できごと

『源氏物語』

The Tale of Genji
AD1008年頃
重要度 5
『源氏物語』に関わる図版:Genji emaki 01003 002
Genji emaki 01003 002 Wikimedia Commons Imperial Palace Kyoto · Public domain

概要

長編の物語として世界で最も古い部類に入る。作者の本名は分かっていない。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

関わった人(1)

紫式部AD973年頃–AD1014年頃 · 著者

本文

『源氏物語』の作者紫式部は、学者で漢詩人の藤原為時の娘として、970年代に生まれたとされる。生年ははっきりしない。幼いころから漢文の才に恵まれ、兄が父から漢籍を習っているのをそばで聞いて、兄より早く覚えてしまった。父は、この子が男であったならと嘆いたと、本人が日記に書いている。

20代の後半に、紫式部は親子ほど年の離れた藤原宣孝と結婚し、娘を生んだ。しかし結婚から3年ほどで夫は亡くなった。物語を書き始めたのは、この夫の死の後ではないかと考えられている。書いたものは仲間うちで読まれ、評判になった。

江戸時代の絵師 土佐光起(1617-1691)筆『源氏物語画帖』より、『源氏物語』第5帖「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった紫の上と、柴垣から隙見する光源氏。
江戸時代の絵師 土佐光起(1617-1691)筆『源氏物語画帖』より、『源氏物語』第5帖「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった紫の上と、柴垣から隙見する光源氏。Wikimedia Commons Tosa Mitsuoki · Public domain

その評判が、時の最高権力者藤原道長の耳に入ったとみられる。紫式部は1005年か翌年ごろ、道長の娘で一条天皇の中宮となった彰子のもとに仕えるようになった。宮仕えの名である紫式部の「式部」は、父の官職の式部丞に由来する。「紫」は、物語の女主人公紫の上にちなむとする説が有力だ。本名は分かっていない。

同じころ、一条天皇のもう一人の后であった定子のもとには、清少納言が仕えていた。その『枕草子』と『源氏物語』は、この時代の宮廷の文学を代表する。どちらも、漢字をくずして生まれたかな文字で書かれている。紀貫之『土佐日記』とかな文字などを経て、かなで心の動きを書く文章が育っていた。『竹取物語』のような、それ以前の物語の伝統もあった。

『枕草子』に関わる図版:Sei Shonagon2
『枕草子』Wikimedia Commons 土佐光起 (Tosa Mitsuoki) · Public domain

『紫式部日記』の寛弘5年(1008年)11月の記事に、宴の席で歌人の藤原公任が、このあたりに若紫はおいでかと紫式部に呼びかけた場面がある。若紫は物語の登場人物の名で、この時点で物語が宮廷で読まれていたことが分かる。この記事をもとに、2008年には「源氏物語千年紀」が祝われた。一条天皇が物語を読ませて、作者は日本紀(歴史書)を読み込んでいるに違いないと言ったという話も、日記に記されている。

物語は54帖からなる。原稿用紙に換算すると2000枚を優に超え、登場人物は400人以上、物語の中では70年あまりの時が流れる。主人公の光源氏は、天皇の子として生まれながら、母の身分が低いために皇族を離れて臣下となった。美しく才に恵まれた光源氏は、多くの女性と恋をし、栄華をきわめ、やがて老いと失意の中で世を去る。物語の最後の10帖は、光源氏の死後の世代を描き、舞台の多くが宇治にあることから宇治十帖と呼ばれる。宇治十帖は、二人の貴公子のあいだで揺れた女性浮舟が出家し、それを知った男が疑いを抱く場面で、唐突とも思える形で終わる。これで完結しているのか、宇治十帖は紫式部とは別の人が書いたのではないかといった問いも、長く論じられてきた。

土佐光起筆『源氏物語画帖』より『源氏物語』第20帖「朝顔」。「雪まろばし」(雪転ばし)の状景[注 1]。邸内にいるのは光源氏と紫の上。
土佐光起筆『源氏物語画帖』より『源氏物語』第20帖「朝顔」。「雪まろばし」(雪転ばし)の状景[注 1]。邸内にいるのは光源氏と紫の上。Wikimedia Commons Tosa Mitsuoki · Public domain

新しかったのは、時間の扱いである。同じ人物が、若いときと老いたときで違って見える。かつて輝いていた人が衰え、子の世代が親と同じ過ちを繰り返す。光源氏は若いころ父の后と通じて子をもうけたが、晩年には、自分の妻が若い貴公子と通じて生まれた子を、自分の子として抱くことになる。出来事の連なりではなく、時とともに人が変わっていくことを書いている。

心の内を書く手つきも際立っている。言わなかったこと、言えなかったこと、相手の気持ちを読み違えたことが、物語を動かしていく。会話や和歌のやりとりに込められた思いを、地の文が静かにすくい取る。

物語は、書かれてすぐに熱心に読まれた。『更級日記』の作者、菅原孝標の娘は、少女のころ父の任地の上総で物語の噂を聞き、読みたくてたまらなかった。都に戻ってから、おばにあたる人から50余巻をもらい受け、昼は一日中、夜は灯を近くにともして読みふけった喜びを書き残している。

『更級日記』に関わる図版:Teika-sarashina-nikki-calligraphy
『更級日記』Wikimedia Commons Fujiwara no Teika copied the poem from Sugawara no Takasue no musume (Sugawara no Takasue's daughter). · Public domain

紫式部が書いた原本は残っていない。物語は手で書き写されて伝わり、その間に言葉の違いが生まれた。鎌倉時代の初め、歌人の藤原定家らが写本を校訂し、いまの本文のもとになった。12世紀には物語の場面を描いた絵巻が作られ、その一部は国宝として今に伝わる。

江戸時代の国学者本居宣長は、この物語の本質を「もののあはれ」を知ることにあると説き、それまでの、仏教や儒教の教訓を読み取ろうとする読み方を退けた。20世紀には与謝野晶子や谷崎潤一郎らが現代語に訳した。1920年代から30年代には、イギリスのアーサー・ウェイリーによる英訳が出て、世界の文学として読まれるようになった。

紫式部の和歌、百人一首 57番より「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」
紫式部の和歌、百人一首 57番より「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」Wikimedia Commons Public domain

長編の物語としては、世界で最も古い部類に入る。ただ、何をもって最初の長編小説とするかは定義によって変わり、「世界最古の長編小説」という言い方には慎重な見方もある。それでも、1000年前の宮廷の女性が、これほどの規模で人の心の移ろいを書き尽くしたことは、いまも読む人を驚かせ続けている。

動画(1)

【源氏物語】恋多き美男子光源氏!平安貴族の政治と恋愛事情を完全解説!【Update版】中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY物語の筋と、平安貴族の政治と恋愛の事情を合わせて語る

出典(1)

網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』第1章 文字について(仮名で書くということ)

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