できごと

キンゼイ報告

Kinsey Reports
AD1948年
重要度 3
大英帝国カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国デンマークメキシコニカラグアホンジュラスキューバグアテマラAD1948年ブルーミントン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1948年の版図を描いています(10勢力)。

概要

ハチの一種を研究していた動物学者アルフレッド・キンゼイは、大学で結婚生活の講座を任され、学生の質問に答える資料がないことに気づいた。彼は聞き取りを始める。一人に数百項目、最終的に一万八千人分。1948年に出した『人間男性における性行動』は、それまで異常とされてきた行為が、実際にはありふれていることを数字で示した。専門書にもかかわらず売れに売れ、激しい非難も浴びた。調査の方法には偏りの指摘があり、いまも議論がある。それでも、性を語ってよい対象にしたことの影響は大きかった。

場所

ブルーミントン
39.17°N -86.53°E · アメリカ・インディアナ州

本文

アルフレッド・キンゼイ(1894〜1956年)は、もともと人間ではなく、ハチを調べる学者だった。ニュージャージーの厳格な家に生まれ、ハーヴァードで生物学を学んだのち、インディアナ大学の動物学の教授になる。研究の対象は、植物に虫こぶを作る小さなタマバチだった。彼はアメリカ中を歩いて膨大な数の標本を集め、一匹ずつ測って並べ、同じ種の中にどれほどの個体差があるかを示した。個体はみな少しずつ違い、きれいな型に分けられるものではない、というのが、二十年の研究から彼が得た考えだった。

1938年、大学は結婚を控えた学生のための講座を開くことになり、キンゼイがその取りまとめを任された。学生たちは、性についての率直な質問を持ってくる。答えるための資料を探したが、見つからなかった。あるのは、道徳の説教か、病気を警告する医者の本か、ジークムント・フロイトに代表される精神分析家たちの、ごく少ない症例をもとにした推測だけで、ふつうの人々が実際にどうしているかを数えた資料は無かった。

それなら数えればよい、とキンゼイは考えた。ハチでしたのと同じことを、人間でするのである。彼は学生や教員から聞き取りを始め、やがて全米を回るようになる。一人の面接には数時間をかけ、数百の項目を順に尋ねた。答えを率直に引き出すために、問いは「したことがあるか」ではなく「初めてしたのはいつか」という形で聞いた。記録はその場で、本人と結びつかないように独自の符号で書き、符号を読めるのはキンゼイと少数の協力者だけだった。1947年には大学の中に性の研究所が作られる。聞き取りは最終的に一万八千人ほどに達し、そのうち八千人近くをキンゼイ自身が面接したとされる。

1948年、最初の報告『人間男性における性行動』が出た。八百ページを超え、表とグラフが詰まった医学書の版元の専門書である。それがベストセラーになり、数か月で二十万部を超えたと言われる。新聞も雑誌も取り上げ、「キンゼイ」は誰もが知る名前になった。

報告が示したことは、それまでの建前と大きく食い違っていた。婚前や婚外の性交渉、自慰、同性との経験。法や道徳が「異常」や「罪」としてきた行為の多くが、実際にはありふれていた。たとえば報告は、成人男性の三分の一以上が、思春期以降に少なくとも一度は同性との性的な経験を持つと記していた。そしてキンゼイは、人を異性愛と同性愛の二つに分けるのでなく、その間の程度の連続として捉えた。0(もっぱら異性)から6(もっぱら同性)までの七段階で示す「キンゼイ尺度」である。タマバチの個体差を見続けた学者らしい見方だった。この報告からは、のちに「人口の一割は同性愛者」という数字が独り歩きしたが、報告自体はもっと細かく、時期によって変わる段階として書いている。

1953年、女性を対象にした二冊目の報告が出た。こちらはさらに強い非難を浴びた。女性にも婚前や婚外の性があるという数字は、家族の価値を損なうものとして攻撃された。冷戦のさなかで、性の自由を語ることは国を弱めるものとまで言われた。議会では研究に資金を出している財団を調べる動きが起こり、ロックフェラー財団は1954年に支援を打ち切った。キンゼイは資金集めに奔走しながら体を壊し、1956年、六十二歳で亡くなった。

調べ方への批判は、当時からあった。少ない標本から全体を推し量る世論調査が広まりつつあった時代で(少ない標本で当てる)、統計の専門家たちは、面接の技術は評価しつつも、標本の取り方に問題があると指摘した。協力者は無作為に選ばれたのではなく、知人の紹介や、話してもよいと思う人を通して集まっている。男性の資料には受刑者が多く含まれていた。性について語ることに抵抗のない人ほど答えるなら、数字は実際より大きく出るかもしれない。のちに研究所は受刑者などを除いて集計し直し、傾向は大きくは変わらないとしたが、個々の数字の確かさには、いまも議論がある。

それでも、この報告が変えたものは大きかった。性を道徳や病の話ではなく、調べて数えることのできる対象にした。自分だけがおかしいのではないかと一人で悩んでいた多くの人に、同じような人が大勢いることを数字で示した。そして、性に関する法律を見直そうとする人々に、議論の材料を与えた。同性間の行為を罰する法がなぜ必要なのか、と問う声は、この報告のあとに各国で強まっていく。

1948年の最初の報告から二十一年後、ニューヨークのバーで同性愛者たちが警察の手入れに抵抗した(ストーンウォールの反乱)。声を上げた人々が拠り所にしたものの一つが、自分たちは少数の病人ではなく、数えればこれだけいるという事実だった。キンゼイの名を冠した研究所は、いまもインディアナ大学で性の研究を続けている。

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