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Event / できごと

コンスタンティノープル陥落

Fall of Constantinople
AD1453年5月29日
重要度 5

概要

オスマン帝国が1100年続いた東ローマを滅ぼした。中世の終わりの目印として使われる。

場所

コンスタンティノープル
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール

関わった人(1)

メフメト2世AD1432年3月30日–AD1481年5月3日 · 攻める側

本文

1100年続いた東ローマが終わった。

決め手は大砲だった。 ハンガリー人の技師ウルバンが作った巨大な砲を、 オスマン側が採用している。 最初に東ローマの皇帝に売り込んだが、 払える金が無くて断られた。

三重の城壁が、初めて破られる。

もう一つが、船を陸で越えさせたことになる。 金角湾の入口は鎖で塞がれていた。 オスマンは丘に木のレールを敷き、 70隻あまりを陸路で湾内へ入れた。

最後の皇帝コンスタンティノス11世は、 帝衣を脱いで戦い、遺体は特定されなかった。

この年を中世の終わりとする区切り方は、 後世の歴史家によるものになる。

東地中海の交易路がオスマンの手に入ったことが、 ヨーロッパが大西洋へ出る動機の一つになった、 という説明が長く採られてきた。 近年は、そこまで直結しないという見方が強い。

動画(2)

Fall of Constantinople 1453 - Ottoman Empire DOCUMENTARYKings and Generals三重の城壁がどこで破られたか、船を陸越えさせた経路も含めて地図で追える
「コンスタンティノープルを封鎖せよ!」メフメト2世の完璧なる包囲戦【COTEN RADIO #130】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO船の陸越えと巨砲を、日本語で聞ける

出典(4)

エドワード・ギボン ローマ帝国衰亡史第68章
フェルナン・ブローデル(浜名優美 訳) 地中海第II部 集団の運命と全体の動き(帝国の形)
サミュエル・P・ハンチントン(鈴木主税 訳) 文明の衝突第II部(文明の勢力均衡の移動)
ヤーコプ・ブルクハルト(柴田治三郎 訳) イタリア・ルネサンスの文化第3篇(古代の復活。ギリシア語の学者が西へ)

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