経口避妊薬
概要
避妊の道具はそれまでもあったが、使うかどうかを決めるのは多くの場合、男の側だった。産児制限を訴え続けたマーガレット・サンガーは、老年になってから資産家の支援を取りつけ、生物学者に飲む避妊薬の開発を頼む。臨床試験は、規制の緩いプエルトリコで行われ、副作用の説明が十分でなかったことが後に問題になった。1960年、アメリカの当局が避妊薬として承認する。女性が、相手に告げずに、自分で妊娠の時期を決められるようになった。働き方も、結婚の時期も、そこから変わっていく。
場所
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
本文
避妊の方法は、古くからあった。動物の腸や薬草、19世紀にゴムが加工できるようになってからはコンドームや子宮に入れる器具も出回った。それでも、使うかどうかを決めるのは多くの場合、男の側だった。女性が自分だけで、確実に妊娠を避ける方法は無かった。産むか産まないかを決められないことは、働き続けられないこと、学び続けられないことを意味した。望まない妊娠のために危険な中絶に向かい、命を落とす女性も多かった。
アメリカでこの問題を訴え続けたのが、マーガレット・サンガー(1879〜1966年)である。ニューヨーク州の労働者の家に生まれ、母は18回妊娠して11人を産んだと彼女は書いている。看護師になったサンガーは、ニューヨークの貧しい移民の地区で、望まない妊娠と、手製の中絶で死んでいく女性たちを見た。当時のアメリカには、避妊の情報や器具を郵便で送ることを「わいせつ」として禁じる連邦法(コムストック法、1873年)があった。

サンガーは避妊の情報を載せた冊子を出して起訴され、一時イギリスへ逃れた。1916年にはブルックリンでアメリカ最初の産児制限の診療所を開き、開いて10日ほどで警察に閉鎖されて投獄された。それでも運動を続け、のちの家族計画連盟の母体を作った。アメリカ全土で女性が投票できるようになったのは、ブルックリンの診療所から4年後の1920年である(女性の参政権(アメリカ))。ただし、彼女の主張には優生学の言葉が混じっていた。「不適格な者」が子を産むのを減らすべきだという発言もある。断種法と同じ時代の空気であり、この運動の歴史は、その点を含めて語られる必要がある。
70歳を過ぎたサンガーが求めたのは、飲むだけで妊娠を防げる薬だった。1951年、彼女は生物学者グレゴリー・ピンカスに会い、開発を頼んだ。資金を出したのは、マサチューセッツ工科大学で学んだ最初期の女性の一人で、農機具の富豪の未亡人だったキャサリン・マコーミックである。彼女は生涯で200万ドルほどをこの研究に投じたとされる。ピンカスは同僚の張明覚とともに、黄体ホルモンが排卵を止めることを動物で確かめた。臨床には、不妊治療を手がけていたカトリックの産婦人科医ジョン・ロックが加わった。
人での大規模な試験は、1956年からプエルトリコで行われた。アメリカ本土では州によって避妊そのものが禁じられていて、試験がしにくかったためである。貧しい地区の女性たちが参加したが、薬が試験中であることや、副作用の可能性が十分に説明されていなかったことが、のちに批判された。当時の薬は、いまの低用量の薬の何倍ものホルモンを含んでいて、吐き気や頭痛を訴える人が多かった。
1957年、アメリカ食品医薬品局は、この薬(エノビッド)を月経の不順を整える薬として承認した。添付の説明には、副作用として排卵を抑えることが書かれていた。それを目当てに処方を求める女性が、数年で数十万人に達したといわれる。そして1960年5月9日、当局は避妊薬としての使用を認める方針を明らかにした。飲む避妊薬は「ピル」と呼ばれ、数年のうちに数百万人のアメリカ人女性が使うようになった。
変わったことは大きい。女性が相手に告げずに、自分で妊娠の時期を決められるようになった。学校を出るまで待つ、仕事に就いてからにする、という選択が現実のものになった。結婚と性と出産が、それぞれ切り離されていった。経済学者のクラウディア・ゴールディンとローレンス・カッツは、ピルが若い未婚の女性に広まった時期と、法律家や医師など長い修業の要る職に就く女性が増え、結婚の年齢が上がった時期が重なることを示した。ゴールディンは2023年にノーベル経済学賞を受けている。
技術が、制度より先に動いた。法は、あとから追いかけた。連邦最高裁が夫婦の避妊を禁じる州法を違憲としたのは1965年、未婚の人にも避妊の権利を認めたのは1972年である。翌1973年にはロー対ウェイド判決が中絶の権利を認め、2022年に覆された。カトリック教会は1968年の回勅で、人工的な避妊を認めない立場を改めて示した。
日本でピルの承認は遅れた。副作用や性の乱れ、エイズの広がりへの懸念を理由に審議が長引き、低用量のピルが避妊薬として承認されたのは1999年だった。男性向けの勃起不全の薬が半年ほどで承認されたこととの差が、当時から指摘された。誰が産むかを誰が決めるのかは、いまも争点であり続けている。