概要
オスマン帝国が1100年続いた東ローマを滅ぼした。中世の終わりの目印として使われる。
場所
コンスタンティノープル
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
関わった人(1)
メフメト2世AD1432年3月30日–AD1481年5月3日 · 攻める側本文
1100年続いた東ローマが終わった。
決め手は大砲だった。 ハンガリー人の技師ウルバンが作った巨大な砲を、 オスマン側が採用している。 最初に東ローマの皇帝に売り込んだが、 払える金が無くて断られた。
三重の城壁が、初めて破られる。
もう一つが、船を陸で越えさせたことになる。 金角湾の入口は鎖で塞がれていた。 オスマンは丘に木のレールを敷き、 70隻あまりを陸路で湾内へ入れた。
最後の皇帝コンスタンティノス11世は、 帝衣を脱いで戦い、遺体は特定されなかった。
この年を中世の終わりとする区切り方は、 後世の歴史家によるものになる。
東地中海の交易路がオスマンの手に入ったことが、 ヨーロッパが大西洋へ出る動機の一つになった、 という説明が長く採られてきた。 近年は、そこまで直結しないという見方が強い。
動画(2)
出典(4)
エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史』第68章
フェルナン・ブローデル(浜名優美 訳) 『地中海』第II部 集団の運命と全体の動き(帝国の形)
サミュエル・P・ハンチントン(鈴木主税 訳) 『文明の衝突』第II部(文明の勢力均衡の移動)
ヤーコプ・ブルクハルト(柴田治三郎 訳) 『イタリア・ルネサンスの文化』第3篇(古代の復活。ギリシア語の学者が西へ)