年第2章。市の自由が、大名の城下に囲い込まれる座の特権と関所の通行料を廃し、誰でも商えるようにした。中世を通じて自治的だった市の自由を、大名が自分の城下に囲い込んだ、とも読める。安土
  11. 鎖国の完成できごとAD1639年海の民から見れば、閉じていない窓口を長崎の出島などに絞った。外を完全に閉じたのではなく、幕府が交易を独占した状態に近い。出島
  12. 網野善彦人物AD1928年1月22日 – AD2004年2月27日著者日本は農業の国だ、という前提を史料から崩した歴史家。海と山で生きた人、市場、女性、被差別民を、日本史の中心に置き直した。

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